秋晴れの日、はじめてこの地に立ちました。樽前山を背景に、牧場の中をD51貨物が通過していきました。 '75.10.3 室蘭本線 白老−社台 P:葛巻郁夫
室蘭本線の最近の記事
最後の日まであと1年目。最後の牙城・追分機関区。この時でもまだ機関区は、煙にかすみ、石炭燃えるにおいが一面を覆っていた。入換仕業のため、庫から出て転車台に乗る79616。 '75.2.15 追分機関区 P:山口龍次
2輌のD51の入換え作業を録音しているファンが二人。かく言う私も写真を撮りながら録音していた。 '75.3.23 室蘭本線 岩見沢 P:高橋洋二
蒸機現役当時は線路際の草木が刈られて整備され、撮影時に気になるようなことはほとんどなかった。D52牽引の長大貨物列車でも容易に編成の足回りを撮影することができた。 '69.9.14 室蘭本線 礼文−小幌 P:高野孝二
厳寒の北海道での撮影旅行は、想像以上の厳しさだった。客車を従えたD51が、凄まじい迫力で栗山駅を出発する姿に、ただ圧倒され、夢中でシャッターを切った。 '74.12 室蘭本線 栗山 P:後藤 篤
蒸気機関車が活躍していた頃、主要駅のホーム端には給水施設が設置されていた。発車前のひととき、何の変哲もない風景でもこの給水施設がしゃれたアクセントになったものだ。
'75.10.27 221レ D51 855 P:高野孝二
1976年3月2日に、追分機関区構内の入換作業に使われていた蒸気機関車が終了となり、日本からすべての蒸機が消えた。その2日前の2月29日、いつものように追分機関区で入換作業をしていた39679が作業を中断して、さよならプレートを付けていた。このプレート、前年12月14日にC57135が付けていたのとそっくりだった。プレートの下端には、「1976.3.2 おいわけ」と書かれていた。3月2日のセレモニーのリハーサルと思われる。 '76.2.29 追分機関区 P:鶴見直樹
追分から乗ってきたC57牽引228レを苫小牧で降りた。ホーム端で列車を見送ると製紙工場から吐き出される煙と競い合うに白煙を残して室蘭へ向けて発車して行った。 '73.1.5 室蘭本線 苫小牧 P:中島正樹
昭和50年12月14日にC57、24日にD51が旅客と貨物の最終列車を牽きましたが、 入換用の9600形は翌年3月まで我が国最後の現役蒸機として働き続けました。 '76.1.16 室蘭本線 追分 P:宮城浩志
追分での乗り換え時間を利用して撮影したD51。停車中の下り貨物列車の隣を、もう一本の貨物列車追い越し、ナメクジD51同士の並びが実現した。 '67.5.3 室蘭本線 追分 P:中島正樹
盛夏、草に覆われた築堤をナメクジが行く。 '74.8.5 室蘭本線 栗丘―栗山 P:三宅昭和
最後に残った追分機関区のキューロクを撮影するため、高2の冬休みに渡道した。初めての夜景でカメラも自分も震えながら撮影したが、今思うとなんてすばらしい時間を過ごせたのかと感謝している自分がいる。 室蘭本線 追分駅構内 '75.12.29 P:伊藤文昭
鉄研の先輩に同行して渡道。早朝の厳寒のなか追分駅始発の820列車を狙う。札幌行きのこの列車は岩見沢に向け発車するが、列車番号は偶数である。 '74.2.25 室蘭本線 追分 P:宮山幸雄
真岡鉄道への移籍が決まったD51 146。蒸気終焉の年の春三月、栗山駅発車の雄姿です。 '75.3.20 室蘭本線 栗山 P:伊藤文昭
渡道しての初日、DCに乗って雪の礼文を訪れた。乗務員が「今日は暖かい」と言っていた。礼文駅前の店で牛乳(30円)とパン(50円)を買って、朝食とした。礼文駅の函館方向の右カーブでD51 1120牽引の上り普通列車を撮影。煙がいい具合に横に流れてくれた。 '71.3.3 室蘭本線 礼文-静狩 P:高橋洋二
白銀の石狩平野を見下ろす丘陵。栗山トンネルを抜け、夕張川沿いの築堤をC57牽引の岩見沢行き普通列車が滑るように駆け抜ける。 '75.1.31 室蘭本線 栗山-栗丘 '75.1.31 P:中川弘一
真冬の北海道、凍れる冷気の中をD51が白い噴煙と蒸気を車体にまとわりつかせて豪快に驀進してきました。 '75.1.31 室蘭本線 栗山-栗丘 P:中川弘一
