C62重連急行103レ「ニセコ3号」が暮れ行く山間部の勾配を駆け上ります。豪快なドラフト音が山にコダマして響いていました。線路脇のふきのとうが春の到来を告げていました。 '70.5 函館本線 熱郛ー上目名 P:中川弘一
函館本線の最近の記事
「車掌さんはいつも、一番後から...♪」と童謡にあり、最後尾に連結されていた車掌車は国鉄最後のダイヤ改正で貨物運用から消えたのは惜しい限りだ。 '82.10.3 函館本線 桂川ー森 P:熊谷孝志
この夏はキハ183系特急「ニセコ号」が山線経由で運転されました。48年前、墨絵調の雪景色の中を、C62重連急行「ニセコ1号」が稲穂峠の急勾配に挑みます。 '69.3 函館本線 銀山−然別 P:中川弘一
テンダ--車に石炭を満載して出番を待つ北辺の蒸気機関車たち。見学を許可していただいた岩見沢第一機関区では、この機関車たちがあと一年も待たずして現役を退くとは到底考えられない活気に満ち溢れていた。'74.12 室蘭本線 岩見沢第一機関区 P:後藤 篤
函館から1D「北斗1号」で朝の長万部駅に到着。隣のホームにはこれから乗る室蘭行き客車列車241レが白い蒸気を上げて待っていた。 '86.2.22 函館本線 長万部 P:藤村巌雄
小沢駅で貨車の入換えをしていた道内では珍しい形式入りナンバープレートのD51 24。発車まで少し時間があるので倶知安方面へ歩いた所で待ち構えた。 '72.8.26 函館本線 小沢ー倶知安 P:川瀬 剛
五稜郭機関区でこの時初めてD52を見た。素直に「大きい」と思ったが、大きさ以上に機関車の持つ迫力に圧倒された事を思い出す。 '73.3.29 五稜郭機関区 P:田中一弘
普通列車で長万部へ向かう途中、にせこ駅に停車。国鉄の官舎越に秀麗な羊蹄山が目に入った。最後尾の客車の連結デッキから撮った。長いつらら、除雪されたホーム、それに駅名標が、冬の景色に映えている。 '69.1 函館本線 ニセコ P:小西明
北海道に渡って最初に訪れた函館本線の張碓駅。断崖が海岸に迫り、海水浴シーズン以外はほとんど乗降のない駅だが通過する列車は多かった。今は廃駅になり跡形もないと聞く。 '67.4.30 函館本線 張碓 P:中島正樹
C62急行「ニセコ」を撮影した翌朝、大沼駅に向かった。C62が函館行きの126レを牽引して白煙とドレインを吐き出して出発。左横には秀麗な駒ヶ岳の山峰が聳えています。 '71.3 函館本線 大沼 P:中川弘一
春の湿った雪に足を取られながらなんとか三脚を立てられました。沼尻の駅長さんに「CL?を撮りに来たのかい」、と言われて仲間同士で笑いに包まれた日でした。 '73.3.27 函館本線 渡島沼尻ー鹿部 P:川瀬 剛
しばらく大沼駅で停車していたD52 235牽引の長い貨物列車がようやく発車した。冷えた空気に長い白煙をなびかせ、白銀の駒ヶ岳山麓を左回りに登っていった。 '73.1.16 函館本線 大沼−大沼公園 P:中島正樹
青函連絡船で津軽海峡を渡った貨物列車は、五稜郭操車場までの短い区間を五稜郭区のD52が牽いていた。函館を出る468号機は京都鉄道博物館に保存されているD52のラストナンバーである。 '70.5.15 函館本線 函館−五稜郭 P:高野孝二
岩内線の分岐点から少し歩いたところで待ち構えていると、大雪の中現れました。風がほとんどなく煙が高く上がっていたのが印象的でした。 '73.3.27 函館本線 小沢−銀山 P:川瀬 剛
冬の倶知安駅のでC62重連はバルブ撮影でしたが、5月は残雪の羊蹄山の威容が夕景に浮かび上がります。急行「ニセコ3号」が到着、2輌のC62が慌ただしく給水、石炭掻き寄せ作業中。 函館本線 倶知安 '70.5 P:中川弘一
背丈を越えるほどの積雪では列車が近づく音が聞こえない。25パーミル下り勾配の雪よけシェルターから音もなく近づく貨物列車にとっさにカメラを向けシャッターを押した。 '70.1.15 函館本線 上目名ー目名 173レ P:高野孝二
余市駅での137レ牽引のC62 3。後ろ姿に急客機としての風格が感じられました。 '73.7.16 函館本線 余市 P:齋藤孝行
早朝に長万部を発つ小樽行131レの後補機(C11)は黒松内で切り離され、折り返しの132レとして長万部に戻る。初秋の朝、軽やかなドラフトを響かせて通り過ぎた171号機は、復活機関車として現在も活躍している。 '70.10.10 函館本線 黒松内-蕨岱 P: 高野孝二
