鉄道ホビダス

東京・大阪通勤各線の最近の記事

横浜線の煙

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首都圏の主要な通勤・通学路線の横浜線ですが昭和40年代はまだローカル色が強かったように思います。S58牽引の貨物列車も走っていました。 '68.2 横浜線 小机 P:原 一

◉『わが国鉄時代』vol.19原稿募集

『わが国鉄時代』vol.19の写真を下記の要領で募集いたします。国鉄当時の写真なら年代、線区、列車は問いません。
1)特集ページ
①東北地方の蒸気機関車 ②DD51形ディーゼル機関車 ③重連(機関車は蒸機・電機・DL問いません)
2)一般ページ:ブログ既投稿(含・未アップ)写真・ブログ未投稿写真問わず、印刷するためのデータ量の大きなスキャン画像データが必要となります。カラー・モノクロとも出力解像度350dpi/長辺の出力寸法380㎜が基準(モノクロJPGなら20MB程度)です。
3)ファイル名を「撮影日_撮影者名」にしてください。
4)WordまたはTextによるコメントを、ブログ「わが国鉄時代」を参考にお書きください。
5)上記をCD-Rに焼いてお送りださい。なおお送りいただいたCD-Rはご返却いたしておりません。次号以降で使用させていただくこともございますので予めご了承ください。
5)応募写真のプリント(普通紙のサムネールで結構です)を同封してください。
未アップ、未投稿のものも合わせて、奮ってご投稿くださいますようお願い申し上げます。点数の制限はありません。採否は編集部にご一任いただきます。
■宛先:〒153-8545 東京都目黒区下目黒2-23-18 目黒山手通ビル 
株式会社ネコ・パブリッシング 国鉄時代編集部 「わが国鉄時代 vol.19」係

■締切:2017年12月15日(金)(必着)



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EF15が最後の活躍をしていた頃です。ここは青梅線、八高線が交わる交通の要衝。両線の貨物列車がひっきりなしに着発していました。 '84.5 青梅線 拝島 P:米山浩司

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中央本線湯の花隧道列車銃撃事件の牽引機ED167 。プレート左上の側窓間に被弾した外板を修復した痕が瘡蓋のように残っていた。戦争遺産として保存すべき機関車だったと思う。惨劇から72年目の夏、犠牲者の方々のご冥福をお祈り申し上げます。 '70.7.19 立川機関区 P:新井宏明

臨時電車

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山手線一周をノンストップで走る臨時電車「山手線電車運転75周年記念号」。両端の先頭から3輌までが優先的に冷房化され、中間車が非冷房車なことがわかります。 '84.12.16 山手線 日暮里 P:浅川卓也

301系

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アルミ車体がまぶしかった国鉄の意欲作301系。非冷房、オリジナルの7輌編成を伝説の初代駅ビル「ターミナルエコー」から俯瞰した一枚。屋根上の角型ベンチレーターの配列がよくわかる。 '74.11.16 中央線 吉祥寺 P:新井宏明 

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秋の天皇賞開催日の下河原線ホームの混雑ぶり。平日の朝夕と競馬開催日は西ムコの101系(3、5、7連)が使われていた。中央線直通で臨時電車が運行されることもあり、駅西方には渡り線が二本あった。 '70.11.29 下河原線 国分寺 P:新井宏明

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山手線で新型電車の試運転を撮影。手作りのヘッドマークには、活躍の期待が込められていた。 '85.2.23 山手線 大崎 P:采女 誠

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南浦和駅の自動券売機です。初乗り30円、210円まで購入できますがお札は投入できません。別の機械で両替してからの購入になります。穏やかな昭和の時代を感じます。 '73.12 P:野中英一

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阪和電鉄開業当時の架線柱をくぐり山中渓駅に進入する特急「くろしお」。架線柱に幅があるのは、かっての待避線の名残で、付近には温泉を備えたレジャー施設や四季折々の自然が楽しめたハイキングコースで賑わった証。しかし現在は無人駅と化し、桜並木だけがその当時を偲ばせる。 '76.3.13 阪和線 山中渓 P:森田 宏

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濃紺の制服と制帽、赤い腕章に車掌の文字、大きな革の乗務員鞄。どれもこれもが「国鉄」の風格そのものだった。 '75.11.6 阪和線 鳳 P:森田 宏

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今も変わらぬ天王寺・阪和線ホーム。発車を待つ73系旧国の行先は? 「和可山」と書いてある。 '76.2.17 天王寺 P:森田 宏

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御茶ノ水にあった大学への通学途中、赤羽に下車。まだ、101系や103系でなく、旧型国電、72系が全盛であった時代の一枚。この路線名の「赤羽線」は通称で、まだこの区間、赤羽-池袋間は、正式には山手線の一部であった。 '67.3.4 山手線(赤羽線) 赤羽 P:高橋孝一

桜前線

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桜前線が都心を通過、ここ奥多摩も満開となった。青梅線を見下ろせる山の斜面を登ると期待通り線路が一目で見下ろせ、やがて空車ホキを牽引したED16がやって来た。 '77.4.12 青梅線 古里-鳩ノ巣 P:中島正樹