北海道の幹線を走るディーゼル特急。札幌で3輌を切り離したあと釧路までの長丁場が待っている。ファインダーから眺めるキハ82の長編成は見ごたえがあった。
'69.6.21 室蘭本線 小幌-礼文 P:小西 明
天気もよく、由仁のスキー場から俯瞰写真を気持ちよく撮影できた。由仁を通過した貨物列車が国鉄のコンテナ車を牽いてやってきた。 '75.8.9 室蘭本線 由仁-古山 P:高橋洋二
名所のお立ち台は同業者でいっぱいだった。寒風吹く中、D51 467号機が千両役者のような顔をして力走して来た。この1枚のシャッターを切った後、寒さのせいかカメラが突然動かなくなってしまった。 '75.3.24 室蘭本線 栗丘-栗山 P:古澤成博
運炭列車が夕方の斜光線を受けヤマから下りて来ました。線路の北側には勇払原野からの季節風を避ける丸太とムシロで組んだ防風壁が延々と設置されていました。 '74.12 遠浅-沼ノ端 P:髙橋 明
黒いセキに黄色の帯と「道外禁止」文字。当時、その意味は判らなかったが、その言葉の持つ響きになぜか私は魅せられた。 '74.3.28 栗丘-栗山 P:田中一弘
北海道のメインラインを駆けるコンテナ列車、DD51全盛時代のひとこまです。 静狩-礼文 '84.8.12 P:宮城浩志
蒸機最後の年の17歳の誕生日でした。原野を走るD51の長い石炭列車は自分へのプレゼントです。 '75.3.19 沼ノ端ー遠浅 P:中村 肇
岩見沢から苫小牧までは石炭輸送のため、貨物の列車本数が多く、ここ栗沢-栗山間はせり出した丘を国道と絡みながら回り込む、沿線では数少ない変化のある撮影区間だった。 '74.1.19 栗丘-栗山 P:中島正樹
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現在『国鉄時代』はvol.1、vol.9〜21、vol.23〜25が品切れとなりました。他の巻も早めのご購入をお勧めいたします。電話でのご注文はブックサービス(株)0120-29-9625(フリーダイヤル)まで。
無煙化直前の11月。最後のチャンスと思い、北海道まで撮影にやってきました。早朝薄暗いモノトーンの世界で、運良く蒸機の牽引する列車同士のすれ違い場面を撮影することが出来ました。 '75.11.7 白老-社台 P:水野秀昭
C57牽引の旅客列車はこの日が最後日でしたが、貨物列車を牽くD51はあと10日間残りました。追分を発車する603号機です。 '75.12.14 追分 P:宮城浩志
セキ専貨5290レ、栗丘通過17時49分。曇天、日没、露出との戦いだった。カラーはすでに露出が得られず、トライXパンであっても絞り開放、1/60でかろうじて撮れた三重連だった。 '74.3.29 P:田中一弘
秋の午後、初めてシルエットに挑戦してみました。翌月に蒸機最後の旅客列車を牽引することになるC57 135号機が築堤を軽やかに駆けていきました。 '75.11.3 栗山-栗丘 P: 宮城浩志
保存機以外の本線上の蒸気機関車はすでに廃止され、9600形が入換えで最後のご奉公をするのみだった。追分を訪れると、火の入った49648が元気に入換作業に励んでいた。 '75.12.30 追分 P:高橋洋二
ファインダーを覗いていると最後尾にも煙が見えた。近づくにつれ、なんとD51重連。通過後トンネルに吸い込まれる直前を興奮しながら撮影した。 '72.12.25 栗丘 P;武者秀男
お小遣いを貯めて、「終煙」の年にやっと北海道に来ることができた。傑作なんて二の次、あの時は夢にまで見た汽車を撮れるだけで楽しかった。 '75.7.24 沼ノ端-遠浅 P:蒲生 洋
D51は室蘭本線においては石炭列車を牽引するイメージが強いが、時折客車を牽く姿があり、このときは回送で重連となっていた。 '1974.3.4 栗山-栗丘 P:宮山幸雄
千歳線が左に大きくカーブする地点で室蘭本線のセキを撮っていると下りの貨物がやってきた。振り向いて後追いでセキをねらうと、貨物列車の最後尾が辛うじて入った。どちらかの列車のダイヤが遅れていた偶然による結果だった。 '71.5.6 遠浅-沼ノ端 P:小西 明
屋外に駐機中のD51足回りからもうもうとスチームが上がっていた。寒さによる凍結防止のためで、これこそ生きてるカマを実感する瞬間だった。 '73.1.5 追分機関区 P:中島正樹