5月連休中は、函館本線の沿線はまだ残雪がありましたが、線路脇には黄色い蕗のとうが顔を出し始めています。その線路上をC62重連が疾走して行きました。 '70.5 函館本線 目名--上目名 P:中川弘一
倶知安峠で急行「ニセコ」を待っていると、ラッセル車が先導役のようにやってきました。 '70.3 函館本線 小沢--倶知安 P:中川弘一
初めての北海道、撮影旅行のスタートは今までに経験のない寒さでした。氷点下20度、なにもかも凍りつく幻想的な景色の中で、よりいっそう、D51の力強さが引き立ちました。 '74.12.24 函館本線 岩見沢 P:後藤 篤
急行「ていね」が小樽駅に到着すると、慌ただしく機関車の交換が行われる。札幌から牽引してきたD51が切り離された後に、C62重連が誘導されて連結されようとしている。その様子をカレチが見守る。奥には小樽までの牽引機D51が確認できる。 '68.5 函館本線 小樽 P:中川弘一
今年3月26日に新幹線が北海道(新函館北斗駅)に延伸しましたが、の夜の函館駅、3輌の蒸機が北へ向かいます。真ん中は、C62 3牽引の急行「すずらん6号」です。 '69.3.22 函館 P:中川弘一
1972年春の小樽築港機関区、3号機に火は入っていましたがナンバープレートはなく、キャブに「ボイラー代用」の小さな札が掛かっていました。当時はこの状況から運用に復帰するとは思ってもみませんでした。 '72.3.5 函館本線 小樽築港機関区 P:幾代 裕
倶知安峠を登る列車を斜面から俯瞰で捉えた。C62重連がスターならD51は脇役。普通列車、貨物列車を牽引し地道に働いていた。'71.3 函館本線 倶知安ー小沢 中川弘一
雄大なニセコ連峰を背景に、稲穂峠に向かうD51が墨絵のように浮かび上がった。 '72.3 函館本線 小沢―銀山 P:中川弘一
夏は北海道で車輌が足りなくなるので本州の車輌が出稼ぎに来ていました。DD51牽引臨時急行「すずらん」の中に金トヤのナハ10がいて夢中でシャッターを切りました。 '75.8 函館本線 札幌 P:山下祐二
炭住の並ぶ中を滝川機関区の「ナメクジ型」D51 38号機が、上砂川に向かって石炭車を牽引して行きます。この場所からは、歌志内線も掛け持ちで撮影できました。 '75.3 函館本線 東鶉-上砂川 P:吉葉富雄
大晦日の午後機関区を訪れた。機関区のご厚意で庫から出てきた2号機を撮影。私以外にもテープレコーダー片手に録音する人、近撮する人、各人の至福が詰まった瞬間だった。'69.12.31 小樽築港機関区 P:小西 明
9D特急「北斗9号」の先頭に立つ異端車キハ183形100番代。往路の激闘を物語る付着した雪が凄まじい。函館発19時、札幌まで4時間10分の旅。1号車に乗り込み噂の大馬力エンジンの咆哮を堪能した。110カメラで撮影。 '86.1.27 函館本線 函館 P:新井宏明
出発に向け、蒸気作りの投炭が始まったようだ。雄大な駒ケ岳をバックに豪快な煙が立ちのぼる。大沼公園発函館行 8144列車 D52 140 函館本線 大沼公園 '72.5.5 P:青木一郎
函館本線の雄大な景色の倶知安峠に挑むC62重連急行「ていね」が眼下を通過する。豪快なドラフト音が峠にこだましていた。 '68.5 函館本線 小沢-倶知安 P:中川弘一
滝川-旭川間電化を半年後に控え本線での蒸機列車も終焉を迎えようとしていた。D51貨物を退避させC55 49牽引普通列車がドレインを吐きながら発車していった。 '69.3.29 函館本線 滝川 P: 内田博行
夕闇迫る函館駅、1番線はC58 407が牽く17時49分発江差線1729レ木古内行きが、隣の2番線にはD51 346牽引の17時43分発函館本線127レ森行がそれぞれ蒸気を上げていました。この後2本の蒸気列車が相次いで発車して行き、今想うと夢のような光景でした。 '70.3.1 函館本線 函館 P:幾代 裕
青函連絡船を降りて、最初に北海道を感じるのがここ大沼公園。背景の駒ヶ岳と小沼の脇を通過するD51牽引の貨物。いろいろな構図を考えたら、ベストのものがこれだった。 '68.4.3 函館本線 大沼-仁山 P:高橋孝一
カマ替え中のC62重連牽引の105レ。今日は、羊蹄山が顔を出してくれた。このあと、壮絶な発車シーンが繰り広げられたのだった。 '68.7.14 函館本線 倶知安 P:高橋孝一
