鉄道ホビダス

2011年6月アーカイブ

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初めて北海道に渡った時、夜行列車から降りて青函連絡船への乗換中に跨線橋から撮ったスナップ。貨物積み込み中の9600、黒く煤けた桟橋への跨線橋共々懐かしい一場面である。 '67.4.29 青森 P:中島正樹

パワフルD52

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静狩駅を出ると右に大きくカーブを描き、トンネルに入るまでに10/1000の勾配を上ります。静狩を午前5時59分に通過する貨物列車を狙いましたが、光量不足でネオパンSSの感度では軟調になってしまいました。当時トライXフィルムは高価で高校生には手が出ませんでした。 '71.8.10 静狩 P:武者秀男

神威岬の夏

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一日一往復の9600牽引貨物列車を撮るため神威岬で過ごした日の昼下がり。岬を越えていく自転車ツーリングの一団をキハ22単行列車が追い越していった。 '74.8 斜内-目梨泊 P:小林哲哉

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雪の倶知安駅にて上りD51重連客車が雪煙を上げて発車して行った。(本命はC62重連ニセコですが!) '69.3 倶知安 P:中川弘一

関門の団臨

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EF58からEF30に付け替えられた団臨「お座席列車」は、雨脚が急に激しくなった中、見送る人もなく、静かに下関駅を発車しました。 '80.3.30 下関 P:小林慎治

EF55復活!

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高崎-水上間で運転された、EF55復活記念列車です。美しい機関車に感激しましたが、秋田から運ばれた3軸ボギー車のスエ78の連結にも驚きました。 '86.7.25 上牧 P:采女 誠

北の大地を往く

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大動脈の輸送を担うマンモス機。気温は低い北海道の5月、発電機の白煙までもが冷たい風に乗る。 4181列車 機:D52 '72.5.5 七飯-大沼 P:青木一郎

上り「安芸」

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海田市広島方面に出張した折り、近くを走る呉線にカメラを向けた。呉線に入る列車が海田市手前で山陽本線をまたぐ辺り、ちょうどC59牽引の上り急行「安芸」がやって来た。この頃広島には3輌のC59がまだ健在だった。 '67.10.30 海田市 P:中島正樹

青井岳発車

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青井岳を出発する1526レは元お召予備機C57 192の牽引、赤くて大きなナンバープレートが印象的だった。 '74.1.2 青井岳 P:齋藤隆行

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身近なところを走っていたせいか157系は好きな形式のひとつである。東京駅11番線に一時的に留置される臨時「あまぎ」7輌の横に定期「あまぎ」9輌が並んだところ。 '75.5.4 東京 P:宮山幸雄

貴重品との邂逅

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高1の夏休みに出かけた留萌本線。本数も少なくのんびりと1日を過ごした。運良くD61 4が運用についていたが、暑い日で発車の煙はスカスカだった。 '74.7.23 恵比島 P:古澤成博

北国の夕暮れ

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D51の牽引するDD53の補機付貨物列車が塩狩峠に消えるのをいつまでもファインダーで追っていた。警報機が鳴り止み、凍てつく踏切を子供たちと渡る母親。氷点下、D51の排出した水蒸気が凍り、ダイヤモンドダストのように輝き落ちる北国の夕暮れ。ふと、心が和む一瞬だった。 '74.3.22 和寒 P:齋藤孝行

鮮魚列車5050レ

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大学受験も一段落して、静かな春休みを過ごしていました。お昼前のこの時間、唯一の楽しみは鮮魚列車5050レでした。ただ、来るか来ないかはその日の運次第というファジィなところが逆に撮っておこうという気持ちにさせてくれたのかもしれません。写真はEF61 201の補機つき列車を元鉄道学園前踏切で後うちしたものです。 '79.3.6 向洋-海田市 P:綿崎真澄

20系とC62の出会い

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20系ブルートレイン「富士」はEF60 503に牽引されて朝に広島駅に到着、出発していったた。その横で呉線で活躍しているC62が見送る。 '65.5.4 広島 P:中川弘一

