伯備線の最近の記事
生山駅を発車したC58牽引米子行き下り列車。この後路線は日本海側の伯耆大山に出るまでずっと日野川沿いを走り、下り勾配が続く。 '64.3.8 伯備線 生山 P:中島正樹
伯備線にD51お召列車が走るとあって、遠路から多くのファンが集まっていた。米子機関区はファンに開放され、運転直前の緊迫した準備作業をつぶさに見ることが出来た。 '71.4.21 伯備線 米子機関区 P:中島正樹
972年3月の新幹線岡山開業から約1年、岡山区ではD51と0系の邂逅があった。しかし当時営業区間でない広島より岡山新幹線運転所への回送は僅少。その機会は少なかった。扇庫は新幹線のため撤去済。扇線D51鼻先の車止めが寂しい。未来のなくなったSLと未来へゆっくり回送の新幹線対比が面白くモノクロでカラーで35mmに中判と撮影を楽しんだ。今や被写体もカメラも博物館入りである。 '72.8.3 岡山機関区 P:深井浩一
岡山〜新見間で運転された鉄道100年記念号。お召予備機だったD51 758+元新鶴見区所属のD51 774の重連で牽引した。装飾を施したD51 758は新見区での撮影会のため、帰路は774号機の単機牽引だった。 '72.10.10 伯備線 備中川面―方谷 P:山下修司
半年後の電化開業を控え、架線も張られた備中神代に停車する米子行の普通列車。キユニ18トップナンバーに続くのはキハ47、キハ26、キハ20と、まさに雑多な編成。 '82.1 伯備線 備中神代 P:清原正明
最後の晴れ舞台お別れ列車を牽引するD51 838号機に最後の化粧が施されていました。 '73.3.31 伯備線 新見機関区 P:清原正明
新見機関区構内の平坦化工事が本格化し、その昔D51が占拠していた扇形庫も取り壊されることになった。 '78.9 新見機関区 P:清原正明
三重連の貨2492レ最終日、布原の喧騒を避けて備中神代で狙いました。その後やって来た貨物列車はDD54+D51、思わぬ収穫だったと気付いたのは10年以上を経てからです。 '72.3.12 伯備線 備中神代 P:清原正明
岡山機関区に配置されたばかりの真新しいDD51 781に牽引された922レが入線。煤煙から開放された乗客は大歓迎だろうが、レイルファンにとってはD51を追いやった憎いやつだった。 '72.9.23 伯備線 備中川面 P:鈴木博之
後部補機付の列車をSカーブで狙った。写真では補機の姿は見えないが、煙はかろうじて写っていた。布原信号場周辺にはカーブと鉄橋・トンネルあって、鄙びた山里の風景が谷間に延びていた。 '72.1.13 伯備線 布原信号場-備中神代 '72.1.13 P:高橋洋二
備中川面駅を出て二つ目の第4高梁川橋梁を渡り中国山地に分け入る2031D「やくも1号」。屋根上のラジエータと大出力エンジンの力強い排気音が魅力的なキハ181系だった。 '72.9.23 伯備線 備中川面-方谷 P:鈴木博之
伯備線から蒸気機関車牽引の貨物列車が姿を消した翌日、米子への回送準備のため入区線で待機中のD51。右手の炭台線と呼ばれた引上線には、既に2輌の先客が鎮座している。 '73.4 新見機関区 '73.4 P:清原正明
伯備線の蒸気機関車が消える昭和48年、岡山操車場発のD51の貨物列車を撮影に訪れアングルチェックしていたところ、絶好の被写体485系下り「つばめ」の登場。カメラ構えていたところ、後方から上り列車接近の音! 慌ててファインダー越しに見えたのは偶然にも上り「つばめ」でした。まさに春到来の「つばめ」上下すれ違いの撮影となりました。 '73.2.15 山陽本線 岡山ー庭瀬 P:定清博幸
伯備線の有名な三重連を知る前、初めて降りたのは生山駅だった。折しもD51重連貨物の本務機が盛んに黒煙を上げていたが、肝心の発車シーンは煙が出過ぎて絵にならなかった。 '64.3.8 生山 P:中島正樹
三重連運転の921レを備中川面で撮ってから訪れた布原は人影もまばら。この日は背後を気にすることなく12D「おき」の通過を撮影できた。 '72.2.11 布原信号場 P:鈴木博之
この日は無風状態だったのでカメラを縦位置にセットして三重連発車の迫力再現を試みた。 '71.2.11 布原信号場 P:鈴木博之
