倶知安付近は羊蹄山の麓にあり雪深い地域であり、峠越えの上りD51は噴煙を高く上げて急勾配を登る姿は迫力満点でした。 '70.3 倶知安─小沢 P:中川弘一
2011年10月アーカイブ
シラス台地の絶壁を見上げながら霧島神宮へと登るC57。秋の日差しに白煙がまばゆく光る。 '73.11.3 国分-霧島神宮 P:木村信夫
この頃、快速は東京発6:55から23:00まで。その前後の時間帯の各駅停車には、緩行線用の黄色い101系も使われていた。何気なく撮ったひとコマからそんな記憶が蘇る。 '75.8.27 東京 P:井芝七路
5月というのに、停車するC58の背後の林は葉を落とした立木のままで、北国の春の遅さを実感したものです。 '75.5.2 網走 P:永井修二
足尾線にはC12の重連以外にC12+C50との重連もあった。ただし、桐生-大間々間の片道だけで、C50は逆向きであった。それでも、珍しい組み合わせなので何回も追っかけた。 '69.1.16 相老-大間々 P:高橋孝一
博多〜別府間2往復の急行「由布」は豊後森と筑後吉井で上下列車が交換するダイヤに組まれている。朝の下り「由布1号」はここ豊後森で上り「由布2号」と顔を揃える。「由布1号」は日田で、直方から黒崎・小倉回り日田彦山線経由由布院行快速「日田」を併結してやって来る。7・8輌めがそれで直方気動車区自慢のキハ66・67の運用である。この日はこの列車に朝の宮原線仕業を終えた回送のキハ40が頭に付いて8編成となり、各車のエンジンが唸りをあげて迫力ある出足で豊後森を後にした。 '84.11 豊後森 P:小野和俊
直方機関区の見学は毎週金曜日14:00〜15:00の1時間。拓本取りや撮影に大忙しの鉄友。元気にしてるかなー。 '72.8.4 直方機関区 P:石地康司
呉線は急行「安芸」ほか、「音戸」、「ななうら」(43・10以降は「音戸」に編入)が蒸機牽引の優等列車だった。牽引は糸崎機関区のC59、C62である。機関区を訪ねると、これから、急行「安芸」の仕業につくC59 162が整備を終えて待機していた。 '70.9 糸崎機関区 P:中川弘一
一晩で天気一変。眩しい白銀の眺めのホームにクハ47先頭の上りが進入。上野まで乗って帰る間、各駅に律儀に止まる長旅で尻が痛くなった思い出。単線時代の湯檜曽駅にて。 '63.2.10 湯檜曽 P:青木一郎
夏の恒例行事であった昭和天皇の那須御用邸でのご静養のお供は157系。ご到着前の緊張が漂っていた。 '77.7.11 P:高橋卓郎
1日の仕業を終え、機関区で火床整理をするD51。その横では一足先に帰ったC55が休む。時折響くコンプレッサの音を聞きながら、蒸気機関車の息吹を感じた。 '73.1.5 吉松機関区 P:木村信夫
平日の昼間、南武線の浜川崎方面から登戸までC12の牽く貨物列車が1966年8月14日まで走っていた。途中、矢向・溝の口・宿河原駅等によって登戸駅わきの民間工場まで。駅で休んでいる姿はよく見たが走行中の姿は記憶がない。 '66.5.7 宿河原 P:迫尾 肇
オリジナルなEF58を貨物用に改造した機関車EF18。浜松機関区所属で通常は島田付近の小運転に従事していたが、この日は珍しく大船で見つけた。早速近づくと折しも半流線形のEF58が脇を通り抜けて行った。 '63.11.27 大船 P:中島正樹
低温快晴無風、絶好の撮影条件。D60が猛り狂う形相で這い上がってきた。が、しかし...なんと、盛大な煙が背景の由布岳を覆い隠して...、オーマイガッド! '70.1 野矢─由布院 P:藤田高士
この年の紅葉は遅く、12月になってようやく見頃を迎えた。午後の斜光線に映える紅葉の保津峡に806D 急行「白兎」がやってきた。 '77.12.4 亀岡─保津峡 P:鈴木博之