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1971年3月20日に新設され、当初は臨時特急扱いだった秋田行き「あおば」はその後乗客率が好調ということで定期化されました。仙台駅を発車し右に大きくカーブし直線に入った所でエンジン全開。排出される煙はすさまじいものでした。 '75.12.5 仙台 P:武者秀男

得した気分

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詳しいダイヤも分からず、やみくもにロケハン、遠くでホイッスルが、まさかと思って線路脇の畦へ駆け上りカメラを構えた。そこへやって来たのは、チップ専用のトラを連ねた貨物列車。ちょっと得した気分だった。 '81.11 吉野口-北宇智 P:芝地寛之

C51 264

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鉄道写真を写し始めたころの写真で、この日は10月のダイヤ改正でなくなる客車準急の「白兎」を撮りに行き、山陰線のホームから機回り線を使って客車の編成をしているC51 264を写しました。 '61.9.7 京都 P:青山春樹

D52の迫力

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D52の迫力は圧倒的だった。北海道ならではの長大編成の貨物だから、なおさらだ。ここ長万部では、C62とD52に行きあえた。 '67.7.18 長万部 P:高橋孝一

発車

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「行ってらっしゃい」 思い出に残る写真が撮れました。 '77.10 金沢 P:采女 誠

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御殿場線のD52を谷峨・駿河小山あたりで撮影した後は足を延ばして沼津経由で帰宅した。その際に写したクモユニ83103(改番後はクモニ83103)、旧型電車の中では好きなタイプの車輌でした。 '66.11.23 沼津 P:迫尾 肇

佐土原駅のC56

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佐土原駅には、妻線用に宮崎機関区のC56が出張してきていて、九州では少数派のC56が見られる駅だった。 '71.8.16 佐土原 P:松崎昌一

肥前山口にて

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連結終了。左は2016M「かもめ4号」、右は4016M「みどり3号」。 '76.9 肥前山口 P:藤田高士

姫神山麓

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好摩の東方に端正なピラミット型の姿を見せる姫神山。ここで夜明けを迎えた列車の乗客がまず目にする印象的な山のシルエットである。その麓をED75牽引の列車が淡々と下って行く。 '71.1.12 好摩-岩手川口 P:中島正樹

朝の峠

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冷え込んだ冬の朝、C57 192号機が猛烈なドラフトを響かせてやってきた。C57の壮絶な走りには悲壮感が漂ようほどで、感動さえ覚えた。 '72.1 楠ヶ丘(信)〜青井岳 P:藤田高士

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都心まで30分の距離とは思えない古色蒼然とした立川駅、ED16の牽く鉱石列車がまだ行ききしていた時代だった。 '76.6 立川 P:服部基寛

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やがて第三セクターへと転身する明知線で、開通50周年を向かえた臨時祝賀列車が1往復運転されました。普段は静かなローカル線も、このときばかりは祝賀ムード一色で沿線は賑わっていました。 '84.6.24 岩村 P:鵜飼功一

雨上がり

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大学の鉄研に入って、しばらくして旧型国電の宝庫、鶴見線に出向いた。大川との間を区間運転するクモハ12。昼間ということもあり乗客ゼロで出発していった。 '73.4.15 武蔵白石 P:宮山幸雄

C58重連の奮闘

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線路沿いから十数分でたどり着くこの場所は例年この時期には20cmくらいの積雪がありますが、この年は雪が積もるのが遅く、反面、楽にたどり着くことができました。今にも雪が降り出しそうな天候の中、C58重連貨物列車は山々に響き渡るドラフト音を轟かせ峠の駅目指して進んでいきました。 '71.12.20 中山平-堺田 P:武者秀男

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7番線に「銀河」を退避させ8番線から「あさかぜ2号」が発車した。この日はEF65に変わってEF58が代役でやってきた。当時はヘッドマークがなく残念に思ったが、今見ると貴重なEF58のツーショットであった。  '75.6.15 横浜 P:内田博行

日向路の朝

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田野を発車した列車の煙が太陽光を遮ってくれて、逆光でしたが冷気に残る煙の印象的なシーンが撮れました。 '73.11.23 田野 P:齋藤隆行

