鉄道ホビダス

2011年3月アーカイブ

羽越路の春

110331_dd51.JPG

鶴岡に泊まって庄内交通や周辺を撮り歩いた。スカッと晴れて鳥海山や月山は良く見えていたが、ここ赤川河川敷からは残念ながら見ることが出来ず、菜の花を取り込んで「日本海」を撮った。 藤島-鶴岡 '70.5.9 P:中島正樹

思川を渡る

110331_c50.JPG
東北本線と分かれた両毛線は市街地を抜けると広く開けた思川にさしかかる。C50が日差しを一杯浴びて堂々と旅客列車を牽く姿は、ここがとても東京近郊とは思えない光景だった。 '64.11.22 小山-思川 P:中島正樹

整備中

110331_d51.jpg
厳しい常紋越えの仕事を終えましたが、休む間もなく次の仕事に備えて区員の整備を受け、折り返し峠越えに挑みます。 '73.3 北見機関区 P:吉葉富雄

110331_kitahamai.jpg
流氷のオホーツクを行くキハ27+キハ40。当時は普通に見られた冬の光景だった。今は国鉄急行色キハは引退し、流氷がここまで海を覆い尽くすのも稀なことになってしまった。 '83.3.2 北浜-原生花園 P:小林哲哉

クモニ83の指定席

110331_kumoni.JPG
下関駅3・4番線ホームの、関門トンネル側端には、短い引き込み線があり、そこは、湘南色「クモニ83」の指定席でした。 '78.1.15 下関 P:小林慎治

110330_numakunai_267.jpg

C60の重連旅客列車が補機の基地、沼宮内を発車、十三本木峠の難所に挑みます。東北本線の全線電化を秋に控え、画面の左下には砕石の山が見えます。 '68.4.3 沼宮内 P:高橋孝一

1527列車快走

110330_1527.JPG
1527列車を網走湖バックに撮るはずが白煙で隠れてしまった。オロハネが入った編成は何度みてもいい。 '74.3.1 女満別-呼人 P:宮山幸雄

D51のねぐら

110330_niimi.JPG
布原信号場の2492レを撮影したあとに新見機関区へよりました。火を落していたのも何輌か含めてD51・C58が顔を並べていました。 '71.1 新見機関区 P:川瀬 剛

EF13と特快

110330_ef13.JPG
期末試験が終わり、新幹線博多開業ダイヤ改正で変わる列車を東京周辺を主に撮影したときのもの。EF13貨物列車と101系特快をうまく並べることができた。 '75.2.15 中野-高円寺 P:宮山幸雄

朝の一仕事

110330_ed71.JPG
仙台までの朝の通勤列車を仙台運転所まで回送するED71。仙台駅を出ると右に大きくカーブし本線通過の場合は通常、写真の一番右の線路を走行していきます。 '77.1.1 仙台 P:武者秀男

C58発車

110330_c58.JPG
羽越本線での撮影後、仙台に帰る急行「千秋2号」を待ってる間に撮影しました。7171レを3回撮影しましたが、いつも迫力ある発車シーンを演出してくれました。 '71.9.15 新庄 P:武者秀男

老兵いるの里

110328_9600.JPG

羽越水害で沿線の荒川水系が氾濫した1年後に訪れた米坂線。羽越本線から分岐するこの辺りにはそれらしい痕跡は見られず、いつも通り9600が元気に走ってきて一安心した。 '68.8.3 坂町-花立 P:中島正樹

キューロク重連

100401_9600_2_aoki.jpg
まだ構内の外れだが意外にも速度を上げてやって来た。あいにくの曇り空の下、17時30分の発車では光量不足で場所選びの余裕がなかった。熊本発宮地行き1727列車。 '70.5.3 熊本 P:青木一郎

汽車は出て行く

100401_izumosi_hama.JPG
D51 1号機がC56、C57と共に出雲市駅を出発して行く光景を撮影しました。「SLブーム」で駅構内には鉄道ファンはもちろん、家族連れが多く見られました。 '72.8.20 出雲市 P:浜 忠彦

