釧網本線ではC11が「SL冬の湿原号」で使用されているが、1975年春までは標津線で定期の貨物列車を牽引していた。雪晴れのしばれる朝、標茶を出発した下り貨物列車C11は、ブラスト高く25‰のSカーブの急坂に挑む。 '75.1.31 標津線 標茶ー泉川 P:中川弘一
標津線の最近の記事
DL化を数日後に控えた標津線中標津駅を力強く発車するC11 224号機。本機は大湊線で惜別列車「さよなら下北号」を牽いたカマで、とても綺麗に磨かれていた。 '75.3.17 中標津 P:古澤成博
道東の酪農地帯を行く標津線。意外にアップダウンが多く、25‰の急勾配も何か所かある。標茶を出た下り列車はいきなり、25‰の急坂に挑む。雪晴れのしばれる朝、C11はブラスト高く上ってきた。 '75.1.31 標茶-泉川 P:中川弘一
厳冬の1月末、日中は標津線沿線で白銀のC11を撮影。駅前旅館で投宿して夜間に機関区を訪れると昼間に見た雪まみれのC11が静かに一時の休息を取り、明日への活力を養っているようでした。 '75.1.28 標茶機関区 P:中川弘一
迎えを待つ少女。煙突からストーブの煙。小さな駅にも人の息づかいが感じられます。 '84.2.23 上武佐 P: 船江 晋
根室標津は標津線の終着駅で、手動式の転車台があった。入口に鳥居のようなものがあり、珍しかった。これからC11 93が転車台に乗ろうとしている。余裕のある構内には短い夏を楽しむように夏草が繁茂していた。 '72.8.24 根室標津 P:高橋洋二
真冬の中標津駅、厳冬の中をC11牽引の貨物列車が夕日を浴びて、白い煙とドレインを吐き出して出発して行きました。駅員さんが凍てついたホームで列車を見送る冬景色です。その後、標津線は廃線になってしまい、今となっては心に残る想い出の鉄道風景です。 '75.1.30 中標津 P:中川弘一
標津線中標津。標茶へ向うC11重連。ローカル線とはいえ貨物本数は多かったが、原野をアップダウンする単純な線路なため、撮影地は少なく、駅での撮影が中心にならざるを得なかった。住宅と町並みが北海道らしさを物語る。 '71.5 中標津 P:志井純一