キハ47を先頭にした4輌編成の新見行普通列車。キハ20、26、35と雑多な編成は国鉄型気動車の魅力でもあった。最後部のキハ35はキユニの代用。 '81.11 芸備線 備後庄原付近 P:清原正明
芸備線の最近の記事
最後の仕業となった三江南線マヤ臨牽引を終え転車台に乗る48650号機。その後同機は三次市内に保存され、転車台は東武鉄道鬼怒川温泉駅に移設された。 '70.12 芸備線 三次(芸備線管理所) P:清原正明
陰陽連絡列車として長年走り続けた急行「ちどり」。この日は3輌運転で、手前のキハ55は指定席、中間のキロ28がグリーン指定席、キハ58(非冷房)が自由席です。 '71.1 芸備線 備後庄原 P:清原正明
小雪の舞う日暮れ時、轟音と共にC58がやって来た。線路脇に置かれているのは、開業時から使用していたと思われる1933年製造の短尺レール。 '71.2.23 芸備線 高〜備後庄原 P:清原正明
広島〜新見間を直通運転されていた822レは三次で機関車交換、三次〜新見間は新見区のC58が牽引する。新見区のC58は集煙装置を装備して山岳路線向けの仕様であったが、中でもC58 175号機は後藤デフ装備が特徴的だった。 '70.11 備後庄原付近 P:清原正明
広島機関区から木次線管理所への転属のため無動力回送中のC11 330ですが、本務機の次位ではなく、最後尾の緩急車手前に連結されています。備後落合から直接木次線に入れば最短ですが、C56では重荷なのか、伯備線〜山陰本線を経て運ばれました。 '70.10 芸備線 備後落合 P:清原正明
田植えも終わった田んぼの脇を、後藤デフ装備のC58 175がワフ1輌を従えて走り過ぎました。 '70.6 芸備線 備後庄原付近 P:清原正明田植えも終わった田んぼの脇を、後藤デフ装備のC58 175がワフ1輌を従えて走り過ぎました。 '70.6 芸備線 備後庄原付近 P:清原正明
田植えも終わった田んぼの脇を、後藤デフ装備のC58 175がワフ1輌を従えて走り過ぎました。 '70.6 芸備線 備後庄原付近 P:清原正明
大型連休に合わせて増結された急行列車。右の4輌が木次線に入る「ちどり」号、左の4輌は新見行の「たいしゃく」号。 '82.4 芸備線 七塚-山ノ内 P:清原正明
無煙化の10日あまり前、昔から繰り返された作業が普段通りに行われていました。 '71.3 芸備線 三次 P:清原正明
立春は過ぎても寒い日の貨物列車。無煙化も1か月あまり先に迫った。 芸備線 高-備後庄原 '71.2 P:清原正明
冬に備えてラッセル車の試運転が行われた。新見から来たキ100とC58は備後落合の転車台で方向転換し、元来た道を戻る。 '70.11 芸備線 備後落合 P:清原正明
この時期、芸備線の三次-広島間にDE10が導入され、C58は三次以東で見られるだけになっていました。撮影から45年が経過し、右の民家は建て替えられましたが、踏切は依然として四種のままです。 '70.11 芸備線 高-備後庄原 P:清原正明
山峡の備後落合では長時間停車する列車が多く、ホームにはうどん屋も置かれていました。三次にあった老舗駅弁会社の支店で、陰陽連絡の急行「ちどり」が広島〜備後落合間に運転区間を縮小した後に営業を止めています。 '79.10 芸備線 備後落合 P:清原正明
収穫が進む田圃の脇をキハ20がのんびり走る。機械化が進み、刈り取った稲を干す光景は希少になった。 '81.10 芸備線 高〜備後庄原 P:清原正明
相次いで新見方面へと向かう貨物列車が並ぶ。いずれもC58だが、右側、新見区の所属機は鷹取式集煙装置を装備して、いかにも山岳線に挑むという感じであった。 '71.2 芸備線 備後庄原 P:清原正明
川沿いの棚田に沿って、新見行のキハ23+キハ20が駆け抜けます。 '80.8 芸備線 内名-小奴可 '80.8 P:清原正明
DE10が牽引する50系客車の短編成。この区間を走る客車列車は、民営化後2年で気動車化されました。 '86.5 芸備線 高-備後庄原 P:清原正明
異色の改造車キユニ16を先頭に、キハ23、キハ20、キハ11と、模型で再現したくなるような編成の普通列車。現在この区間は、JR移行後に導入された軽快気動車の1輌運転となっている。 '72.11 備後庄原-高 P:清原正明
かつてどこでも見られた、刈り取りを終えた稲束を干している光景ですが、今では極めて少なくなりました。 '76.10 小奴可 P:清原正明
DE10に牽かれたスユニ61、オハ35、オハ35、スハフ42の4輌編成が、新緑の中国山地へと分け入って行きます。40年の時が過ぎ、この区間の列車は日に3往復のみです。 '74.5 備後八幡ー内名 P:清原正明
春を感じさせる景色の中を、軽い編成を牽いたDE10が駆け抜けて行きました。 '82.4 備後西城-平子 P:清原正明
紅葉を背景に、西城川沿いを走る新見行の貨物列車。芸備線の貨物列車は、国鉄時代末期に姿を消した。 '79.11 備後庄原-高 P:清原正明
車窓から見える藁葺きの民家、キハ58系の急行列車、何れも今では見られない光景です。 '80.10 芸備線 道後山-備後落合 P:清原正明
田植えの終わった田圃の脇を、集煙装置付きのC58が客車を従え、豪快に駆け抜けて行きました。 '70.5 備後庄原付近 P:清原正明
田植えが終わった風景の中を行く、懐かしい編成の列車です。DE10に続くスユニ61は蒸気機関車時代から永く見られた車輌ですが、50系客車は新製車輌にもかかわらず、思ったより短命で終わってしまいました。 '810.5 備後庄原 P:清原正明
4月下旬、広島県北地域は田植えの準備に追われます。山峡の備後落合界隈にも春が訪れ、見事な藁屋根の周囲に拡がる田圃には、田植えを待つように水が張られていました。 '82.4 比婆山-備後落合 P:清原正明
夕陽を受けて走る新見発、三次行きの普通列車。この当時、長距離を走る普通列車は当たり前でしたが、民営化以降、運行形態が見直された路線も多く、現在の芸備線は三分割状態の列車運行となっています。 '81.12 備後庄原 P:清原正明
中国山地に深く分け入って走る芸備線は変化に富んだ景観と運用が楽しめた。静かな山間駅、その静寂を破って長時間停車していた貨物列車が豪快な爆煙を上げて新見へ向けて発車した。 874レ C5892 '64.3.7 備後落合 P:中島正樹
その昔、広島県北では田圃の灌漑用として水車が用いられていました。グリーン車を従えた陰陽連絡の急行列車ともども、今となっては昔話です。 '80.7 備後西城-平子 P:清原正明
芸備線の一番山深い辺り、一駅の間で線路は山地を避けて大きく迂回する。C58牽引の貨物列車がドラフト音も高らかにトンネルを抜け出してきた。トンネル出口からは暫く煙が立ち上っていた。 '64.3.9 備後落合-道後山 P:中島正樹
終日沿線を撮り歩いて備後落合駅へ戻る途中、山の斜面に架かるコンクリート橋で貨物列車を迎え打った。本務機C58、後部補機8620でローカル線とは思えぬ長い編成、傾きかけた西日にぎらりと輝く車体が印象的だった。 '64.3.7 備後落合-道後山 P:中島正樹