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通っていた高校は上野〜日暮里の5複線区間に近く通学カバンには常に一眼レフが入っていました。山手線と競争するクモニ13の姿も当時は、ありふれた日常の1コマでした。 '79.9 日暮里 P:稲毛信夫

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開業3日目に撮影した埼京線。見た目山手線そのもののうぐいす色の103系が近代的な高架線を走る姿に最初は違和感ありありでした。 '85.10.2 与野本町 P:湯浅勝浩

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大垣夜行で上京した時、嫌がる友人を無理やり連れてED16を撮りにいきました。メインは竹の子族でしたが、私の本心はED16捕獲でした。 '80.12 軍畑 P:筒井敦己

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国鉄コンテナ満載の貨物列車が武蔵野線を南下します。 '87.2.21 西浦和 P:采女 誠

青梅線の主

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ながらく青梅線の主として活躍を続けてきたED16にも終焉の日が迫っていました。最後の活躍を続けるラストナンバー18号機です。 '83.3.20 青梅-宮ノ平 P:宮城浩志

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山手線205系登場の春、その第1編成は逗子からやって来た。ウワサの新車をひと目見んと、大勢のファンが集まった。 '85.1.31 品川 P:井芝七路

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EF81 81+EF58 89+旧客(水戸局)7輌によるイベント列車「撮影会の旅」が、上野-東大宮操車場で運転された。往路は常磐線・武蔵野線経由。沿線の雑木林は、今は宅地化されている。 '85.7.7 東川口-東浦和 P:采女 誠

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線路端には長い貨物列車に夢中の子供。道端には長い立ち話に夢中の買い物帰りのお母さん。古いネガの端には長い間忘れていたあの秋の日の一コマ。僕は青梅線に夢中だった。 '74.11 御嶽 P:島田宗彦

混色編成

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ヘッドマークが懐かしい103系電車。混色編成も時々撮影ができた。 '86.6.20 片倉-八王子 P: 采女 誠

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運転台越しに見た103系の普通電車。乗っている電車も103系です。 '79.3 東淀川 P:清原正明

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本年の春、武蔵野線が開業40周年。武蔵野線開業と入れ替わりに廃止された通称「下河原線」を、最終日に訪れたことを思い出しました。  '73.3.31 P:佐藤圭樹

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この年の桜は開花が平年より早く青梅まではすでに散っていた。しかし、御獄から先はちょうど満開で古里-鳩ノ巣間の桜並木は圧巻、平日にも関わらず多くのファンと出会った。 '77.4.12 古里-鳩ノ巣 P:中島正樹

配給列車

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西国立駅で電車を降りると、ちょうどED16 17が牽引する配給列車が発車するところだった。配給車代用に使われていたワ12000と緩急車ワフ29500も今となってはとても懐かしい。 '78.7.11 西国立 P:齋藤生朗

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ふと思い立ってED16を観に行く。石灰石列車が運休だったのだろうか、庫は満杯。磨き込まれた機関車たちを目の当たりにして、至福の時間が流れた。 '76.1.11 西国立(立川機関区) P:井芝七路

ED16とEF64

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勾配線区用として開発された機関車同士で何を語っているのでしょうか? '83.6 西国立 P:鈴木岳人

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三鷹駅を出発した特別快速高尾行きです。特別快速の前面表示は後年電光掲示になりましたが、この鉄板のサボが一番似合っていました。 '83.6 三鷹 P:鈴木岳人

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自分のカメラを買って初めて撮影した日の1コマです。拝島駅の構内のはずれに青梅線から五日市線に乗り入れる渡り線があり、五日市線の大久野駅に向けて出発したところです。 '82.1.7 五日市線 P:鈴木岳人

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首都圏最後となった、茶色い72系電車のさよなら運転が鶴見線で実施されたこの日、名残を惜しむ大勢のファンが、駅周辺や沿道を埋め尽くしていたのを覚えている。 '80.1.20 鶴見 P:関 周一

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小学生のある休日、全開になっていた京浜東北線73系の窓からハーフカメラで撮った一コマ。103系の表示はまだ「山手」、背景には偶然日劇が写っていた。 '69.5 有楽町 P:古澤成博

最後の春

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春雨の中、青梅線の梅林の名所を行く下り貨物列車です。写真のED16 14は引退直前にスノープラウが外されました。5181レ '83.3.15 石神前-二俣尾 P:采女 誠

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日光への家族旅行。乗車前に鉄道が好きだった亡き父が撮ってくれた、想い出の一枚です。 '60.10.1 新宿 P:浦上幸彦

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ホームは今の青梅駅と同じ位置にありますが駅の売店はまだ健在。当時は駅の山側に青梅電車区があり、その建屋が立川行き40系の後にみえています。 '72.2.9 青梅 P:中安 輝

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この頃、快速は東京発6:55から23:00まで。その前後の時間帯の各駅停車には、緩行線用の黄色い101系も使われていた。何気なく撮ったひとコマからそんな記憶が蘇る。 '75.8.27 東京 P:井芝七路

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夏の恒例行事であった昭和天皇の那須御用邸でのご静養のお供は157系。ご到着前の緊張が漂っていた。 '77.7.11 P:高橋卓郎