写真では向こうに向かっているようにも見えるが、実は逆向きの2輌の後部補機。逆向きの運用は短距離では他線区でもよく見られた。 '72.1.13 布原(信)-備中神代 P:高橋洋二
D51三重連を望遠レンズで狙ったが、猛烈な煙やドレーンで2、3輌目のD51は隠れてしまった。何もかも手動のカメラのため、満足するコマを得るのは結構大変だった。 '72.1.13 布原信号場-新見 P:高橋洋二
苦ケ坂トンネル上の国道から俯瞰した布原信号場は箱庭のようだった。停車中の827レと交換する452レが接近する。まだ線路際には人影がない時代だった。 '68.12.15 布原信号場 P:鈴木博之
無煙化を翌々日に控えた新見機関区の一コマです。無火となったカマもありますが、最後の仕業を控え、待機中です。奇しくもこの3両は現在も静態保存(D51797号機は動輪のみ)されています。 '73.3.30 P:光野 博
方谷駅で行き違い列車を待つ5593レ。伯備線のDL化はDE10で始まりその後増備されたDD51に置き換えられました。 '72.6.25 方谷 P:鈴木博之
伯備線はD51三重連が有名だったが、新見-備中神代間は芸備線の列車も通り、旅客列車や重連や後補機付きの貨物列車が行き交う楽しい区間だった。 '70.8 布原信号場-備中神代 P:中川弘一
備中神代で交換する特急「やくも」。 背後の山裾では中国自動車道の建設工事が行なわれている。陰陽連絡のトップスターとして君臨したキハ181系気動車も、この写真を撮影してから5年後の伯備線電化で381系電車にその座を譲り渡した。 '77.1 備中神代 P:清原正明
桜が満開の方谷駅に停車する多種多様な普通列車。この年の7月、伯備線は全線が電化されました。 '82.4 方谷 P:清原正明
D51お召は6×6カラーの一発勝負と決めていたので、首から掛けた一眼レフで撮った直前の光景。ノートリミングで見ると川原で撮影するファンの姿が...。 '71.4.21 石蟹-井倉 P:鈴木博之
伯備線の山間の小さな信号場はD51三重連で一躍有名になった。三重連が発車して走り去った後も、終日ファンの姿が途絶えることはなかった。 '71.4 布原信号場 P: 中川弘一
備線の山間の小さな布原信号場にてD51三重連が白煙をたなびかせて発車して行きました。 '71.2.11 布原信号場 P:中川弘一
苦ケ坂トンネルを抜け布原信号場に進入する芸備線827レ。太陽が傾き薄暗くなった第23西川橋梁上でC58のサイドにスポットライトが当たった。 '68.12.1 新見─布原(信) P:鈴木博之
粉雪が舞う布原信号場に進入して来たD51 838牽引の469レ。後年お召列車牽引の重責を担ったカマである。三重連通過後なので西川鉄橋横のお立ち台に人影は見当たらない。 '68.12.29 布原信号場 P:鈴木博之
新幹線岡山開業で陰陽連絡の主役を担ったキハ181系特急「やくも」。勾配をものともせず豪快なエンジン音を渓谷に響かせて疾走していていました。 '79.8.18 伯備線 方谷-井倉 P:鈴木博之
上手くタブレットキャッチが撮れたと思っていたけど、出来上がり写真を見ると、C58の頭が切れていた。後藤式デフに単式コンプレッサー装備機だっただけに、非常に残念な思いをしました。 '70.8.9 布原信号場 P:梶谷吉彦
特別なご好意で、布原信号場の田野助役官舎に一泊。助役さん手造りの朝食に舌鼓!「いいのが撮れるといいなあ」と白い手袋を着け、清々しい表情でホームに立ち最敬礼! 私もまだ水の冷たい川に足まで浸かり、鉄橋の真下で気合を込めてシャッターを切った。 '72.3.14 伯備線 布原信号場〜新見 P:中浦秀和
感慨深げに最後の3重連に白手袋で見送った田野助役は帰宅し、奥様、我々と記念撮影した。 '72.3.14 布原信号場 P:中浦秀和
布原信号場の2492レを撮影したあとに新見機関区へよりました。火を落していたのも何輌か含めてD51・C58が顔を並べていました。 '71.1 新見機関区 P:川瀬 剛
第23西川鉄橋を渡り信号場に進入する芸備線857D。D51三重連2492レが演じた壮大なドラマの幕開けを告げる使者のような存在だった。 '71.2.11 新見-布原(信) P:鈴木博之