国鉄・気動車

キハ56 552(キハ56 550番代) (国鉄・気動車)

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キハ56 550番代(551、552)は、キハ56をカーペットカーに改造した車輌で、冷房装置が設置されており、快速「ミッドナイト」と同様の車体色と車内もほぼ同一仕様とされた。キハ56 552は、1967年製のキハ56 145を1990年に苗穂工場で改造し誕生した。多客時には快速「ミッドナイト」のカーペットカーの増結車として使用された他、急行列車の増結用に使用されたが、老朽化により2001年10月に廃車された。 '94.8 函館本線 苗穂-白石 P:佐々木裕治

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キロ29・59形(お座敷列車) (国鉄・気動車)

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1973年キハ27形を改造した北海道初の座敷車キロ29形が、国鉄初の和式気動車として誕生した。主な改造は座敷構造への変更のみで、キロ29 1〜3の3輌が旭川・苗穂・五稜郭の各工場で施工され、「くつろぎ 」の愛称で団体専用列車や定期急行列車に増結され運行された。さらに1984年、キハ56形を改造した座敷車キロ59 1〜2の2輌が苗穂工場で改造され登場した。この時、クリーム1号の地に赤2号の模様を入れた塗装に変更し、キロ29形も同色に塗り替えられた。また、各車に北海道の湖にちなんだ愛称(キロ59 1:大沼、 キロ59 2:洞爺、 キロ29 1:支笏、 キロ29 2:摩周、 キロ29 3:サロマ)が付けられた。国鉄分割民営化後も全車が引き継がれ、もえぎ色を使用した塗装に変更され活躍したが、老朽化により1997年までに全車廃車された。 '87.1 苗穂 P:佐々木裕治


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キハ21 61 (国鉄・気動車)

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キハ21は、キハ20形に耐寒装備を盛り込み寒地向けとして製造された車輌で、1957年に84輌が製造され、主に北海道および東北地区で使用された。外観は、キハ20形0番代とほとんど変わらない。寒冷地向けの装備として、客室窓の二重窓化、運転台へのデフロスタの設置、床下機器の耐寒・耐雪装備が施された。デッキがないため冬期の客室内の温度維持に問題があり、翌年からキハ22へ製造が移行された。ローカル線の廃止やキハ40形の増備とともない1982年までに運用を離れ、1983年に全車廃車された。 '77.8 函館本線 札幌 P:佐々木裕治

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キハ30 0番代 (国鉄・気動車)

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両運転台・便所なし車で、1963年〜1966年に106輌が製造された。0番代車は温暖地向けの一般車で1〜100の100輌が製作され、基本仕様はキハ35の0番代に準じている。国鉄分割民営化後もJR旅客会社に承続されたが、老朽化や電化に伴い2013年にはJRグループ゚より全廃された。 '94.2 八高線 毛呂-高麗川 P:長岡行夫

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キハ38 1001 (1000番代) (国鉄・気動車)

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キハ35系気動車の老朽化に伴い、'86年〜'87年にかけてキハ35系を種車として国鉄工場にて製造され、主要部品の流用とバス用部品の多用を図り軽量化と製造コスト抑制を図っている。製造車輌数はトイレなしの1000番代が3輌、トイレ付きの0番代が4輌の7輌で全車輌が八高線に投入された。その後八高線から久留里線へ転属となり活躍していたが、キハE130形に置き換えられ廃止形式となった。 '86.9 八高線 金子-東飯能 P:長岡行夫

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