現在では、EH10 50とEF15 105のいる線は湘南新宿ライン、C11 277のいる線は上り貨物線である。相模線のホームの末端にはこの頃の面影が今でも化石のように残っている。 '65.3.21 茅ヶ崎 P:長谷川武利
末期は、福島-白石の区間列車や福島-金谷川上り列車の補機として活躍していたED71。ミニ周遊券を持ち福島駅で二晩徹夜を敢行。深夜、僚機29号とともに福島駅4、5番線を塞いで束の間の休息をとる一次型12号。運転士氏もベテランの相貌。 '81.8.10 福島 P:平蔵伸洋
宇部線は、市街地や田園など、いろいろな風景が凝縮されていて、鉄道模型のレイアウトみたいでした。そして、撮影ポイントを探して、ひたすら歩きました。 '81.2.8 岩鼻─居能 P:小林慎治
善光寺平を見渡せる蒸機時代からの有名なお立ち台でEL、ECを数カット撮影した。紅葉真っ盛りの秋晴れの中、EF64は軽快に通り過ぎて行った。 '77.10.30 桑ノ原(信)─姨捨 '77.10.30 P:武者秀男
新雪の冷水峠の大舞台。この日の主役D60三重連の登場まであと20分。先導役としてC55牽引の露払い列車が颯爽と現れた。 '71.1 筑前内野─筑前山家 P:藤田高士
東北本線盛岡以北の電化を秋に控えたこの年5月、三重連の組成基地沼宮内を訪問。三重連の圧倒的な発車シーンを堪能する中、D51のトップナンバーの入換えを撮影。駅構内も電化工事が進んでいたが、まだ架線が張られてないのが撮影にとっては幸いであった。 '68.5.5 沼宮内 P:高橋孝一
朝日を半逆光に浴びて発車するC57は、凛とした気品が漂うようで好きである。この日も晩秋の朝日を浴び、排気した蒸気を足回りにたなびかせ、一気に加速していった。 '1971.10.23 日向山 P:木村信夫
お召列車が東海道本線を下る日、早朝より大船電車区の先で待機。本命が来るまで朝の列車を片っ端から撮っていた。その中でひときわ華やかだったのは大きな窓のパーラーカーを連結した下り特急「第1富士」151系だった。 '63.10.24 大船-藤沢 P:中島正樹
オホーツクの冬。流氷が押し寄せて一面の氷原となった。寒風を突いてC58牽引の混合列車が行く。 '70.3.26 北浜─浜小清水 P:中川 弘一
「鉄道少年」だった中学1年生になった4月、EF57を駅撮り。後姿の、腕章を巻いた機関士はこれから乗務するのだろうか。「フジペット35」という富士フィルム製のおもちゃのようなカメラで撮った一枚。 '60.4 高崎 P:高橋孝一
小樽-札幌間は通勤・通学等で列車本数が多い幹線。当時は総て蒸機列車で運転され、C62を始めC55、C57、D50、D51と車種も豊富だった。断崖が海岸まで迫る厳しい地形で下車した張碓駅もすでに廃止になっている。 '67.4.30 張碓-銭函 P:中島正樹
夕方の吉松行き普通列車はC55、C57の共通運用でどちらが来るかわかりませんでしたが、この日は運良くC55 52号機でした。 '73.8 青井岳─田野 P:吉葉富雄
松本清張の「砂の器」が上映された後 ロケ地、亀嵩へ行ってみたくなり出張の途中に強引に山越えをしてたどり着きました。30年程たった今、有名になった「そば」を食べにまた訪れたいものです。 '81.10 亀嵩 P:林 信彦
なんとか海を前景にして写したい...、探し回っているうちに列車の通過時刻がどんどん迫ってきて、結局このとおり。(C57 101の牽く客544列車) '73.3.7 岡見─鎌手 P:柿浦和敏
吉松駅へ進入する、肥薩線の雄・急行「えびの」。折り返し大畑越えの難所に挑む。 '85.12.27 吉松 P:岩切道郎