9600の通勤列車

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大宮に程近い場所がら、学校帰りに何回か立ち寄った。今から考えると驚くべきことだが、ここでは、朝晩、キューロクが通勤列車を牽いていた。 '67.6.14 日進-指扇 P:高橋孝一

炎天下のループ線

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盛夏の8月に九州へ、そして肥薩線大畑ループの一角に立った。やがて待ちに待った混合列車が高原の大カーブに姿を現し、ゆっくり時間をかけて眼前に迫った。他に撮る人もなく、暑くて気の遠くなるような一日だった。 '70.8.5 大畑-矢岳 P:中島正樹

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雪もやみ薄日が差してきた。そして風もなく今までにない絶好のコンディションとなった。まもなくして「ニセコ1号」が轟音を響かせてものすごい迫力で通り過ぎて行った。客車も煙で被っていなかった。 '70.3.14 小沢-倶知安 P:内田博行

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昭和36年10月1日のダイヤ改正の当日の京都駅。キハ55系の準急「鳥羽・勝浦」、東海道線、草津線、紀勢線と走っていました。 '61.10.1 京都 P:青山春樹

飛水峡

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飛水峡を行くキハ80系「ひだ」。あれから33年が経ち、行き交う車輌こそ変わったが、この景色は今も変わらない。私が鉄道風景の美しさに目覚めた頃の一枚です。 '77.11.3 上麻生-白川口 P:赤座安彦

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DD54の前補機が付くためガッカリした人が多かった播但線の貨物列車。個人的にはC57もDD54も好きなカマだったので好んで撮影したが、内心では「別々に来てくれたらなあ!」と思っていた。 '71.1.15 新井-生野 P:鈴木博之

山形行き最終列車

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仙山線山形行き最終各駅停車を牽くED78。仙台発18時55分の833レが最終列車とはローカル線色が濃かった時代です。正月ということもあるのか、ホームにはこの時間でもほとんど人がいませんでした。 '77.1.1 仙台 P:武者秀男

雪の三重連

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播但線の客車はC57が牽引していましたが、特に冬期にはスキー臨時列車が多く設定されており、上り列車の中には回送目的でC57が3台で生野峠を上ってくる迫力ある姿に感動し、多くのフアンが訪れました。 '71.2.10 生野-新井 P:中川弘一

C58重連

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C58の重連は陸羽東線に走っていたが、そんなに遠出しなくても地元ではしばしば見られたようだ。それまで、C62とか、D51だとかの重連ばかり追ってきたが、「灯台下暗し」か、地元にもこんな迫力のある重連が走っていたのだ。 '69.8.4 群馬藤岡 P:高橋孝一

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新学期が始まりちょっと落ち着くころになると、友人と「そろそろと撮影に行こうかっ」と意気投合。まずはすぐに行ける南武線。この時期多摩地区沿線は田植えの季節です。ED16がこの長閑な風景に妙に溶け込んでいたなぁ。 '72.4.20 登戸-中野島 P:鈴木一平

夕暮れの美幌

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午後の常紋越えで撮影後、美幌に戻ってきたところ。夕方近くの貨物列車だったが終日晴天のため比較的明るく、発車シーンをとらえることができた。 '75.2.27 美幌 P:宮山幸雄

さらばC60

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電化はまだ6か月先であったが鹿児島近辺ではすでに架線まで張られていた。夕方の22レはC60 28号機牽引でやって来た。私にとってこの列車が鹿児島本線最後の蒸機列車撮影となった。 '70.4.3 西鹿児島-上伊集院 P:内田博行

南国のローカル線

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草生した線路、短尺のレール、少ない本数の枕木、角がとれた薄いバラス。ローカル線を絵に描いた様な大隈線だったが、貨物列車は地域輸送を担っていた。 '73.8.22 大隈川西-鹿屋 P:田中一弘

北上山地越え

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釜石線の撮影ポイントは、なんと言っても陸中大橋である。 駅の手前で撮った列車が、トンネル内でループしながら山腹を登って行き、この大橋を渡るところを、後追いでもう一度狙えることである。 616レ D51 765〔釜〕 '65.2.7 陸中大橋 P:小西 明