小樽からC62 3牽引の普通列車に乗り込んで熱郛まで来た。発車を撮って、翌朝、C62 3を迎え討つべく熱郛駅に寝ることにしたが、上目名に挑むD51貨物の咆哮でとても寝るどころではなかった。 '73.7.20 函館本線 熱郛 P:齋藤孝行
1971年当時国鉄にはB20は小樽築港機関区(B20 1)と鹿児島機関区(B20 10)に1輌ずつあったが、そのうちの1輌をたまたま撮影することができた。機関庫から小型DLに牽かれ屋外に出されたところだった。 '71.3 小樽築港機関区 P:高橋洋二
キハ56系の北海道観光号「エルム」が、上目名の急坂を通過。本来はC62重連の「ていね」をねらっての上目名通いだったが、夏はこのような臨時も運転され撮影を楽しむことができた。 '67.7.18 函館本線 上目名-目名 P: 高橋孝一
大晦日の午後機関区を訪れた。機関区のご厚意で庫から出てきた2号機を撮影。私以外にもテープレコーダー片手に録音する人、近撮する人、各人の至福が詰まった瞬間だった。'69.12.31 小樽築港機関区 P:小西 明
高校2年の時に初めて訪れた北海道。あちこち寄り道してやっと着いた函館では憧れのキハ82と見慣れぬスノープラウを付けたDD13が迎えてくれました。 '79.7.26 函館 P:稲毛信夫
倶知安に宿を取り、「ニセコ」撮影の前に機関区を訪問した。本州の96を見慣れていたので、胆振線の二つ目のいかつい96は印象的だった。 '71.3.5 倶知安機関区 P:高橋洋二
長万部から山越えでやってきたC62重連が倶知安駅で罐替え・給水で一息ついた後、白煙と安全弁を吹かしながら倶知安峠へ向けて出発して行きました。 '71.3 倶知安 P:中川弘一
上り急行「ニセコ」を長万部で下車、二股駅へ戻った。薄暮の雪原に猛烈なブラスト音を轟かせて、103レを牽くC62 32とC62 3の重連が15‰を懸命に駆け上がって行った。 '70.4.11 二股--蕨岱 P:森瀬壽三
急行「石狩」に3軸台車の食堂車が組まれていることを知り、撮影行の移動の途中に乗車することにした。駅進入を撮った後、この車両で伊達紋別までの約1時間、リズミカルな音を楽しんだ。石炭レンジの煙がわずかに見える。 函館発札幌行3201列車 スハシ38 '66.12.26 長万部 P:青木一郎
キハ82の「北斗」が到着したと見間違えて近づけばキハ183-100でした。 '87.3 札幌 P:加藤昭夫
55.10改正を翌日に控え、1D「おおぞら1号」の札幌回転車は、本日が最後の運用であった。待機中のホームを食堂車のクルーが通り過ぎていく。 '80.9.30 札幌 P:赤田雅昭
蒸機の現役時代でも蒸機同士の走行中のすれ違いを撮影する機会はめったになかった。D52 138牽引の下り貨物列車とD51 1017牽引の上り旅客列車が噴火湾沿いですれ違った。 '72.3.8 野田生-落部 P:高橋洋二
函館からD51 234牽引の普通列車に乗り大沼で下車、ホームの端で自分が乗ってきた列車を撮影した。駒ヶ岳がくっきりと見え格好の撮影日和であった。 '73.3.26 大沼 P:高橋洋二
函館本線の大沼を右に見て、急行105レ「ていね」が、一路札幌を目指し驀進します。 '68.5 大沼 P:中川弘一
夕刻の塩谷を下るD51943牽引の貨物列車、次位には無動の79616が付いていました。 '72.7.30 塩谷 P:齋藤隆行
D51 600の牽く海水浴臨時列車が塩谷を発車して行きます。目的地は蘭島、あと一駅です。 '72.7.30 塩谷 P:齋藤隆行
C62 32は103レ急行「ニセコ」到着まで水や石炭の補給などに忙しかったが、突然D51が前面に近づきドッキング。通りがかった機関区の人に尋ねると「ブロアやってるんだ」とか。 '70.4.11 長万部機関区 P:森瀬壽三
北海道における蒸機撮影の最終日。青函連絡船深夜便に乗るまでの間に、C62牽引の夜行急行「すずらん6号」の発車を見送って北海道の撮影を終えました。 '69.3 函館 P:中川弘一
墨絵調の雪景色の中を、C62重連上り急行「二セコ1号」が怒濤のような走りで稲穂峠への急勾配に立ち向かっていった。 '69.3 銀山ー然別 P:中川弘一
1971年当時、D52は五稜郭機関区の10輌を残すのみとなっていた。北海道に渡り太いボイラーの逞しい姿をじっくりと眺めることができた。D52はこのあと長万部方面に長い貨物を牽いてゆっくりと発車していった。 '71.3.12 大沼 P:高橋洋二
