鉄道ホビダス

呉線の最近の記事

バック運転のC62

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呉線経由の広行は大型蒸機による逆向き牽引で運行されていた。この日は速度記録保持のC62 17号機が担当。 '69.9 山陽本線 広島 P:清原正明

夜のC59

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昼間に呉線沿線で撮影後、夜間に広島機関区を訪れました。漆黒の闇の中にC59 162が機関区の照明を受けて輝いていました。左横には新鋭のEF58が待機しています。 呉線 広島運転所 '69.9 P:中川弘一

さようならC59

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急行「安芸」さよなら列車で糸崎駅に集まった人の中には撮影せずに見るだけの人も多かった。手前の坊やは今でもこの時のことを覚えているだろうか。 '70.9.30 糸崎 P:鈴木博之

力走!C59

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小6の夏休み、急行「安芸」の峠越えを撮りたい一心で安芸川尻の駅から路線バスに乗り、汗だくで辿り着いた憧れの地は電化工事の進捗で雑誌で見た風景と一変していた。逆光線の中、現れたのは幸運にもC59 161号機! 強烈なブラスト音とキラッと光るヘッドマーク、手を振ってくれた機関士さんの満面の笑顔が、45年以上経った今も忘れられない思い出となっている。 '70.7.28 呉線 安芸川尻-安登 P:古澤成博

瀬戸内海を行くC62

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呉線は車窓から風光明媚な瀬戸内海を見ることができます。おりしも、C62が客車を牽引して島々を背景に白煙をたなびかせて姿を見せました。 '70.3 呉線 安芸幸崎―須波 P:中川弘一

急行「音戸51号」

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呉線撮影は夜行列車で小屋浦到着後、まだ朝の薄暗い中、C59 164牽引の8311レ急行「音戸51号」から始まりました。果たして写っているのか心配でしたが、現像してC59のシルエットが確認できてほっとしました。 '69.3.21 呉線 小屋浦-坂 P:村木勝義

電蒸運転

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呉線電化間際、EF58とC62の電蒸運転が開始されていました。当時は、電気機関車に興味がなく、後ろのC62だけを流し撮りで記録に残しました。蒸機の機関士もこちらを見ているようです。 '70.9 呉線 糸崎 P:中川弘一

夜のC59

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昼間に呉線沿線で撮影後、夜間に広島機関区を訪れました。漆黒の闇の中に、C59 162が機関区の照明を受けて輝いていました。左横にはのEF58が待機しています。 1969.9 広島運転所 P:中川弘一

C62「安芸」快走

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電化の工事が進んでいる呉線でしたが、まだこの付近は、ポールが建っていませんでした。駅を少し南に歩き、瀬戸内海が見渡せるところで、上り急行、38レ「安芸」を狙いました。 '69.3.21  呉線 小屋浦 P:村木勝義

電蒸運転

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電化を目前に控え電蒸運転が始まった呉線。通いなれたミカン畑でカメラを構えていると626レがEF58+D51の組み合わせでやってきた。 '70.9.13 呉線 安芸幸崎-須波 P:鈴木博之

電化前夜

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電化完成が目前になった呉線に九州旅行の行きに立ち寄った。良い場所も見つからず、列車のみを中心に撮影。やって来たカマは最後まで広島で活躍したC59 161、バックの風情も悪くなかった。 '70.8.2 吉名-竹原 P:中島正樹

バック運転

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この日は終日小屋浦付近で撮影したが、夕方の広発はC59、C62のバック運転だった。見た目はブサイクだが希少だった。 '67.7.30 小屋浦ー坂 P:田中敏一

憧れのC62

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九州撮影旅行の途中、呉線に立ち寄り、まだ架線柱の建っていない小屋浦駅で荷物列車42レの通過を狙いました。憧れのC62を初めて見て、圧倒されたことを覚えています。 '69.3.22 小屋浦 P:村木勝義

代走D51

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大型蒸機で注目された呉線にも貨物牽引用にはD51が使用されていた。運用通りならC59となるはずの624レがD51牽引でガッカリしながら撮った一枚。 '68.11.10 須波 P:鈴木博之