函館行き122レ

100401_d51_kamimena.jpg
C62重連の「ニセコ1号」の撮影後、普通列車を待った。雪が激しく降り出し線路は全く見えなくなった。ジェット音のC62と異なり単機の牽引による素晴らしブラストが聞こえて来た。出来るだけ引きつけてシャッター切った。目の前を通過したときの体の中にまで響くブラストは、トンネルに入る手前の汽笛まで私の録音テープに記録された。 '69.1.3 目名─上目名 P:小西 明

昼下がりの奈良運転所

100914_.nara.jpg
蒸機終焉の頃、ここ奈良運転所にはまだ15輌のD51とC12が1輌、在籍していました。蒸し暑い日の昼下がり...次の貨物列車を牽引待ちしているD51を駅構内から眺めることができたよき時代でした。 '72.6.16 奈良 P:山手 修

迂回「つばさ」

HDPEPhoto0084.jpg
奥羽本線の山形県内土砂崩壊により陸羽東線への迂回運転中のキハ181が鳴子駅を通過して秋田へ向かう。 '72.1 鳴子 P:新井晃司

暮れの能登路

100401_c56_notoanai.jpg
年末、友人と能登に出かけた。大晦日には帰宅しろと家族に言われていたので、金沢から寝台急行きたぐにの狭い3段ベッド上段に収まったが、電球に体をぶつけて割ってしまったのを覚えている。 '73.12.30 能登三井 P:齋藤孝行

南国のクイーン

100401_df50_miyayama.JPG
この頃、蒸機ばかりのなかでDF50牽引+20系客車の特急「富士」は新鮮に感じられた。色灯式信号機には変わっていたが相変わらずのタブレット交換だった。 '73.8.30 田野 P:宮山幸雄

110325_yokokawa.jpg
横川駅下りホームでEF63を連結する見慣れた風景だが、もう40年以上も前のこと。この年の夏、東京-中軽井沢間に運転された臨時急行「碓氷」、真新しい大きなヘッドマークも、なつかしい。 '66.7.23 横川 P:高橋孝一

大雪の日

110325_kiha.jpg
雪まみれのキハ22が到着。悪天候でも黙々と業務を行う係員によって列車運行は確保されている。撮影後、この列車の乗客となったが、途中で吹き溜まりに突っ込み立ち往生、真冬の北海道の厳しさを実感することとなった。 '83.2.16 京極 P:寺沢秀樹

110325_D51_1296.jpg
遅い夏休みを取ってやってきた9月の北海道。観光旅行に徹するつもりで来たものの、車窓から見えるカマの姿に心が動き、北海道最後の2日間は室蘭本線での撮影に予定変更。終焉へのカウントダウンの始まったD51の姿を追った。 '74.9.6 
栗丘-栗山 P:鈴木博之

ED62発車

110325_ED62.jpg
小坂井駅を発車し名鉄との共用区間に向かうEED62 1牽引の貨物列車。高く積み上げられた廃タイヤが時代を映している。 '78.1 小坂井 P:楢井勝行

下町の貨物線

110324_odd51_onagigawa.jpg
亀戸〜小名木川貨物駅、後ろは高速7号線で都内で架線のないDD51の貨物線区が珍しいと思っていましたが、あまりにも近くにあって試し撮りしたこの一枚しか残っていません。「もう少し撮影しておけば」と今になって後悔しています。 '75.10 亀戸〜小名木川貨物駅 P:吉葉富雄

ドライブの途中で

110324_kiha_etsumihoku.jpg
ドライブ途中に寄っただけなので、撮影の記憶が全然ありません。北濃駅で2本の並びは珍しいかも、と改めて写真を見ると、奥の団体列車はキユニ2816でした。 '86.8 北濃 P:赤座安彦

110324_151_hato.jpg
ダイヤ改正に伴いこの日から「はと」のみだが小田原は特急停車駅になった。行事風のものが何も見えない寂しい初日。東京発大阪行5M、特急「はと」。 '61.10.1 小田原 P:青木一郎

EF60牽引の臨時列車

110324_ef60_kamtabori.jpg
富士宮へ向け数多くの団体臨時列車が運転されていた身延線。ゴハチの牽く客車を目当てに待っていると、やって来たのはEF60。がっかりしたが、今思えば希少価値がある。 '81.3.13 竪堀-入山瀬 P:佐々木裕治