煙を期待して早朝の小沢駅から歩いて稲穂峠で待ったものの、期待に反してC62 3は羊蹄山を横目に軽快な足取りでやってきた。 '73.7.16 小沢-銀山 P:齋藤孝行
上り急行「二セコ1号」を撮影後、長万部駅でかに飯を買ってホームで下り急行「二セコ3号」の到着を待ちます。"銀箱"のファンが待つ中をC62 15が姿を見せました。やがて前補機を連結して急勾配に挑むドラマの幕開けです! '71.3 長万部 P:中川弘一
下り急行ニセコを待つまでの時間を使って長万部機関区を訪問、初めてD52を間近に見た。車輌限界いっぱいに設計された大きな躯体、横綱の土俵入りのような姿に圧倒された。'70.4.11 長万部機関区 P:森瀬壽三
長万部発16時43分の103レ「ニセコ3号」は、春になると夕日を浴びて疾走する姿を捉えることができる。原野が広がる二股周辺は絶好の撮影地。二股を通過してすぐの長万部川橋梁はその先の国道5号とのオーバークロス周辺と並んで人気のポイントである。この付近は上目名越えに備えての助走区間、キャブ内は緊張が漲っているだろう。 '71.3 函館本線 二股-蕨岱 P:中川弘一
稲穂峠目指して駆け登る3輌のC62の咆哮が山々に轟く。北海道撮影旅行中、上目名の待合室の掲示板でC62三重連の運行を知った。運転区間は「ニセコ1号」の小樽〜倶知安間で、前々補機の2号機は倶知安で切り離され、121レのD51の前補機となって小樽へ戻った。 機:C62 2+C62 15+C62 16 '71.8.22 然別-銀山 P:俵 裕実
「ニセコ」は雲を呼ぶとファンの間で言われる。「ニセコ1号」が通過する昼過ぎになると、たいてい雲が湧き風が起こる。この1日1本の列車に賭けて何度泣いたことか。今日の「ニセコ1号」通過は眩いばかりに晴れてニセコ連山も美しい。まさに花道を行く名優の姿だ。 '71.3 函館本線 目名-上目名 P:中川弘一
上り「ニセコ1号」の本務機が2号機だったので、後を追うように夜行でやってきた。103レの仕業までに、長万部〜函館間を夜行急行「すずらん6号」を牽引する仕業がある。寝台車をロネ・ハネ・ロザを連結した長編成は魅力的だ。朝の冷気の中、5時40分に大沼を発車した列車は白煙をたなびかせて通り過ぎて行った。 1218レ '69.5.8 大沼-仁山(信) P:小西 明
大沼から望む空を切り裂くような鋭い山容とはうってかわった、穏やかな表情を見せる駒ヶ岳。噴火湾沿いの複線区間を長大編成の貨物列車を牽引して走るD52は本線蒸機の貫禄十分である。 D52 468 '71.3 森 P:中川弘一
帰途、小樽から急行「ニセコ」の旅を味わった。残雪の構内に汽笛がふたつ響き、C62 44が前補機C62 32とともにゆっくりと近づいて来た。いつものように山道との格闘が始まる。'70.4.11 小樽 P:森瀬壽三
D52 414は長大貨物を牽引し、ゆっくりと加速しながら大沼駅を発車して行きました。雄大で美しい駒ヶ岳とD52を一緒に撮影でき、感動!。 '71.3.12 大沼-大沼公園 P:高橋洋二
苗穂機関区はC57、C58、C11が所属していたが小樽築港区、岩見沢区所属のD51も函館本線の貨物を牽引し機関区で給水、給炭。常に多くの機関車で賑わっていた。 '72.12.24 苗穂機関区 P:千葉武男
長万部機関区を訪れて事務所で挨拶をすると、「内地」から汽車を撮りに来たのかと当時は珍しがられました。構内には急行「ていね」の前補機であるC62 30が待機しており本線では兄弟機の大型蒸気D52が発車を待っていました。 '66.8 長万部機関区 P:中川弘一
DD51牽引の急行「天北」が、雪を飛ばしながら砂川駅を通過して行きました。 '86.3.10 P:平井ヨシフミ
早朝、五稜郭機関区を訪れたときの写真。水銀灯が照らし出す構内に道産子機関車D51 237がたたずんでいた。 '72.12.23 五稜郭機関区 P:葛巻郁夫
キハ82系「おおとり」は食堂車付きの堂々10輌編成で函館を後にして遥か網走を目指す、693kmにおよぶロングラン運用である。札幌と遠軽で2度進行方向を変える '83.7.10 函館-五稜郭 P: 熊谷孝志
道南の名峰「駒ヶ岳」を背景にD51 29が最後の活躍をしていました。 '73.3.23 森〜桂川(信) P:葛巻郁夫