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平日の昼間、南武線の浜川崎方面から登戸までC12の牽く貨物列車が1966年8月14日まで走っていた。途中、矢向・溝の口・宿河原駅等によって登戸駅わきの民間工場まで。駅で休んでいる姿はよく見たが走行中の姿は記憶がない。 '66.5.7 宿河原 P:迫尾 肇

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私鉄を含めて4路線が集まる拝島駅、曇天の蒸暑い昼下がりに旧型電関2輌もひと休み。 '74.8.14 拝島 P:長谷川武利

旧国の顔

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武蔵中原電車区を見学させていただいたとき撮影。当時快速電車などで101系も導入されていたが主力は旧型電車。手前2輌は同じ73系だがずいぶん顔が違う。その奥はクハ16。 '73.7 武蔵中原電車区 P:小林哲哉

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9月30日に開業した埼京線。開業後一週間も経っていないというのに開業を祝う装飾は背後の開通記念表示のみと閑散としたムードだった。改札はラッチ式で自動化は未だの風情なうえ、写真左側にある出札(自動券売機)のうち、左端と右から2番目の券売機は当時鳴り物入りで登場のオレンジカード対応券売機が懐かしい。 '85.10.3 浮間舟渡 P:梶村昭仁

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長閑な田園風景の築堤を橋本方面に走る73系電車。この辺りに東海道新幹線の新横浜駅が開業し、今日のような発展を見るとは想像すら出来なかった。 '63.1.3 横浜線 菊名-小机 P:中島正樹

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都心まで30分の距離とは思えない古色蒼然とした立川駅、ED16の牽く鉱石列車がまだ行ききしていた時代だった。 '76.6 立川 P:服部基寛

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新学期が始まりちょっと落ち着くころになると、友人と「そろそろと撮影に行こうかっ」と意気投合。まずはすぐに行ける南武線。この時期多摩地区沿線は田植えの季節です。ED16がこの長閑な風景に妙に溶け込んでいたなぁ。 '72.4.20 登戸-中野島 P:鈴木一平

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武蔵野線開業による下河原線廃止もあと2年半、北府中駅あたりは配線変工事真っ盛りの中、8日後には仮ホームも使用終了。東京競馬場開催日の国分寺-東京競馬場間のピストン輸送には、なんと101系5連での運行です。行先表示は紙に手書き、運用表示もなしですが確か東ムコだったはず。下河原貨物線(遅れて1976年廃止)の0キロポストはここにありました。 '70.10.22 北府中 P:土方博生

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この年、引退するED16を追って全国からの来訪者が急増。この日は青梅以遠ではなく自宅近くの団地から昭島駅付近を俯瞰。手前の空地は今はショッピングモールです。 '83.3.20 昭島 P:菅沼理也

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長い間ED16の独擅場だった青梅線。しかし、時には101系のオレンジも梅の里にはよく似合っていた。 '74.3.31 石神前-二俣尾 P:中島正樹

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このころはまだ大阪市内を走る城東貨物線はD51やC58が多く走ってました。撮影を始めたばかりのころの写真ですが、ハーフサイズのデミSでもきれいに写っていました。 '70.3.21 吹田付近 P:山本順一

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先般発行「鉄道車両ガイド vol.2」内の鶴見線「国道」駅で目が止まった。カーブのホームと共に独特な円弧状の架線ビーム。役者変われど舞台変わらず半世紀。 '63.3.26 国道 P:青木一郎

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年の瀬のある日、代々木駅の緩行線ホームから新宿駅構内を見やったところをスナップ。ちょうど、183系がホームに入線を開始したところや、貨物輸送のEF65PFなど懐かしいカラーとともに、東口の都心方面の空がこんなにも高く見えたことに改めて驚いた懐かしのひとコマ。 '86.12 新宿─代々木 P:梶村昭仁

渋谷1976

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渋谷駅で入替えをするDD13。このころ山手線でも貨物扱いをしていた駅が何駅かあった。廃止後住宅展示場を経て、再開発されいまは、面影もない。旅館の看板が懐かしい。 '76.7.16 渋谷 P:志井純一

ED16 14

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ED16の14号機は、青梅線で運用されていたED16の中で唯一スノープラウが装着されており、足回りがしまってかっこよかった。ここぞの場面で撮影したかったが、撮れずじまいに終わってしまった。この編成写真もネガに染みが出来てしまい、つくずく縁がなかった。 '81.10.10 拝島 P:鈴木岳人

春の淡雪

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春の淡雪が降り、久しぶりに都内で積雪を見た。すぐ融けてしまうため、まずは地元の駅に駆けつけ撮影開始。山手線は丁度103系から205系に移行する時期にあたり、新旧の並びを撮影。205系の電動ワイパが着雪の状況を強調してくれた。 '86.3.23 池袋 P:中島正樹

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初のホームドアが設置されたこの駅は、かつてはどちらかといえば地味な印象の駅だった。貨物駅の荷役作業もありふれた光景。そういえば近頃、こんな日当たりのいい駅が都内から消えてしまった。 '75.5.18 恵比寿 P:井芝七路