多くのファンが待ち構える中、やってきたのはスローガン入りの「団結」機関車。ファンのため息が聞こえてきそうです。 '75.3 沼ノ端ー遠浅 P:水野秀昭
朝日に照らされゆっくりと発車するギースル煙突のD51に感動! '75.3 追分 P: 林田知親
夕張線最終日の翌日、追分機関区を訪ねた。昨日の最終列車を牽いたD51 241ほかD51が4輌、9600が3輌、火が入っていた。この日はすべて前向きに庫に収まっているのが印象的だった。 '75.12.25 追分機関区 P:宮山幸雄
九州への修学旅行から寝台列車で戻り、即寝台特急「日本海」と連絡船を乗り継ぎ北海道へ。白老のYHに拠点を置き、自転車を借りて、2日間最後の現役蒸気機関車を撮影をしました。帰路生まれて初めて飛行機に乗ったのも良い思い出です。 '75.11 白老 P:水野秀昭
駅からトンネルまでさほどの勾配はないが、D51牽引のほとんどの貨物列車は猛烈な煙を出してトンネルに吸い込まれて行った。 '72.12.24 栗丘 P:千葉武男
勇払原野の外れで夕日に照らされD51の貨物列車が離合します。線路の北側にはウトナイ湖からの季節風を遮るため丸太とムシロで組まれた防風雪壁が線路に沿って延々と続いていました。 '74.12 沼ノ端-遠浅 P:髙橋 明
タンク車返送の1274列車が本輪西構内に絶気で滑るように入って来ました。間もなくD51は引退、ディーゼル機関車に置き換わります。 '75.11.2 本輪西 P:中川富士明
この地方では珍しく暑い日。運転台ドアを解放にして,700号機〔築〕が通り過ぎました。 '77.7 本輪西 P:中川富士明
前日天北線で初めてラッセルを見たが、今朝は室蘭本線追分でまたラッセルの出動を見る。D51に推されて夕張線に入るのか。 '75.1.4 P:坂井康祐
デゴイチの貨物列車を待っていると、後方からC57 104〔岩一〕がたった4輛の客車を牽いて軽快なジョイント音も軽やかにやって来た。 '74.7.17 追分-三川 P:古澤成博
長万部機関区訪問の際、もう一足延ばして下り方向の室蘭本線を探索してみた。函館本線は大きく山側にカーブして分かれるが室蘭本線は直進し、川を渡る。ちょうどD51牽引の下り貨物が発車して来た。 '67.5.4 長万部 P:中島正樹
日本一長いの直線区間。撮影場所を探して延々と歩き、やっと見つけた踏切で列車を待った。遠くの陽炎にその姿を見つけてから15分位経っただろうか。なめくじがのんびりとやって来た。 '74.7.16 社台-錦岡 P:古澤成博
静狩駅を出ると右に大きくカーブを描き、トンネルに入るまでに10/1000の勾配を上ります。静狩を午前5時59分に通過する貨物列車を狙いましたが、光量不足でネオパンSSの感度では軟調になってしまいました。当時トライXフィルムは高価で高校生には手が出ませんでした。 '71.8.10 静狩 P:武者秀男
朝一の栗丘周辺。新雪が朝日に照らされ輝いていた。 '74.1 栗丘 P:川瀬 剛
遅い夏休みを取ってやってきた9月の北海道。観光旅行に徹するつもりで来たものの、車窓から見えるカマの姿に心が動き、北海道最後の2日間は室蘭本線での撮影に予定変更。終焉へのカウントダウンの始まったD51の姿を追った。 '74.9.6
栗丘-栗山 P:鈴木博之
中学最後の春休み、友人と一緒に北海道撮影旅行へ。初めて間近に見る蒸機の迫力に圧倒されました。 '74.3.22 栗丘 P:吉川 明
夜間撮影の経験はほとんどなかったが、ホームから手軽に撮れる岩見沢で実施。照明で明るく照らされた構内には日中室蘭本線で活躍していたC57が静かに憩っていた。漆黒の空に白煙が西風になびく。 '75.1.26 岩見沢 P:中島正樹
長大な貨物列車の先頭に単身で挑む1118号機。発車時の大きなドラフト音は数秒で消え、ほとんど無音でゆっくりと眼前を通過、その直後激しい勢いで蒸気を排出しながら少しずつ速度を上げ始めました。力を溜め、何度も挑戦しながら貨車を引っ張るようなその姿に、当時少年だった私は感動すら覚えたものです。 '74.7.23 追分 P:森 潤宏
二度目の冬の北海道、本数が稼げる栗丘〜栗山間でほぼ1日滞在。栗丘駅の発車を狙ったが逆風で煙はご覧のとおり。 '74.2.25 栗丘 P:宮山幸雄