初めて見る蒸機

110324_D51_357.jpg
中学最後の春休み、友人と一緒に北海道撮影旅行へ。初めて間近に見る蒸機の迫力に圧倒されました。 '74.3.22 栗丘 P:吉川 明

110324_101_ome.JPG
長い間ED16の独擅場だった青梅線。しかし、時には101系のオレンジも梅の里にはよく似合っていた。 '74.3.31 石神前-二俣尾 P:中島正樹

110323_tibojiri.jpg

夏の四国へ鉄道の旅に出かけた。この日は土讃本線に乗車して秘境駅訪問。山間に設けられたスイッチバックの坪尻駅で途中下車し、周辺を散策後、しばらくしたら次に乗る普通列車が峠越えのトンネルから姿を現した。 '83.8.22 坪尻 P:鵜飼功一

110324_c50.jpg
夕方になると参宮線用の客車入換えのため、C50が活躍していた。ヤードや駅構内を動き回るマスコット的な存在だった。 '72.1.7 P:石地康司

DD53力走

110324_dd53.JPG
亜幹線及び除雪車兼用として開発されたDD53。わずか3輌しか製造されなかったため、出会う機会は少なかったが羽越本線で黙々と貨物を牽く姿を何度か見ることができた。 '69.5.4 新発田-加治 P:中島正樹

須磨浦のEF58

110324_EF58BT_suma.jpg
有名な撮影地ですが、海を大きく入れて撮るのは難しい場所です。この写真は仕事の関係で一般の人が立ち入れない場所から撮ったものです。仕事関係の機械や景色の中に埋もれていた一枚です。一般の人が入れない場所なので永らく封印していましたが、その施設も撤去されてしまったので、投稿しました。 '78.9.26 塩屋-須磨 P:山口龍次

鉄道少年の頃

110324_ef60.jpg
鉄道少年になった頃は、特急列車をお目当てに、東京、上野などに通った。この頃のブルートレインは、EF58に代わりEF60形500番代が牽引していた。<みずほ>が到着し、機回し中の作業をとらえた一枚。 '64.7.20 東京 P:高橋孝一

朝日を浴びて

110324_EF58_koza.jpg
就職を控え学生時代最後の思い出にと、電化され新たな職場を得たEF58を求め紀勢線へ出かけた。朝日を浴びて古座の鉄橋を行く通勤通学列車の美しさは、今でも忘れられない。 '81.3.10 古座-紀伊田原 P:佐々木裕治

頼もしき老兵

110324_49601.JPG
無ダイヤ状態の猛吹雪の中、発車して行く9600。 74.1 抜海 P:川瀬 剛

DD14との出会い

110324_dd14.jpg
北海道撮影に行くなら、母の実家にもよって行けといわれ、稚内に来たのは1969年9月。朝のC55を撮影すると、特に行く所もない。ダイヤを見ると、貨物は稚内まであるので、すべて9600だと思って待っていたら、来たのはDD14 5だった。なじみのない機関車だけに、最初見たとき何が来たのかと思ったほどだった。多分9600は南稚内までで、その先は稚内の先に、貨物扱いの操車場があり、入換えをかねて、牽引機が変わったのだろう。今見ると2軸貨物ともども、懐かしい編成である。 '69.9.30 稚内 P:志井純一

発車前のひととき

110324_baureihe50.jpg
発車まであと10分ほど。当駅始発のこの列車へ乗り込む人達の中に知人を見つけた嬉しい一瞬。冬の北国で曇天、正午過ぎというのに足の動きもブレるほどのスローシャッターしか切れなかった。機:052 339-9。 '75.1.3 西ドイツ ラウダ P:青木一郎

