幌内線の三笠-幌内間では、大正生まれの9600形が貨物列車を牽引して最後の活躍をしていました。この時点でも、追分の9600が日本最後の蒸気機関車になるとは思ってもいませんでした。 '75.7.13 幌内線 三笠-幌内 P:宮城浩志
幌内線の最近の記事
2月の北海道はどこへ行っても真っ白だった。三笠へ到着した下りDCも雪で厚化粧をしていた。 '75.2.8 幌内線 三笠 P:高橋洋二
三笠駅を発車する長大編成の石炭列車。ゆっくりとD51一台で引き出す石炭列車の姿に感動したのを思い出します。 '75.3.20 幌内線 三笠 P:伊藤文昭
三笠に到着した広幅除雪車キ713は29622に押されて駅構内の除雪を始めた。蒸機に推進される広幅除雪車の除雪作業を実際に見るのは最初で最後だった。 '75.2.8 幌内線 三笠 P:高橋洋二
噂に聞いていた長大石炭列車の引き出しを、ひと目見ようと三笠を訪れた。D51 566号機は長い長い発車の汽笛の後、何度も空転しながら強烈なブラスト音を残して見事に引き出して行った。 '75.3.22 三笠 P:古澤成博
幌内駅は、貨物ヤードがあり冬期は除雪との戦いです。人海戦術による除雪作業中に9600貨物が通過して行きました。 幌内線 幌内 P:中川弘一
北炭幌内坑のヤードで9600がセキに石炭を満杯にしてヤマから出発する光景。北海道の炭砿が次々閉鎖される中で、幌内坑は最後まで残った炭砿の一つだった。 '75.2.1 幌内 P:中川弘一
快晴、無風、条件が揃った。汽笛が鳴り出発、ファインダーに集中する。しかし飛び込んで来たのは短編成。それもセキではなくトラ2輌。拍子抜けしたが今では貴重なカットとして思い出に残る。 '74.12 三笠 P:都築雅人
1975年当時はまだまだ炭砿に活気があった。三笠から幌内炭砿へと何度も黙々と往復するキューロクを順光で狙うべく、小高い丘で待った。やがてプレートの位置のずれた39696号機が、ブラストも高らかにやって来た。 '75.3.22 三笠-幌内 P:古澤成博
釧路からの夜行を乗り継ぎ、三笠には5時半頃着いた。ここでは黄色の警戒色の9600が牽引のセキの撮影を行った。合間に通勤客を乗せて622レが出発していった。 '71.5.4 三笠 P:小西 明
この区間は旅客輸送が廃止され貨物支線に改められたが、この時期はまだ蒸機によるセキの牽引が続いていた。三笠駅から岩見沢駅方面に一旦バックした後、分岐点から右へカーブし炭住街をすり抜けて、山へ向かって猛然とダッシュして行った。 '75.1.30 三笠-幌内 P:中島正樹
幌内-三笠間で石炭のピストン輸送をしていたキューロク。山積のセキの横で小休止。 '73.8.6 三笠 P:小林哲哉