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20泊の貧乏学生旅行の途中、狩勝信号場で403D「阿寒」を退避させて堂々と通過する2002D「おおぞら」に遭遇。今になってみると狩勝旧線最後の夏をカラーで撮った貴重な記録となった。 '66.8.30 狩勝信号場 P:鈴木博之

今福夕凪

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黄昏時、松浦湾の波打ち際でC11を撮影。今夜の宿は有田駅待合室の予定。なんだか急に少しだけセンチメンタルな気分に襲われてしまった。 '71.4 調川-今福 P:藤田高士

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武蔵野線開業による下河原線廃止もあと2年半、北府中駅あたりは配線変工事真っ盛りの中、8日後には仮ホームも使用終了。東京競馬場開催日の国分寺-東京競馬場間のピストン輸送には、なんと101系5連での運行です。行先表示は紙に手書き、運用表示もなしですが確か東ムコだったはず。下河原貨物線(遅れて1976年廃止)の0キロポストはここにありました。 '70.10.22 北府中 P:土方博生

浅間の煙

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浅間山が噴火の情報に夜行で早朝の中軽井沢へ。高原のひんやりした冷気の中を線路伝いに山の見える信濃追分方面に歩いた。肝心の噴煙はすでに穏やかになっていたが何本かのD50、D51の列車を撮ることが出来た。 '61.8.28 中軽井沢-信濃追分 P:中島正樹

石狩平野の片隅で

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札幌に朝着いたときは嵐のような天気だった。特に行くところも決めてなく、こんなときでないと行けないかな、と考えC11の貨物が走っている札沼線へ。どこまで行っても同じような景色のため、交換駅の石狩太美で降りる。横殴りの雨の中、撮影地を探す気力もなく駅で撮影したことを覚えている。 '71.5 石狩太見 P:志井純一

「あさかぜ」発車

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重連のEF30に牽引された、20系の下り「あさかぜ1号」が、下関駅を発車しました。その前方には、同じくEF30が牽引する上り普通列車が写っています。 '78.1.15 下関 P:小林慎治

単機回送

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補機の務めを終えて、機関庫にバック運転で戻るキュウロク。バックは筑豊の白いダイヤといわれた石灰石でできた、筑豊のシンボル「香春岳」。 '74.11.14 勾金-油須原 P:衛藤哲也

奥久慈の8620

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「奥久慈ハチロク号」の撮影に向かうも、踏切事故で常磐線が大幅に遅れ、ようやく帰りの列車を上小川駅で撮ることができた。交換列車のキハユニの湘南顔が愛らしい。 '72.9.23 上小川 P:小林哲哉

724M長岡発上野行

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長距離普通列車には荷物車・郵便車が連結され、見慣れた115系にもどこか長距離列車の貫禄が漂っていた。 '78.11.19 尾久 P:梅澤 浩

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家が線路に近かったので、原ノ町駅場内信号確認の汽笛の音が聞こえれば、いつものように走って行き写真が写せた。この日は、いつもより少し早めに自転車で家を出て、原ノ町駅を通過し力行するC62 47が写せた。 '66.7.23 原ノ町-磐城太田 P:渡部 司

春の一日

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小砂川で下車した後、線路に沿って鳥海山を左手に見ながら秋田・山形県境を越え、吹浦まで歩いた。中間の女鹿はまだ信号場でちょうど停車していた下り列車が出発するところだった。 '69.5.2 女鹿信号場 P:中島正樹

島ヶ原発車

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雨が降りそうな朝、島ヶ原を後にする上り貨物。上り勾配へ向かうダッシュの白煙とドレンの中に腕木信号機が浮かぶ。 264列車 機:D51 452
'72.1.15 島ヶ原 P:青木一郎

懐かしの田野

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蒸気機関車が引退して数年後、懐かしい田野を訪問してみた。電化を翌年に控えて、ポールが建った日豊本線をDF50の牽く客レが上って行く。 '78.11 青井岳-田野 P:齋藤隆行