3800系更新車

110324_meitetsu.JPG
一時は名鉄の主流だった3800系。車体更新をした車輌。 '85.8 名古屋鉄道名鉄本線 須ヶ口 P:田原栄一

110323_shirahama.jpg
土曜日運転の難波発白浜口行き座席指定急行「臨時しらはま」号は南海電鉄のサハ4801、1輌のみであるが、難波から和歌山市までの南海本線はモハ2001形が牽引、特急ダイヤで疾走。和歌山市から東和歌山(現・和歌山)までの3.3kmはC57が牽引、和歌山で天王寺からEDF52などが牽引してきたスハ44系による「臨時しらはま」号と併結、引き続きC57が白浜口まで牽引した。和歌山市・東和歌山間は短区間ながら客車1輌のみという、これ以上考えられない最短編成の蒸気急行列車で、しかもこの編成での運転区間も、最も短い距離であると思われる。しかも途中、和歌山市-和歌山(現・紀和)場外の国社分界点までの1.6kmは南海電鉄の国社連絡線だったので、写真の列車は南海電鉄の営業列車ということが言える。一般に大手私鉄で最後まで蒸気運転を行っていたのは東武鉄道と思われがちであるが、和歌山市駅まで国鉄紀勢線や和歌山線の蒸気列車が乗り入れていたため、東武鉄道よりかなり後まで南海電鉄は蒸気の動力認可を受けていたのである。「臨時しらはま」号の客車運転は昭和43年3月の改正で姿を消した。 '66.8 南海電鉄 和歌山市 P:永野晴樹

小雨にぬれて

110323_C56.JPG
中学の卒業式を終えて すぐに寝台特急「出雲」に乗り込んで始めての山陰本線の撮影旅行に出かけた。小雨の浜田駅構内でC56が忙しく入換作業をしていた。 '74.3.17 浜田 P:新川 裕

遠い日の夏休み

110323_jomon.jpg
写真を撮ったとき、手前のD51の機関助士さんに、生田原までキャブに乗せてやると言われました。しかし荷物を離れた場所に置いてあったので諦めました。残念でした。中学1年、夏休みの思い出です。 '73.8 常紋信号場 P:佐藤圭樹

C61 20

110323_c6120 .jpg
現役時代のC61 20号機です。東北から来て間がない時期に撮影したものなので、補助灯がついたままです。 '72.3.30 宮崎機関区 P:山本順一

後補機仕業準備完了

110323_c58.jpg
無煙化直前の播但線。この日は訓練のためか運悪く本務機はDD54だったが、後補機のC57 93は威風堂々としていた。 '72.9.23 姫路 P:西田達哉

新旧交代

110323_amarume.jpg
羽越本線の電化完成で走り始めた最新鋭のEF81と最後の活躍を見せる陸羽西線のC58。この時期新旧交代のシーンが各地で見られました。 '72.8 余目 P:本荘裕二

110323_498.jpg
1972年10月29日に八高線で運転された記念号を浅川橋梁で撮影しました。この498号機、現在も活躍中なのは嬉しい限りです。 '72.10.29 八王子-小宮 P:塚本英晴

110323_ef15.jpg
歩き疲れて、ここから電車に乗ろうと上熊谷駅のホームに上がると傍らをEF15がモーター音を響かせて貨物を牽いてきました。当時は、貨物と言えばEF15が定番の高崎線でした。となりのホーム側は、今はなき東武熊谷線です。 '67.6 熊谷─籠原 P:大澤 彰

110323_dd54.jpg
DD54が牽引する「汽車」が当たり前のように発着していた姫路駅から生野へ行く途中の福崎駅で上り「はまかぜ」と交換。なんの感動もなかった駅撮り写真が今とても愛おしい。 '77.5.3 福崎 P:八木雅弘

急行連絡船

110323_hoba.jpg
高校生時代四国旅行に行った際の1コマです。いつか必ず急行連絡船に乗ってみたいと思っていましたが、夢はかなうことはありませんでした。 '79.8 宇高連絡船 P:齋藤功郎

110311_ef566.JPG
出区の時刻が来た。旗が振られて短笛一声、制動緩解。電動機が唸り、線路が軋む。鉄道現場に漂う緊張感が胸に迫る。 '74.10.11 田端機関区 P:井芝七路

大築堤を行く

110311c55_.jpg
筑豊本線最大の難所である冷水トンネル手前の大築堤を喘ぐように登る740レ。西日に輝くC55 19のスポーク動輪が美しい。 '69.5.2 筑前山家─筑前内野 P:鈴木博之