中学生当時に自ら撮影しましたキハ183系特急「北海」。山線こと小樽経由は海線こと室蘭・千歳線よりも距離は短いのにもかかわらず時間を要した「苦労列車」だけに味がある。 '83.2 大沼公園-赤井川 P:熊谷孝志
C62 27が3輌の客車を牽引して上目名を発車していった。撮影はC62重連が本命であったので、この137レの撮影は数コマしかない。 '67.7.18 上目名 P:高橋孝一
内浦湾側から見た駒ヶ岳とD52。駒ヶ岳は大沼側から見る特徴ある姿とは大きく異なっていた。大沼方面に緩い勾配を登るD52炭水車には大きい文字がペイントされ、まさに国鉄時代を物語っていた。 73.3.30 渡島砂原-渡島沼尻 P:高橋洋二
春まだ遠い小沼湖畔をマンモス機D52 202がボギー車を含めて約40輌の長大貨物を牽引して函館を目指します。鉄道が長距離陸送の中心を担っていた頃の一コマ。 '73.3.26 大沼-仁山 P: 高橋洋二
大型蒸気D52が、雪化粧した函館本線の風光明媚な噴火湾沿いを長編成貨物で行く良き時代の光景です。 '71.3 石倉 P:中川弘一
小沢駅を発車するとすぐに20‰の上り勾配が待ち構えている。駅構内の平坦線で出来る限りのスピードを出すため全力を振り絞っているようだ。 '71.8.8 小沢 P:武者秀男
「ニセコ1号」を撮影し122レで長万部に移動すると、上目名で急行「宗谷」と交換する。カメラを向けると「宗谷」がタブレット受にタブレットを入れる瞬間であった。 '69.3.28 上目名 P: 内田博行
残雪の熱郛-上目名の大カーブ。C62重連の急行「ていね」が急勾配を驀進する姿は怒濤のような迫力だ。 '68.5 熱郛ー上目名 P: 中川弘一
初めての北海道撮影旅行は人気のあった急行「ていね」に初乗車。函館で乗車する前に先頭のカマを見に行くと、早くも熱心なファンがC62の足回りを撮影する姿があった。 '67.4.29 函館 P:中島正樹
昨年夜景を撮影し、その美しさに魅了されたため今年も訪れた。昨年同様にC58とC62の並びが撮影できた。C62は広島からきた15号機で広島以来の再会であった。 '71.3.23 五稜郭機関区 P: 内田博行
特急機の面目躍如といった走りでやって来たが、残念ながらベストポイント直前で加減弁が閉じられてしまった。それでも満足の一枚。 大沼 '70.3.21 P:中野伸俊
渡道して初めて見たC62重連「ニセコ3号」。先頭客車に陣取って上目名では重連の咆哮を堪能し、客車通路から本務機3号機のテンダーの揺れるナンバーを見ながら到着した黄昏の倶知安駅。2号機見たさに思わずホームに駈け出した。 '71.7.31 倶知安 P:齋藤孝行
函館本線の山間の駅にてD51旅客列車同士の列車交換です。下り列車の機関士、助手が歓談中で、SLの運転技術などについて指導しているようです。 '70.5 熱郛 P:中川弘一
札幌から急行「利尻」に乗る前に室蘭本線のD51重連貨物を撮る。夕方で薄暗かったためピントが少々甘かったことが残念。 '74.2.25 岩見沢 P:宮山幸雄
夜のC62重連は倶知安と決めていた。近くのユースホステルに連泊し、天気の回復を待っての一枚。今、振り返って見ると甘い写真になっているところがフィルム写真の味が出ているような気がする。103レ C62 44+C62 3 '69.1.3 倶知安 P:小西 明
C62重連の「ていね」と「ニセコ」を追いかけて過ごした青春時代だった。何度も渡道し、そして夜行列車を旅館がわりとし、午前一本の上り、午後一本の下りの重連を撮るために...。ここ、長万部駅でのカマ替えや補機の連結はハイライトのひとつ。今、2号機と3号機のゴールデンコンビが、小樽をめざして発車して行った。 '68.4.4 長万部 P:高橋孝一
105レ急行「ていね」を牽引するC62 32+C62 3。給水を受ける間、慌ただしく火床整理、石炭の掻き寄せ、下回り各部の点検が行われている。 '68.5.17 P:小西 明
103レ急行「ニセコ」の車窓から初めて見る北海道は残雪も深く、第一白井川隧道にさしかかる頃、2輌のC62は老練な登山家のようにスリップを警戒して一歩一歩慎重に進んだ。'70.4.8 熱郛-上目名 P: 森瀬壽三
大学の鉄研の合宿が北海道であり、一泊目はここ大沼公園だった。朝、貸し自転車で小沼湖畔の高台へ。曇りながらも駒ケ岳は顔を出していた。函館への通勤通学列車を牽引していたのは、なんとC62 2号機。数コマ連写した最終のコマがこれで、林の中を軽快に駆け抜けていった。 '70.8.19 大沼-仁山 P:高橋孝一
