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RMライブラリー219『加越能鉄道加越線』完成

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▲「カイニョ」と呼ばれる屋敷林に囲まれた家が点在する散居村の風景の中を走るキハ125。 1972.5.29 柴田屋-福野 P:服部重敬

RML219_H1.jpg今月のRMライブラリーは服部重敬さんによる『加越能鉄道加越線』です。
北陸本線石動から城端線福野を経て庄川町(旧・青島町)までを結んだ加越能鉄道加越線は、もともとは砺波鉄道として1915(大正4)年に青島町~福野間が開業したもので、加越鉄道に社名を変えた後、1922(大正11)年に福野~石動間が開業しました。この鉄道は舟運で栄えながら鉄道のルートから外れた津沢町や青島町の有力者が中心となって敷かれたものでしたが、ほぼ時を同じくして青島町の庄川にダム・発電所の建設計画が立てられ、加越線にとって大きな影響を与えることになります。一時は地元業者とダム建設の紛争に巻き込まれたものの、輸送量が増加し電力資本も入ったことにより、1931(昭和6)年のガソリンカー導入を皮切りに次々と内燃動車の導入を進めました。ダムにより庄川峡という観光地が誕生したこともあり、1940(昭和15)年にはついに旅客列車の無煙化を達成しました。これは当時の地方鉄道としては異例のことでした。

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▲開業当時の砺波鉄道の様子。当初はコッペル製蒸機が旅客列車を牽引していた。

戦時中には富山地方鉄道に統合され、その加越線となりますが、戦後、1950(昭和25)年には富山県西部の交通を担う事業者として加越能鉄道が発足し、加越線は移管されました。ちなみに現在万葉線となっている高岡軌道線が加越能鉄道に移管されたのは1959(昭和34)年のことです。加越能鉄道はその壮大な社名の通り、加賀(金沢)、越中(富山・高岡)、そして能登(七尾)を結ぶ高速電気鉄道を建設する使命をも帯びた会社でしたが、加越線でも戦後には電化や、一時は観光用としても利用されていた庄川水力電気専用鉄道の復活などを計画し、実際に電車への改造を前提にした気動車も投入されました。それが今回の表紙にもなっているキハ15001です。

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▲砺波平野を淡々と走っていた加越線。小矢部川の鉄橋は大きなランドマークだった。

加越線の輸送人員は戦後、増加の一途をたどり、施設の近代化と運行本数の増加が図られます。昭和40年代に入るとやや減少傾向になりますが、それでもダイヤの全線30分ヘッド化や特殊自動閉塞の導入など、合理化とともに積極的な施策がとられました。しかし、人件費との兼ね合いで赤字額が膨らんだことから、加越能鉄道はバス転換を決断し、ついに1972(昭和47)年9月、加越線は廃止されました。 

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▲加越能鉄道による高速電気鉄道計画は、当初、富山~金沢間を結ぶ路線を軸に、途中で高岡への路線が分岐するものであったが、その後、富山~高岡間を直結するものに変更された。

今回は地元で加越線の資料収集活動を進められている「加越線資料保存会」のご協力もいただき、多くの写真・資料とともに、加越線の57年にわたるあゆみや路線、そして歴代の車輌群を解説しています。また、加越線と深い関りをもっていた庄川水力電気専用鉄道、さらに富山~金沢・高岡間の高速電気鉄道計画についても紹介するものです。現役当時は比較的地味な存在で訪れる方もあまり多くはなかった加越線ですが、その歩みは実に興味深いものでした。ローカル私鉄ファン必見の一冊、ぜひお手に取ってご覧ください。

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