最初で最後になってしまった夕張線行で初めて広角28mmを使った一枚。さわやかな夏の一日、ギースル煙突のD51が炭砿へ向けて通り過ぎていきました。 '75.8 川端─滝ノ上 P:高橋弘喜
30年前の呉線では、EF15のあとを受けてEF61が貨物列車を牽引していました。使い方を覚えたばかりのコダクロームをカメラに詰めて、自宅から自転車で1時間かけて撮影に行きました。まだ水尻駅ができる前の海岸線だった頃の水尻バス停付近での1コマです。 '78.11.22 坂─小屋浦 P:綿崎真澄
発車間際になって突然の吹雪。のどかでかわいい(?)イメージだったC56の違った表情を見ることができました。 '73.2 和倉 P:正垣 修
お召列車運転日は雨の日が多く、山梨県で開催されたかいじ国体への行幸もまた雨。しかし、晴れていれば光線状態が悪くて撮れなかったであろう笹子峠への登り区間、しっとりとして威厳のあるEF64を見ることが出来た。 '86.10.11 初狩-笹子 P:中島正樹
奥羽本線の陣場─津軽湯の沢ー碇ヶ関は25/1000の急勾配であり貨物,旅客ともD51の補機が必要であった。写真は、D51 1+D51+貨物+D51の編成で急勾配を登るハイライトシーン。 '70.3 陣場─津軽湯の沢 P:中川弘一
天候に恵まれたこの日の締めくくりの撮影は、西に傾く太陽に赤く染まり始めた混合列車だった。 '74.3.27 北浜-浜小清水 P:田中一弘
首都圏にありながら短い車輌と短い編成。朝晩はともかく乗客のいない昼間はのどかなローカル風景。「国鉄時代№27」で同じ位置からの写真を見つけ、懐かしや。手前:クハ16500。 '63.3.26 武蔵白石 P:青木一郎
蝉しぐれの中、夕刻迫る青井岳の山々に門デフC57 65〔宮〕のブラスト音が響き渡る。かつての特急牽引機最晩年の威風堂々たる姿は感動的だった。 '73.8.7 青井岳 P:古澤成博
オハ61系客車2輌を牽いてきたC11 192の機回し風景。1日3本の列車を迎える終着駅だった熱塩には今も駅舎とホームと桜の木が残り、「SLばんえつ物語」号撮影の折返し時間に訪ねるのが楽しみである。 '74.4 熱塩 P:小林哲哉
発車まで時間があったので、妹を車内に残し、ホームに降りて写真を撮りました。ベルが鳴り出したので、最後に妹を写し、乗車しました。 '78.3.21 小倉 P:小林慎治
朝日が昇る大村湾を背景に撮ろうと、駅に着くと同時に撮影ポイントまで走りに走り、ギリギリのタイミングで撮影に間に合った思い出の一枚です。 '71.3.28 大草─東園 P:木村信夫
国鉄最西端の駅平戸口駅。8620とC11の列車交換です。共に客車というところが豪華です。最近平戸口に行ってきました。ホームの雰囲気は変わっていませんでした。 '71.8.4 平戸口 P:平林寛信
東北・高崎各線の列車がひっきりなしに行き交う赤羽。かつては貨物用側線のある広々とした駅だった。構内を横切る踏切は、線路を8本も9本も越えなければならないから大変だ。 '75.5.22 赤羽 P:井芝七路
キハ183系ディーゼル特急の全盛となっていたが、地平ホーム時代の煤まみれの跨線橋が懐かしい。「おおぞら」と「北斗」。 '85.7.8 札幌 P:迫尾 肇
折からの北海道ブームに「SLブーム」。急行「しれとこ」も混成長編成で活躍。ただし小さい駅ではホーム乗降はグリーンと指定席車だけ、あとはホーム外乗降。普通列車から降りてくる地元の皆さんは、急行が発車するまで改札に行けません。 '71.7.30 茅沼 P:江川智和
特に狙っていた記憶はないのですが...。JR発足の足音が聞こえてきた頃でした。 '86.5.3 P:
須崎雅宏