機関区見学のとき、1000番代のナンバープレートをつけたD51の並びを撮った一枚。そういえばこの時、庫の中にいたC55やキューロクのナンバープレートの拓本を採らせていただいたはずだが、残念なことに実家のどこかで行方不明となったままである。 '72.8.13 旭川機関区 P:小林哲哉
冬の北海道訪問は函館本線の石倉からスタート。噴火湾に沿った海岸線は風光明媚で五稜郭所属のD52牽引貨物も見られる。しかし暮れも押し詰まった大晦日では貨物も少なく寒さの中でやっと撮ったD52であった。 '72.12.31 石倉-落部 P:中島正樹
山間の駅、銀山駅の待合室で待っていると、駅員さんがホームに出ていったので一緒の出てみると、上りD51がホームに進入してきました。吹雪にめげず、駅員さんが待機していました。 '71.3 銀山 P:中川弘一
早朝だがD52スジのため撮りたい一心。幸い好天で朝日が昇り始めた。真横からの朝日を受け足取りも軽く大沼への勾配を駆け上がって行った。 函館発札幌行 41列車 機:D52 138 '72.5.6 七飯─大沼 P:青木一郎
最後のニセコ3号を牽引するC62 2号機、3号機。手作りヘッドマークを着けファンにお披露目。長万部発車までの間、最後の勇姿を心ゆくまで撮影した。 '71.9.15 長万部機関区 P: 武者秀男
従兄弟と一緒に小・中学生だけで札幌の親戚を訪ねた折、伯父に連れられ石狩湾へ海水浴に。水が冷たく泳ぐより岩場で遊んだ記憶がある。帰りの列車は札幌から急行「かむい」となる711系で、国鉄に勤めていた伯父からこれは試作編成だと聞いた。 '79.8.5 張碓 879M P:平蔵伸洋
大小の島々が点在する静かな湖面。遠くに山並みを望み、絵に描いたような景色の中をデゴ二が通過する。4489列車 機:D52 '72.5.5 大沼公園 P:青木一郎
連絡船への積み込み風景
札幌での法事の帰路をキハ183系「北海4号」と青函2便、「はつかり2号」、「やまびこ12号」と乗り継ぎ。夜半にキハ80系「北斗8号」、未明に485系1500番代「白鳥」も眺めた。函館では雪降る中、控車を挟んでDD13が「八甲田丸」に貨車を押し込む。 '84.1.29 函館 P:平蔵伸洋
大学の鉄研の合宿が北海道であり、一泊目はここ大沼公園だった。朝、貸し自転車で小沼湖畔の高台へ。曇りながらも駒ケ岳は顔を出していた。函館への通勤通学列車を牽引していたのは、なんとC62 2号機。数コマ連写した最終のコマがこれで、林の中を軽快に駆け抜けていった。 '70.8.19 大沼-仁山 P:高橋孝一
木々に囲まれ、広くダイナミックなスイッチバックの仁山駅。引上げ線が見える位置でもまだ力行するデゴニ。8141列車。機:D52 140。 '72.5.5 仁山 P:青木一郎
超大型機が当たり前のようにいた長万部機関区。D52は五稜郭から長大な貨物列車を牽いてやって来ていた。機関区の函館寄りで、左からD52 202・D52 468・C62 2・DD51 660の面々。 '70.3.22 函館本線 長万部機関区 P:中野伸俊
美唄を発車するC57牽引の下り貨物列車。この区間は平坦なのでC57は貨物用にも使用されていた。腕木シグナルの奥には三菱美唄鉄道の車庫が見え、Eタンクの存在が確認出来る。 '67.4.30 美唄 P:中島正樹
ザザーという水音に驚いて振り返ると、9658のテンダーから滝のように水が溢れているところでした。庫内手さんが目測を誤ったのでしょうか。蒸気機関庫ならではの光景です。 '69.7.23 長万部機関区 P:中野伸俊
キハ82特急「北海」です。C62急行「ニセコ」を撮りに行った時は、小樽駅でもフィルムを消化しておりました。蒸機ばかりを狙っておりましたので、唯一の一枚です。 '70.12 小樽 P:佐藤 弘
地平時代の札幌駅を出発するED76 500番代牽引の夜行急行の回送。投宿した線路近くのユースホステルから札幌駅に向かう途中で撮影しました。 '79.8.8 札幌-桑園 P:中司純一
オーバーに言えば、C62重連の「ていね」と「ニセコ」を追いかけて過ごした青春時代だった。何度も渡道し、そして夜行列車を旅館がわりとし、午前一本の上り、午後一本の下りの重連を撮るために...。ここ、長万部駅でのカマ替えや補機の連結はハイライトのひとつ。今、2号機と3号機のゴールデンコンビが、小樽をめざして発車して行った。 '68.4.4 長万部 P:高橋孝一
