←その1 その3→
手結可動橋に見てから約一ヶ月後のとある週末、さらなる可動橋を求めてに新幹線に乗った。目指すは三重県、四日市である。
驚くほどひと気のない関西本線四日市駅から歩くこと約10分、目的の末広町にはあっけなく着いた。初めて足を踏み入れた通称:四日市港線界隈は、手元の地図に描かれた何本かの側線こそなかったものの、倉庫の向うからDD13が紫煙を上げて出てきそうな、一昔前の“臨港線”の風景が残っていた。
第一の目的、末広橋梁。昭和6年架橋にして重要文化財。さすがの貫禄である。可動する桁は長さ16.6m、タワー部分は高さ15.6mだそうだ。なにより現役であることが素晴らしい。本誌でも何度も紹介された可動橋界?の重鎮であるが、実際に目にするのは初めてだ。この橋の向うは千歳町という運河と海に囲まれた“島”。この橋が下りない限り、列車は島に出入りできない。列車の来る時刻の目星はつけてきたものの、本当に来るのだろうか。列車を見に来たわけではないが、列車が来ないと橋も下りない(日曜日は逆に下りっ放しと後に知る)。もし運休ならば諦めるしかないと思って辺りを見回す。
橋の両側に備わる防潮堤の扉。運河の両岸に通じる道には全て防潮堤の扉があるが、線路も例外ではない。両側の信号のようなものはなんだろうか。
桁の中央に付く山本工務所の銘板。素晴らしい。
千歳運河対岸の千歳町側を見る。現在は橋を越えたところから右にカーブしているが、少し古い地図によると、以前は直進する線路もあり、この先に平面クロスがあったようだ。
可動部分を真横から見る。タワーを介してワイヤーで操作する構造が分かる。それにしても土曜日のせいか船は全く通りかからない。そんなわけで背後にある第二の目的である橋は、末広橋梁とは逆に開く気配がない。
第二の目的、末広橋梁と並んで掛かる臨港橋である。ここは現役の可動橋が並んで掛かるという、素晴らしい場所なのだ。もっとも、こちらは1991(平成3)年竣工と書いてあり、末広橋梁とは対照的に、いたってシンプルなデザイン。開閉も油圧ジャッキによる。これは3代目だそうで、初代の橋は1932(昭和7)年架橋だったそうだ。
袂に備わる警報機と遮断機が可動橋であることを主張する。右手に見える建屋が操作室(管理棟と書いてあった)。残念ながら船は一向に来ないが、操作室には人がいるので土曜日でも開くことはあるのだろう。これが開くところを見たかったのだが…。
臨港橋から見た末広橋梁。つまり可動橋から見た可動橋である。こんな調子でカメラ片手にウロウロしていると、1台の自転車が末広橋梁の袂の小屋に近づいていくのが見えた。 (つづく)
その2 末広橋梁と臨港橋
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