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■よん・さん・とおから10年…またも節目のダイヤ改正
「○月の鉄道のデキゴト」は、当月にあった過去の鉄道の「デキゴト」(路線の開通や車両の新製・廃車、そのほかの事件など)を振り返るコーナーです! ティーブレイクにでも気軽にお楽しみください。
本日は、43年前となる昭和53(1978)年10月2日の国鉄ダイヤ改正の話題です。10月4日付けの本コラムでは1968(昭和43)年10月1日「よん・さん・とお」のダイヤ改正について触れていますが、そのちょうど10年後のダイヤ改正では何があったのでしょうか。
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🔶10月の鉄道のデキゴト「伝説の白紙ダイヤ改正、よん・さん・とお(1968年)」
▲この改正で気動車「くろしお」は引退。キハ81形の最後の働き場であったが、これでピリオドが打たれた。既に架線が張られた中の最後の時期のカット。
‘78.7.23 紀勢本線 新宮~三輪崎 P:桑原浩幸(今日の一枚Memoriesより)
山陽新幹線は博多まで全線開業済、東北・上越新幹線開業まではまだ間があった狭間の時期ですので、改正は在来線が中心…という点では「よん・さん・とお」とも似ていましたが、空気感がだいぶ違っていたようです。「よん・さん・とお」では高速で効率的な輸送網の拡充、という方向性でしたが、その後国鉄は労使の対立や相次ぐ運賃値上げで混迷の時期を迎えており、この昭和53年10月改正では貨物列車の大幅削減など、事業規模縮小となる要素が含まれていたのが話題となりました。
その中でレイル・ファンとして記憶に留めておきたい事柄を挙げていきましょう。
○紀勢本線 和歌山~新宮電化
▲381系投入の2番目の列車として、「くろしお」が電車化された。写真はごく近年、特急色に戻された381系による団臨「なつかしのくろしお」。
‘13.3.3 阪和線 新家~長滝 P:安達宏行(今日の一枚Memoriesより)
最も大きな変化が見られたと言えるのはこの紀勢本線の電化。これによって気動車特急「くろしお」(天王寺~名古屋)が、電車(381系)の「くろしお」(天王寺~新宮)と気動車(キハ80系)の「南紀」(名古屋~紀伊勝浦)に発展的に分離しました。「くろしお」の振り子式381系は中央西線の「しなの」に次ぐ2箇所目の投入という華々しさがある一方、初の気動車特急であったキハ81形はこれにて引退となりました。
○武蔵野線 新松戸~西船橋開業
▲開業当初の武蔵野線では、A基準適合化改造が施された101系1000番代が活躍した。
’83.9 武蔵野線 北朝霞 P:梶村昭仁(消えた車両写真館より)
首都圏通勤路線での大きな動きが、当時小金線とも呼ばれていた武蔵野線・新松戸~西船橋間の開業で、これによって既設の府中本町~新松戸と合わせて大環状が誕生しました。本来はこれによって貨物列車が都心部を迂回するというのが主目的でしたが、皮肉にも貨物輸送の縮小が始まり、むしろ通勤路線として発展していくことになります。
○電車特急に絵入りヘッドマーク採用
▲その後長く親しまれた絵入りの列車愛称ヘッドマーク。写真の「雷鳥」は485系がその後も長く使われ、最も馴染みのある絵柄のひとつだ。
‘08.1.20 北陸本線 細呂木~牛ノ谷 P:安達智彦(今日の一枚 Memoriesより)
▲「はつかり」の583系もこの時に絵入りヘッドマークが採用された。写真は「思い出のはつかり号」としてリバイバル運行されたもの。
‘02.11.2 東北本線 奥中山~御堂 P:阿部裕二(今日の一枚 Memoriesより)
これは前向きな営業努力の表れだったと言えるでしょう。それまで文字だけで表示されていた電車特急のヘッドマークに、列車ごとに趣向を凝らした絵入りのものが採用されました。この段階では貫通型・非貫通型(いわゆる「電気釜スタイル」)のみが対象で、ボンネット型車両や気動車特急は少し遅れての採用となりますが、これによって年少ファンは大いに増加。間接的にNゲージブームにもつながる動きであったと言えるでしょう。
○【直接的ではないですが…】東京発ブルトレに「PF」登板
▲美形だが正直疲れを隠せなかったEF65 500番代に代わり、端整な1000番代がブルトレ牽引に登板するようになった。写真はJR化後、285系化前の時代。
‘92.5.3 東海道本線 東京 P:大須賀晋(今日の一枚 Memoriesより)
▲東京駅での機回しの風景に大勢の年少ファンが群がる。この写真の通り、500番代の時期に既にブームの萌芽は芽生えていた。
‘78.7.22 東海道本線 東京 P:桑原浩幸(今日の一枚 Memoriesより)
実際には改正以前に置き換えられていますが、東京発ブルトレの牽引機が、それまでのEF65 500番代(P型)から、新製投入されたEF65 1000番代(PF型)にバトンタッチ。それ以前から投入されていた2段式寝台の24系25形ともあいまって面目を一新、これまた年少ファンの大量流入を招き、今なおその時に知った楽しみから鉄道趣味を続けておられる方も多いはずです。
○上越特急「とき」から食堂車消滅
▲489系「はくたか」と並ぶ、181系「とき」。最後まで181系を使用した「とき」だが、1978年以降は食堂車なしの編成となってしまった。なお、ボンネット車に絵入りヘッドマークが付いたのは、「電気釜」車よりもやや遅れた。
‘82.10.2 東北本線 上野 P:采女 誠(お立ち台通信より)
この時期、「合理化」の名の元、食堂車の削減などが各地で行われましたが、名門特急の「とき」で使用されていた181系からもこの時に食堂車が消滅。既に併用されていた183系1000番代には初めから食堂車が準備されておらず、旅のスタイルが変わったことを思い知らされたデキゴト…と言えるでしょう。
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このダイヤ改正後も国鉄の赤字は膨らみ続け、わずか8年半後の1987年3月に民営化がなされます。しかしこの時点で「国鉄が分割民営化される」ということを予測できていた方がどれくらいいたのか…? 怒涛の80年代を前にした大きなダイヤ改正だったのでした。