夜の急行「音戸」

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深夜の広島駅にて。呉線経由の急行「音戸」がドレインを水銀灯に輝かせて発車して行きました。当時は、夜遅くまで駅構内で蒸機の勇姿を追いかけた青春の想い出の一ページです。 '69.9.21 広島 P:中川弘一

C62発車

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学生時代初めて訪れた呉線の広駅での大型蒸機の壮観なシーンです。C62 17やD51牽引の旅客列車をさしおいて側線から発車して行くC62 34は回送客車でしょうか。 '66.4.8 広 P: 飯田 勝

急行「安芸」西へ

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前夜に東京を出発した下り寝台急行「安芸」は呉線を昼前に通る。C59が軽快にカーブしながら広島を目指して行った。 '68.11.23 安登-安芸川尻 P:中川弘一

「安芸」通過

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秋の16時頃。陽の傾きを気にしながら登場を待つ。シゴキューに牽かれ、軽快なリズムと共に安浦駅を通過して行った。広島発東京行38列車。機:C59 162 '68.11.30 安浦 P:青木一郎

通勤列車

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ポッ! 夕方の通勤列車を牽引して、C62がこの川を渉る凛々しい姿もあとひと月。老兵は死なず、ただ消え去るのみ、か...。  '70.8 仁方-安芸阿賀 P:中浦秀和

川面に影をおとして

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かつて東海道本線で特急牽引の勇姿を見たことがあるだけに、DCに交じって通勤列車を牽く黄昏のC62を見るのは懐かしくもあり、また寂しくもあった。 929レ牽引のC62 37。'70.7.13 広 P: 森瀬壽三

霧の朝

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ボッ! 彼方から短い汽笛! とりあえず跨線橋の上でカメラを構えていると、想定外の濃霧の中から現れたのは、C62 15。今は、リニューアルされた東京駅の「動輪の広場」に、在りし日の栄光を留めるのみ。 '70.8.30 安芸川尻-安登 P: 中浦秀和

急行「安芸」

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東海道、山陽本線ではC62はすでに引退していましたが、特甲線の呉線で大型蒸機のC62がヘッドマークを掲げて誇らしげに活躍していた頃を懐かしく思い出します。 '69.9.21 小屋浦 P:中川弘一

安登越えの荷物列車

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呉線の荷物列車は1日1往復、C62やC59の大型蒸気機関車が牽引していました。上り荷物列車は急行安芸の時間帯に運用されていたので、急行を撮影時に見られました。荷物列車が16/1000の急勾配を驀進している勇姿は地味ながら迫力満点でした。 '70.9 安登-安芸川尻 P:中川弘一

憧れの雄姿

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小6の夏休み、家族旅行という条件付きで訪れた広島。この日は安芸の宮島に連れて行かれたが早々と駅に戻り、慌ててホームに駆け上がった。そこには夢にまで見た憧れの列車が佇んでいた。上り38レ急行「安芸」。 '70.7.29 広島 P:古澤成博

安芸津駅発車

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山陽本線はすでに電化済み。往時の面影残す大型機の働き場所があって良かった。各停を牽く姿ではあってもシロクニの姿に感激。広島発糸崎行626列車 機:C62 48 安芸津 P:青木一郎

「安芸」通過

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「秋」の16時頃。陽の傾きを気にしながら登場を待つ。シゴキューに牽かれ、軽快なリズムと共に安浦駅を通過して行った。広島発東京行38列車。機:C59 162。 '68.11.30 安浦 P:青木一郎

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「SLブ-ム」過熱直前の呉線。初めて訪れ最初に撮ったのがお目当てのC59! まだヘッドマ-クもなく、沿線を一日中歩き回っても、鉄道ファンに一人も出くわさない日も多かった、のどかな頃...。 '68.8 安芸川尻-安登 P:中浦秀和

糸崎の両雄

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急行「安芸」を呉で下車。午後、糸崎機関区を訪ねると機関士がC59 161を点検中だった。僚機C62 15はこの後16号機とともに北海道へ転出することとなる。 '70.7.13 糸崎機関区 P: 森瀬壽三