炭砿(ヤマ)の主

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幌内-三笠間で石炭のピストン輸送をしていたキューロク。山積のセキの横で小休止。 '73.8.6 三笠 P:小林哲哉

C58重連

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キハ17系やキハ20系のローカルを何本か撮って 待つことしばし、現れた下り貨物列車はC58+C58の重連だった。 '67.10.11 陸中松川-岩の下 P:米本健一

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この年、引退するED16を追って全国からの来訪者が急増。この日は青梅以遠ではなく自宅近くの団地から昭島駅付近を俯瞰。手前の空地は今はショッピングモールです。 '83.3.20 昭島 P:菅沼理也

冬の朝

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高鍋駅南方の入り江に架かる古港川鉄橋。快晴無風の冬の朝、四次型のC57が軽快に横切っていった。 '72.1 高鍋〜日向新富 P:藤田高士

新雪のきらめき

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朝一の栗丘周辺。新雪が朝日に照らされ輝いていた。 '74.1 栗丘 P:川瀬 剛

吹雪の山線

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この年の2月、卒業旅行として、函館本線山線を中心に撮影行。当日の銀山周辺は猛吹雪。お目当てのC62重連「ニセコ」も俯瞰は無理で、線路際での撮影になった。今となってはぜいたくと思えるが、「D51の牽く普通列車」も撮影した。数コマの連写のうち、もっとも迫力のあるカットがこれで、貴重な一枚となった。 '70.2.12 銀山-小沢 P:高橋孝一

さらば老兵

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DL化前日。最後のお別れ列車。米坂線には3日前から入り、宇津峠などで最後の活躍をする9600を撮影しました。最後は小国駅を発車する9634を先頭にした重連を撮影し締めくくりました。 '72.3.14 小国 P:武者秀男

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オメガカーブを終点下津井に向け下る2輌編成の電車(クハ24+モハ103)。ローカル色が漂う路線で撮影ポイントも多かったが、この当時撮影に訪れる人は稀だった。 '75.12.30 東下津井─下津井 P:鈴木博之

吊掛モーターの響き

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曇天の冬空の下、3輌編成の茶色の電車が、吊掛けモーターをうならせながら通り過ぎました。 '81.2.8 小郡〜上嘉川 P:小林慎治

嵯峨駅

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自宅から自転車で行ける気軽さもあり、この駅にはよく通いました。踏切で山陰本線を行く気動車やDD51に牽かれた客車列車や時には貨物を見れることもありました。写真たくさん撮っておけばと思う今日この頃です。特に馴染みのあった嵯峨駅はその独特の形がかっこよく僕には映り、また重厚な造りや駅前を見渡せる木製のベンチも思い出深く記憶に残っています。 '86.10.16 嵯峨 P:篠原重光

二人羽織

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ドラフトと共にやがて山かげに煙が見えてきた。期待を高めつつ覗くファインダーに見えたのは前補機のDF。外れた期待に大落胆。意気消沈でやぶれかぶれの正面写真。 694列車 機:DF50 566+C57 P:青木一郎

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この頃は梅小路機関区まで家から自転車で30分ほどかけてよく行っていました。この日はカメラを持っていっていたので、扇形庫の後ろにとまっていたハチロクを写しました。 '62.4 梅小路機関区 P:青山春樹

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突然京都方から洗浄線に「ひので」号が入線してきたので 慌ててカメラを構えた。 '63年頃 向日町運転所 P:木田明生

都電31系統

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古い写真帳を広げていたら東京駅丸の内側で撮った都電31系統の写真が出てきた。都電の廃止が始まった1967年より廃止が始まり、全廃の危機を感じて都内を撮り歩いた中の一枚で、現在復元中のレンガ造り駅舎や旧中央郵便局が写っている。 '67.11.19 丸の内南口 P:中島正樹

「つばさ」は北へ

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お盆の帰省客を満員にして秋田へ旅立つキハ181系。 '76.8.12 鶯谷付近 P:川瀬 剛

臨時急行「加賀」

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多客時に運転されていた臨時急行「加賀」。重連のパーイチに牽引される長大な客レは移動手段の主役が鉄道であった証です。 '75.10.10 新疋田-近江塩津 P:石地康司