寒風

110311_8620.jpg
鰺ヶ沢駅から少し歩いた場所で1739列車を待ち構えました。海からの潮風が顔面にあたりながら寒さに耐えたかいがあり、長い混合発車の発車シーンを撮影することが出来た思い出の写真です。 '71.3.16 鰺ヶ沢 P:鈴木一平

110311_Gotoji01.jpg
いきなり私の前に車が停車。中から男が降りてカメラを向けている。私は「どいてぇ〜」とも言えずただぼう然とするだけだった。とりあえずシャッターを押したのがこの一枚。あの時はムカついたが、時が経ち改めて見返すと日産チェリークーペと短パン男が懐かしい。 '73.8 後藤寺─船尾 P:都築雅人

タブレット

110311_d51_yobuno.jpg
通過するD51のキャブからタブレットを手にした乗務員が身を乗り出して、線路脇に立つタブレット受けとの間合いを図りながら見事に投入。熟練の技です。 '72.5.6 呼野 P:永井修二

110311_d51_hachiouji.jpg
八高線から蒸気機関車が引退、綺麗に磨かれたD51 515がさよなら列車を牽引しました。雨の中、大勢のファンが名残を惜しみました。 '70.10.4 八王子 P:塚本英晴

小駅にて

110311_isekashiwazaki.jpg
終焉近いキハ81を姿勢正しく見送る駅員の姿が印象的。十数年後にキハ82を追って再訪した際は貨車を改造した無人駅舎。さて今は? もう二度と訪れることはないだろう。 '78.5.28 伊勢柏崎 P:八木雅弘

「雷鳥」往来

110311_583.JPG
撮影当時、頻繁に通る「雷鳥」は食傷気味で、カメラを向けないことのほうが多かった。引退と聞いて信じられませんが、永年本当にお疲れ様でした。 '80.10  新疋田─敦賀 P:南 浩之

110311_D5125.jpg
このころはまだ大阪市内を走る城東貨物線はD51やC58が多く走ってました。撮影を始めたばかりのころの写真ですが、ハーフサイズのデミSでもきれいに写っていました。 '70.3.21 吹田付近 P:山本順一

resize0036.jpg
3か月後に電化を控えた中央西線の夕間暮れ。デゴイチの発車を待っていると、特急「しなの」と木曽福島名物デフ付きC12 199が運良く並んでくれた。 '73.4.2 木曽福島 P:古澤成博

toko110213_003937.jpg
大学受験を控えていたが高3の夏休みに信州周遊券を使って中央西線、飯山線と同時に回ったときのもの。新宿から野辺山まで休日運転されていた臨時「八ヶ岳号」を八ヶ岳をバックに撮影した。 '72.8.12 野辺山〜清里 P:宮山幸雄

naritayuki .jpg
上野、取手間はゲタ電から交直の電車や電機、さらに気動車、蒸機とバラエティに富んでいた。上野発の我孫子経由成田行きが北小金への台地にさしかかる。機:C58 29。 '64.5.3 馬橋〜北小金 P:青木一郎

京都駅のC57

110301_.jpg
山陰線・京都口から蒸機が消えて約1年後。東海道本線をC57の臨時列車が走るとの情報。インターネットなどない時代。当時、中学生の私。どうやってこの情報を得たのかな? '72.4.9 京都 P:小巻真司

成田臨

19680407.JPG
成田山新勝寺のご開帳で走った成田臨。初詣の成田臨同様、上野からは常磐線我孫子経由で成田線に入る。常磐線を走るこの区間は雑木林や松林が連なり、市街地化はまだ始まっていなかった。 '68.4.7 我孫子-柏 P:中島正樹

新宿発の鈍行列車

EF64kohenji.JPG
昭和50年3月改正で東京近郊から消えたものの1つに中央線の客車列車がある。新宿発12時08分の423列車、一つ山越し、二つ山越し松本めざす。最後部にはマニ60が1輌。 '75.1.26 高円寺 P:井芝七路

DD54力闘

IMG_0029.jpg
高1の夏休み初めてこの地へやってきた。友人と二人で始発に乗り遠い道のりを歩いた。定番の場所には入ることが出来ず、大福トンネルの上から631レを狙った。凄まじい音と共にDD54は走り抜けて行った。 '77.8.15 長谷-生野 P:野々村康久