鉄道ホビダス

2011年3月23日アーカイブ

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夕方になると参宮線用の客車入換えのため、C50が活躍していた。ヤードや駅構内を動き回るマスコット的な存在だった。 '72.1.7 P:石地康司

DD53力走

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亜幹線及び除雪車兼用として開発されたDD53。わずか3輌しか製造されなかったため、出会う機会は少なかったが羽越本線で黙々と貨物を牽く姿を何度か見ることができた。 '69.5.4 新発田-加治 P:中島正樹

須磨浦のEF58

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有名な撮影地ですが、海を大きく入れて撮るのは難しい場所です。この写真は仕事の関係で一般の人が立ち入れない場所から撮ったものです。仕事関係の機械や景色の中に埋もれていた一枚です。一般の人が入れない場所なので永らく封印していましたが、その施設も撤去されてしまったので、投稿しました。 '78.9.26 塩屋-須磨 P:山口龍次

鉄道少年の頃

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鉄道少年になった頃は、特急列車をお目当てに、東京、上野などに通った。この頃のブルートレインは、EF58に代わりEF60形500番代が牽引していた。<みずほ>が到着し、機回し中の作業をとらえた一枚。 '64.7.20 東京 P:高橋孝一

朝日を浴びて

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就職を控え学生時代最後の思い出にと、電化され新たな職場を得たEF58を求め紀勢線へ出かけた。朝日を浴びて古座の鉄橋を行く通勤通学列車の美しさは、今でも忘れられない。 '81.3.10 古座-紀伊田原 P:佐々木裕治

頼もしき老兵

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無ダイヤ状態の猛吹雪の中、発車して行く9600。 74.1 抜海 P:川瀬 剛

DD14との出会い

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北海道撮影に行くなら、母の実家にもよって行けといわれ、稚内に来たのは1969年9月。朝のC55を撮影すると、特に行く所もない。ダイヤを見ると、貨物は稚内まであるので、すべて9600だと思って待っていたら、来たのはDD14 5だった。なじみのない機関車だけに、最初見たとき何が来たのかと思ったほどだった。多分9600は南稚内までで、その先は稚内の先に、貨物扱いの操車場があり、入換えをかねて、牽引機が変わったのだろう。今見ると2軸貨物ともども、懐かしい編成である。 '69.9.30 稚内 P:志井純一

発車前のひととき

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発車まであと10分ほど。当駅始発のこの列車へ乗り込む人達の中に知人を見つけた嬉しい一瞬。冬の北国で曇天、正午過ぎというのに足の動きもブレるほどのスローシャッターしか切れなかった。機:052 339-9。 '75.1.3 西ドイツ ラウダ P:青木一郎

3800系更新車

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一時は名鉄の主流だった3800系。車体更新をした車輌。 '85.8 名古屋鉄道名鉄本線 須ヶ口 P:田原栄一

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土曜日運転の難波発白浜口行き座席指定急行「臨時しらはま」号は南海電鉄のサハ4801、1輌のみであるが、難波から和歌山市までの南海本線はモハ2001形が牽引、特急ダイヤで疾走。和歌山市から東和歌山(現・和歌山)までの3.3kmはC57が牽引、和歌山で天王寺からEDF52などが牽引してきたスハ44系による「臨時しらはま」号と併結、引き続きC57が白浜口まで牽引した。和歌山市・東和歌山間は短区間ながら客車1輌のみという、これ以上考えられない最短編成の蒸気急行列車で、しかもこの編成での運転区間も、最も短い距離であると思われる。しかも途中、和歌山市-和歌山(現・紀和)場外の国社分界点までの1.6kmは南海電鉄の国社連絡線だったので、写真の列車は南海電鉄の営業列車ということが言える。一般に大手私鉄で最後まで蒸気運転を行っていたのは東武鉄道と思われがちであるが、和歌山市駅まで国鉄紀勢線や和歌山線の蒸気列車が乗り入れていたため、東武鉄道よりかなり後まで南海電鉄は蒸気の動力認可を受けていたのである。「臨時しらはま」号の客車運転は昭和43年3月の改正で姿を消した。 '66.8 南海電鉄 和歌山市 P:永野晴樹

小雨にぬれて

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中学の卒業式を終えて すぐに寝台特急「出雲」に乗り込んで始めての山陰本線の撮影旅行に出かけた。小雨の浜田駅構内でC56が忙しく入換作業をしていた。 '74.3.17 浜田 P:新川 裕

遠い日の夏休み

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写真を撮ったとき、手前のD51の機関助士さんに、生田原までキャブに乗せてやると言われました。しかし荷物を離れた場所に置いてあったので諦めました。残念でした。中学1年、夏休みの思い出です。 '73.8 常紋信号場 P:佐藤圭樹

C61 20

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現役時代のC61 20号機です。東北から来て間がない時期に撮影したものなので、補助灯がついたままです。 '72.3.30 宮崎機関区 P:山本順一

後補機仕業準備完了

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無煙化直前の播但線。この日は訓練のためか運悪く本務機はDD54だったが、後補機のC57 93は威風堂々としていた。 '72.9.23 姫路 P:西田達哉

新旧交代

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羽越本線の電化完成で走り始めた最新鋭のEF81と最後の活躍を見せる陸羽西線のC58。この時期新旧交代のシーンが各地で見られました。 '72.8 余目 P:本荘裕二

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1972年10月29日に八高線で運転された記念号を浅川橋梁で撮影しました。この498号機、現在も活躍中なのは嬉しい限りです。 '72.10.29 八王子-小宮 P:塚本英晴

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歩き疲れて、ここから電車に乗ろうと上熊谷駅のホームに上がると傍らをEF15がモーター音を響かせて貨物を牽いてきました。当時は、貨物と言えばEF15が定番の高崎線でした。となりのホーム側は、今はなき東武熊谷線です。 '67.6 熊谷─籠原 P:大澤 彰

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DD54が牽引する「汽車」が当たり前のように発着していた姫路駅から生野へ行く途中の福崎駅で上り「はまかぜ」と交換。なんの感動もなかった駅撮り写真が今とても愛おしい。 '77.5.3 福崎 P:八木雅弘

急行連絡船

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高校生時代四国旅行に行った際の1コマです。いつか必ず急行連絡船に乗ってみたいと思っていましたが、夢はかなうことはありませんでした。 '79.8 宇高連絡船 P:齋藤功郎