電化近づく

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呉線にも架線柱が立ち始め頃、何とか架線柱が目立たない場所を開拓しようと安芸幸崎から竹原まで歩いた時にトンネル出口で撮ったC59 162牽引の624レです。 '69.1.15 大乗-忠海 P:鈴木博之

安登越え

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上り寝台急行「安芸」は呉を出発すると安芸川尻の先からの安登越えに挑む。最急勾配16.0‰を登るC59の迫力が懐かしい。 '70.9 安登-安芸川尻 P:中川弘一

瀬戸内海に沿って

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波穏やかな瀬戸内海をバックにC62牽引の38レ「安芸」が行く。東京までの旅路はまだ始まったばかりだ。 '70.3.8 安芸幸崎-須波 P:鈴木博之

白煙とともに

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レンガ造りのトンネルから白煙を噴出してC62 16号機が姿を現しました。恐らくトンネル内では車内に煙が充満していたことでしょう。同機は15号機とともに呉線から北海道に渡り函館本線で再会することになるとは、その当時は思いもよりませんでした。 '70.2.15 小屋浦 P:中川弘一

「安芸」発車

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東京発呉線経由広島行きの夜行寝台急行「安芸」が呉駅に到着。小休止の後、終着駅広島駅に向けて発車して行きました。 '70.2.15 呉 P:中川弘一

さよなら「安芸」

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呉線電化前日、惜別の装飾を施したC59 161に牽引された下り寝台急行「安芸」は、黒瀬川橋梁を渡り一路終着駅の広島駅に向かいました。 '70.9.30 安芸阿賀 P:中川弘一

待機

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呉線は急行「安芸」ほか、「音戸」、「ななうら」(43・10以降は「音戸」に編入)が蒸機牽引の優等列車だった。牽引は糸崎機関区のC59、C62である。機関区を訪ねると、これから、急行「安芸」の仕業につくC59 162が整備を終えて待機していた。 '70.9 糸崎機関区 P:中川弘一

瀬戸の浜辺で

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30年前の呉線では、EF15のあとを受けてEF61が貨物列車を牽引していました。使い方を覚えたばかりのコダクロームをカメラに詰めて、自宅から自転車で1時間かけて撮影に行きました。まだ水尻駅ができる前の海岸線だった頃の水尻バス停付近での1コマです。 '78.11.22 坂─小屋浦 P:綿崎真澄

真夜中の機関区

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真夜中の糸崎機関区にて、投光器を浴びてたたずむ国鉄最速の蒸気機関車C62 17。当時は署名とヘルメット着用だけで、このようなシチュエーションの写真も許可してもらえました。 '67.3.31 糸崎機関区 P:坂内定比古

C62重連急行「安芸」

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糸崎駅を発車する37レ急行「安芸」。この日はC62 37+C62 23の重連で運転された。 '68.11.17 糸崎 P:鈴木博之

呉線さよなら列車

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呉線はC59、C62の大型蒸機が急行「安芸」などで活躍していたが、電化により昭和45年9月末で引退する。C59 161号機に最終の急行「安芸」には、特製ヘッドマークを装着して惜別の思いで見送った。 '70.9.30 安芸幸崎-須波 P:中川弘一

最後のC59

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呉線の電化開業前日、糸崎機関区を訪れると、急行「安芸」牽引のC59 161号機に惜別のヘッドマークと日章旗を掲げて最後の花道に向けての準備が進んでいた。 '70.9.30 糸崎機関区 P: 中川弘一

上り「安芸」

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海田市広島方面に出張した折り、近くを走る呉線にカメラを向けた。呉線に入る列車が海田市手前で山陽本線をまたぐ辺り、ちょうどC59牽引の上り急行「安芸」がやって来た。この頃広島には3輌のC59がまだ健在だった。 '67.10.30 海田市 P:中島正樹

C59邂逅

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糸崎駅から運良くC59の牽く列車に乗れた。途中、須波で急行「安芸」と列車交換したが、牽引機はなんとC59 161。C59同士の交換と言う、願ってもない(一日早いが)お年玉となった。 '68.12.31 須波 P:古屋伸夫

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