奥の細道行脚をした松尾芭蕉が松島の光景を見て詠った俳句、「松島や、ああ松島や松島や」。風光明媚な松島湾に並行して走る東北本線。ED75も昨今はめっきり見かけなくなりました。 '76.9.5 東北本線 松島─塩竃 P:武者秀男
標準と望遠の2本しか交換レンズを所有していなかったため、サブに準広角のコダックインスタマチックを中古で購入して持って行ったが、固定焦点・固定シャッターでまともな写真は撮れなかった。フィルムはカセット式のベリクロームパン(ASA125)。 '81.8.11 128レ車内 P:平蔵伸洋
夜行急行「利尻」で着いて利尻富士が見える場所まで歩くが、この日は残念ながらとらえることはできず。南稚内寄りの場所で322列車を撮影。 '74.2.27 南稚内─抜海 P:宮山幸雄
シラス台地の絶壁を見上げながら霧島神宮へと登るC57。秋の日差しに白煙が光り、C57を浮かび上がらせる。 '71.10.23 国分-霧島神宮 P:木村信夫
短い休みだったのでよそ見をすることなく、一目散にやってきた。天気が悪いのも承知の上。あまりいい出来ではなかったが、また来ればいいと割り切った。がその後もう来ることはなかった。残念。 混861レ D51572〔人〕 '67.2.21 P:小西 明
当時のRM誌に載った写真に刺激された先輩に誘われて撮りに行ったものです。先輩、お元気ですか? '86.5.17 鎧-餘部 P:須崎雅宏
当時小学5年生だった私は、土曜日の午後、クラスメイトと上越新幹線の建設工事が本格化した長岡駅で撮影。181系「とき」、70系ローカル、EF15の貨物など被写体には事欠かず。長岡運転所に115系が配属される前で、70系新潟色全盛期です。このクハ68の写真は、GMのキットの組立て塗装にも貢献。貴重なカットです。 '74.12 長岡 P:源川浩和
西鉄北九州線(路面電車)の、手向山トンネルから赤坂電停までの間に、鹿児島本線下り線と併走する「絶景ポイント」がありました。 '79.1.28 門司-小倉 P:小林慎治
国鉄は10月1日に大きなダイヤ改正をおこなっていた。常磐線の平以北の電化による改正もそのひとつ。常磐線からケムリが消えるその前日30日。深夜遅くまで、撮影しまくったあのころであった。 '67.9.30 広野-末続 P:高橋孝一
普段は入換えと相模線貨物のC11だがこの時は客車を牽引しての晴れ舞台。広角の8ミリ回す友人が写り込んでしまった。相武台下発成田行 9924列車 機:C11 326 P:青木一郎
東北周遊の最後は福島交通軌道線に乗るため福島で下車。駅前でカメラの準備をしていると、突然停車中の電車脇から名物の荷物電車ニモ1形が貨物を牽引して街中へ踊り出て来た。咄嗟のことで後追い写真を撮るのがやっとだった。 '63.8.27 福島交通軌道線福島駅前 P:中島正樹
C58 139牽引"大雪くずれ"1521レ。当時中学生の私の蒸機撮影によく同行してくれた今は亡き母が、「SL列車の去り行く姿が好きだわ」と言っていたのを思い出す。 '75.4.4 呼人-網走 P:小林哲哉
西舞鶴機関区にてお召列車牽引本務機のC58 223をバックに記念撮影。予備機は56号機でした。和田山からはDD54 1号機と3号機がお召列車を牽引。この写真は久美浜病院院長の赤木先生所蔵のものをお借りして代理で投稿しました。 '68.10.5 西舞鶴機関区 投稿:山本順一
仙台行き「千秋2号」に乗る前に余目駅構内でC58の発車シーンを撮影。日本海側から吹き付ける風の影響で煙、ドレインとも横に流れてしまった。新庄機関区の蒸気機関車はよく整備された車輌が多かった。 '71.10.26 余目 P:武者秀男
私鉄を含めて4路線が集まる拝島駅、曇天の蒸暑い昼下がりに旧型電関2輌もひと休み。 '74.8.14 拝島 P:長谷川武利