C62重連がなくなった翌年、塩谷駅に降り立ち風光明媚な海岸を行く上りD51の客車を見ることができました。 '72.3.19 塩谷-蘭島 P:中川弘一
当時函館本線小沼湖畔で、DD51牽引の貨物列車と旅客列車の並走シーンを見ることが出来ました。まず、ゆっくりと視野に現れる貨物列車。そして、後方からローカル客車列車が追い抜いていくシーンは、さながらショーを観ているよう。しかし、これが日常の光景でした。 '79.8.2 七飯・仁山(信)-大沼 P:中司純一
夜のC62重連は倶知安と決めていた。近くのYHに連泊し、天気の回復を待っての一枚。今、振り返って見ると甘い写真になっているところがフィルム写真の味が出ているような気がする。 103レ 機:C62 44+C62 3 '69.1.3 P:小西 明
C62重連「ていね」の着発を撮影後、天気も良かったので構内を移動して、後続の列車を待つことにした。その合間をぬって、キューロクに押されたキ700形、通称「ジョルダン」がやってきた。 '68.2.21 倶知安 P:小西 明
ついに実現"C62三重連"。3度運行されたうちの最初の三重連です。私が中学1年の時でした。望遠レンズもなく、連写機能のないカメラで精一杯の一枚です。 '71.7.18 小樽-塩谷 P:佐藤 弘
C62 2号機+C62 3号機「ニセコ1号」。小沢駅から倶知安峠まで行きも帰りもヒッチハイクでした。 '71.8.8 小沢-倶知安 P:千葉武男
5月だが木々はまだ冬模様。風は冷たく静かな大地に響くドラフト。ワムに交じった冷蔵車が色を添える。6277列車 機:D52 '72.5.5 七飯-大沼 P:青木一郎
朝、「ニセコ」仕業前に機関区を訪問。C62が庫の中に並んで収まっていた。2号機と32号機。2号機は、テンダーに付いているライトの整備を受けていた。このような訪問が出来た時代に感謝。 '70.2.9 小樽築港機関区 P:高橋孝一
倶知安付近は羊蹄山の麓にあり雪深い地域であり、峠越えの上りD51は噴煙を高く上げて急勾配を登る姿は迫力満点でした。 '70.3 倶知安─小沢 P:中川弘一
小樽-札幌間は通勤・通学等で列車本数が多い幹線。当時は総て蒸機列車で運転され、C62を始めC55、C57、D50、D51と車種も豊富だった。断崖が海岸まで迫る厳しい地形で下車した張碓駅もすでに廃止になっている。 '67.4.30 張碓-銭函 P:中島正樹
キハ183系ディーゼル特急の全盛となっていたが、地平ホーム時代の煤まみれの跨線橋が懐かしい。「おおぞら」と「北斗」。 '85.7.8 札幌 P:迫尾 肇
かつてこのポジションでC62の「ニセコ3号」を撮っている。キハ183系、13輌の長編成が懐かしい3D[おおぞら3号」の姿だ。途中、滝川で別れ7両が釧路まで運転。当時、鉄塔の傍に運転指令建屋があったが、この時すでに撤去されておりそのため、連絡船が見えるようになっていた。 '82.5.28 函館駅 P:小西 明
山線を往く急行「ニセコ」。C62重連の迫力には敵いませんが、DD51重連で峠越えに挑みます。 '85.8 小樽-塩谷 P:新井良紀
函館本線山線沿線は豪雪地帯です。その中を急勾配の倶知安峠に挑むC62重連急行「ニセコ1号」104レが豪快に走行する姿に魅せられてたびたび訪れました。 '71.3 小沢-倶知安 P:中川弘一
札幌行き急行「たるまえ」を牽引するC62の発車前のひと時。23時台には、3本の蒸機牽引列車がホームに停車していた。他には、釧路行きと札幌行きの荷物列車だった。連絡船到着前なので、まだホームは静まっていた。 '68.4.3 函館 P:高橋孝一
3月下旬になると、ここ倶知安のC62重連の発車は撮りやすくなる。だからといって、いい写真が撮れる、というわけでもない。何度通いつめても、傑作はなかなかモノにできなかった...。 '67.3.29 P:高橋孝一
倶知安駅から各駅停車に乗って銀山駅におりたった。駅は綿帽子を冠ったような雪景色の中を、上りD51牽引客車列車が発車して行きました。 '69.3 P:中川弘一
待機するD52と進入するキハ82系「北斗」。この構図が気に入って、たびたび同傾向の写真を撮っている。 '70.8.17 大沼公園 P:高橋孝一