渓谷に汽笛が響いて

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DC化される直前であったが、まだC11の混合列車が走っていた。友人に誘われて急斜面を下り大川の河原から鉄橋を見上げてみた。絶壁のトンネルに続く鉄橋は期待通り雄大な光景を見せてくれた。 '67.3.19 会津線桑原-湯野上 P:中島正樹

C57牽引臨時列車

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鹿児島区のC57が牽く集団就職の臨時列車が走ると聞いてポイントで待った、美しい門デフ付きのC57が飛び立つ鳥のように見えた。 '74.3.22 楠ヶ丘信号場-青井岳 P:服部基寛

武田尾渓谷のC57

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万博臨の返却回送が走るというので自転車に乗り武庫川渓谷を目指した。渓谷の入り口に自転車を置き徒歩で渓谷を遡る。待つことしばし、曇り空の下をC57 152が勾配を駆け上ってきた。 '70.5.5 生瀬-武田尾 P:石田哲彦

最後の三重連

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特別なご好意で、布原信号場の田野助役官舎に一泊。助役さん手造りの朝食に舌鼓!「いいのが撮れるといいなあ」と白い手袋を着け、清々しい表情でホームに立ち最敬礼! 私もまだ水の冷たい川に足まで浸かり、鉄橋の真下で気合を込めてシャッターを切った。 '72.3.14 伯備線 布原信号場〜新見 P:中浦秀和

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感慨深げに最後の3重連に白手袋で見送った田野助役は帰宅し、奥様、我々と記念撮影した。 '72.3.14 布原信号場 P:中浦秀和

軌道試験車

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「夢の超特急」実現に向け試運転前線基地の鴨宮。試験編成と黄色い車体の軌道試験車が並ぶ。はるか遠くは酒匂川に掛かる国道一号の橋。広々としていた半世紀前の景色。 '62.11.3 鴨宮基地 P:青木一郎

難所に挑むC12

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ここ明知線はC12にとって厳しい勾配が続きます。盛大な煙を立ち昇らせて阿木駅を発車した230号機が、力を緩めることなく懸命の力走を続けます。のどかな山間の中、C12のドラフト音がいつまでも続いていたのが思い出されます。 '73.9 阿木-飯羽 P:森 潤宏

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DL化直前の撮影です。山都駅午前7時42分分発のD51牽引貨物列車はまだ、朝もやの残る一の戸橋梁を峠に向かって猛烈にダッシュして行きました。道路からは通学途中の数人の小学生が機関車に向かって手を振っていたのが印象的でした。 '72.9.26 山都 P:武者秀男

八ヶ岳山麓の汽笛

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小海線の定番ポイントと言えば小淵沢の大築提と、ここの清里〜野辺山の鉄橋。何度か訪れたのですが晴れ渡ったのは一度だけでした。 '71.8 清里-野辺山 P:川瀬 剛

小さな機関区

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模型のように小ぢんまりとした木次機関区、春が来て勤めを終えたラッセル車の脇でC11がウォーミングアップをしています。 '71.4.1 木次機関区 P:石田哲彦

30年前のヒガハス

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今も昔も変わらないヒガハスのお立ち台を行くのは前夜20時35分に青森を発った急行「津軽4号」、黒磯からは宇都宮のゴハチが最終ランナーを務めます。 '82.3.28 蓮田-東大宮 P:幾代 裕

珍車キニ15

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改造荷物・郵便車気動車の宝庫だった四国。生い立ちの異なるさまざまな改造車輌が島内を走り回っていた。その中でもキロハ18から改造された珍車キニ15はユニークな顔つきで特に異彩を放っていた。 '77.8.8 高松 P:寺沢秀樹

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佐渡旅行からの帰り指定券も取らずに新潟駅へ。夏休みで満員状態。車内はクーラーが効いてとても気持ちよく上野までの快適な旅。小学生の頃に乗った東海道を走る151系特別急行「こだま」「つばめ」を思い出しました。初めて乗ったときのあの感動は今でも忘れられません。 '77.8 新潟 P:迫尾 肇