当時の札幌駅地表ホームが見える構内で翌日の鉄道100年記念運転に備え停車中のC62 2・3号機初めて撮った一枚。 '72.8.26 札幌 P:新井晃司
始発準備の転線と共に蒸気作りの投炭が始まったようだ。雄大な駒ケ岳をバックに豪快な煙が立ちのぼる。大沼公園駅発8144列車。機:D52 140。 '72.5.5 大沼公園 P:青木一郎
真夏の暑い日。上目名の峠を登るD51貨物を待つ。眩しい空を暗くするほどの黒煙に驚いたが、できた写真を見てダブルルーフの客車が写っていたのにまた驚いた。D51 804。 '73.8.4 上目名 P:小林哲哉
雪の倶知安駅にて上りD51重連客車が雪煙を上げて発車して行った。(本命はC62重連ニセコですが!) '69.3 倶知安 P:中川弘一
大動脈の輸送を担うマンモス機。気温は低い北海道の5月、発電機の白煙までもが冷たい風に乗る。 4181列車 機:D52 '72.5.5 七飯-大沼 P:青木一郎
D52の迫力は圧倒的だった。北海道ならではの長大編成の貨物だから、なおさらだ。ここ長万部では、C62とD52に行きあえた。 '67.7.18 長万部 P:高橋孝一
雪もやみ薄日が差してきた。そして風もなく今までにない絶好のコンディションとなった。まもなくして「ニセコ1号」が轟音を響かせてものすごい迫力で通り過ぎて行った。客車も煙で被っていなかった。 '70.3.14 小沢-倶知安 P:内田博行
20泊の貧乏学生旅行の途中、狩勝信号場で403D「阿寒」を退避させて堂々と通過する2002D「おおぞら」に遭遇。今になってみると狩勝旧線最後の夏をカラーで撮った貴重な記録となった。 '66.8.30 狩勝信号場 P:鈴木博之
この年の2月、卒業旅行として、函館本線山線を中心に撮影行。当日の銀山周辺は猛吹雪。お目当てのC62重連「ニセコ」も俯瞰は無理で、線路際での撮影になった。今となってはぜいたくと思えるが、「D51の牽く普通列車」も撮影した。数コマの連写のうち、もっとも迫力のあるカットがこれで、貴重な一枚となった。 '70.2.12 銀山-小沢 P:高橋孝一
信号扱い所と連携をとりつつ広い構内を行き来する入れ替え機のキューロク。建屋の大きなツララを見ると雪国の厳しい冬の冷気が今でもよみがえる。 機:49617 '66.12.27 岩見沢 P:青木一郎
下り「ニセコ3号」の撮影は逆光となった。白黒フィルムは上り「ニセコ1号」のために残したので、二眼レフ(アルペンフレックス)のカラーでの撮影となった。レンズの性能上線路脇まで行った。列車の通過前あたりから、薄雲がうまく午後の日差しを和らげてくれた。機:C62 3〔築〕 '71.1.5 大沼付近 P:小西 明
憧れのC62 の2号機が前補機で、本務機は32号機。まさに「ジェット機」のような走行音で通過していった。ここ数日は比較的暖かかったのだろうか、線路の真ん中の雪は消えていた。 '68.4.4 目名-上目名 P:高橋孝一
周りは背丈ほどの林が密集していて仕方なく線路際でD52を待ちました。 D51貨物列車がよい煙で露払い、ほどなくすると期待通りの爆煙で目の前を通り過ぎて行きました。 '73.3 渡島沼尻-鹿部 P:川瀬 剛
昭和46年9月15日、ついにC62急行「ニセコ」最後の日がやってきました。C62 2号機を先頭にした三重連のお別れ列車です。当日、「ニセコ1号」は目名-上目名で撮影し、最後の「ニセコ3号」は長万部で撮影しました。多くのファンが見守る中、二度と帰らぬ旅路に出発して行きました。 '71.9.15 長万部 P:武者秀男
C62重連の「ニセコ1号」の撮影後、普通列車を待った。雪が激しく降り出し線路は全く見えなくなった。ジェット音のC62と異なり単機の牽引による素晴らしブラストが聞こえて来た。出来るだけ引きつけてシャッター切った。目の前を通過したときの体の中にまで響くブラストは、トンネルに入る手前の汽笛まで私の録音テープに記録された。 '69.1.3 目名─上目名 P:小西 明
あこがれのC62の2号機と整備している機関区の職員の方々。庫内には蒸気があふれていた。 '70.2.9 小樽築港機関区 P:高橋孝一
降り続いていた雪も止み日が射してきた。辺り一面雪化粧のなか新雪を踏みしめながら134レがやってきた。普段D51はついでに撮影していたが、あまりの美しい光景に今日は真面目に構えた。 '70.3.11 小沢─倶知安 P:内田博行