鉄道開業100周年を記念して長野局で運転された「3Lの旅」。長野から出発しEL、SL、DLと付け換わって長野に戻るもで、撮影タイムの小海駅では下車した乗客で大賑わいだった。 '72.6.25 小海線 小海 P:中島正樹
中央各線の最近の記事
冬の小海沿線の撮影のために立ち寄った。丁度、転車台の手前で停車中のC56を見つける。駅で撮影の許可をもらい転車台へ。アングルを探して、下へ降りる。 C56 159〔中〕 '67.12.24 小海線 小海 P:小西 明
祝D51 200復活。構内に待機する現役時代のD51 200。広い構内に電化工事の足音が忍び寄るが、まだまだ蒸機活躍の頃。 '68.3.16 中央本線 中津川機関区 P:青木一郎
まだ寒い中、友人とC56を待ちました。鉄橋下に名産の鯉の養殖場があり、見事な鯉がたくさん泳いでいたのを覚えています。 '72.3.27 小海線 佐久海ノ口 P:齋藤 孝行
「高原のポニー」という呼び名は、清々しい高原を行くC56にはいかにも似付かわしいのだろうが、そういう表現は、実はあまり好きではなかった。小柄ではあっても、出発を待つその姿は、私にとってはとても凛々しく映った。 '72.8 小海線 信濃川上 P:後藤 篤
不具合も直り復活試運転も順調な200号機。集煙装置は外されてるみたいだけど中学生の頃に出会ったこの200号機にもう一度会いたいですね。 '71.11.2 中央西線 塩尻 P:川瀬 剛
大糸線時代のクモハユニ44100。元はモハユニ61001で竣工時は戦時中のため未電装で登場、その後ゲタ電並みの性能で電装され、その後の形式称号変更でクモハユニ44の一族となり、その後両運化され波乱万丈の歴史をあゆむ。 '60.4 大糸線 松本−北松本 P:水木義明
今や「SL北びわこ」号やSL「やまぐち」号の牽引機として有名な同機も、当時は上諏訪機関区配属で、煙室戸等をゼブラ塗りされた地味な入換用機関車でした。 '71.1.15 篠ノ井線 松本 P:牧 光一
録音する人、ただ見とれる人など、多くのファンに囲まれて、主役のC56 94号機が出発を待っている。この後、一般客車2輌と緩急車ヨ1輌を従えて、堂々たる姿で小渕沢に向かって行った。 '71.7 小海線 小海 P:後藤 篤
こんなところになぜ・・・? 昭和47年の晩秋、田端のEB101がわが街の駅の側線に何日か留置されていた。後に府中市で保存するのための廃車回送と知ったが、情報不足の当時は理由がわからず、鉄道少年の記録欲だけで撮影した。冷え込んだ夜、本線上の後輩EF11と語り合っていたのはお互いのオールド・グッド・デイズか。 '72.11.26 中央本線 国分寺 P: 新井宏明
「あずさ」誕生日おめでとう! 1966年12月12日より50年間、ずぅ〜っと走り続けています。5代目に交代も間近ですが、始まりはこの181系「あずさ」でした。 中央本線 立川-国立 P:中安 輝
線路際に山積みされた木曽檜。この輸送を担うのはD51の貨物列車でした。後ろに連結された貨車には丸太が満載され、既に架線柱が立つ中D51が最後の活躍をしていました。 '72.11.2 中央西線 野尻 P:末近義治
この日は貨物専用機の15号機が、お座敷列車を牽引してくれた。 '86.3 中央本線 西国分寺-国分寺 P:采女 誠
D51最後の活躍をカメラに収めるべく出かけました。朝の静寂の中、冷気をついて、D51が元気よく鉄橋を渡って行きました。 '73.1.14 中央本線 落合川 P:村木勝義
晩秋の中央本線を行く165系「アルプス」。"クハ・クハ"や"サハシ・サロ・サロ"という全盛期の編成ですが、この時点でビュッフェは営業休止となっていました。 '78.12.3 中央本線 高尾 相模湖 P:矢島和明
架線が張られていない区間で撮影しようと思ったものの、雨は強いし結局どこも電化の工事で良い場所は見つからなかった。そんな中、力強いブラスト音と共に現れたのは篠ノ井線でお別れ列車を牽いたD51549号機だった。 '73.4.3 中央西線 南木曽-田立 P:古澤成博
春浅い日に中央西線のハイライト鳥居峠を訪れた。さすがの山男D51も、長大貨物列車を牽いての峠越えは厳しいのか、D51 245〔中〕は歩くようなスピードでゆっくりブラスト音を刻んでやって来た。 '73.4.3 中央西線 藪原-奈良井 P:古澤成博
かつて中山道の宿場町だった奈良井宿を背景に829列車を牽引するD51。電化目前、沿線に立ち並んだコンクリート支柱が、まるで蒸機たちの墓標のように見えた。 '71.2.22 中央本線 奈良井 P: 森瀬壽三
篠ノ井方面DD51重連貨物列車が発車を待っている間にも、駅構内の入換作業にC50 116が忙しく働いていた。 '70.7.30 中央本線 塩尻 '70.7.30 P:村木勝義
昭和62年3月のデビュー前、先に出場した3輌編成を使用して、関係者のみの試乗会が行われた。 '87.2 中央本線 高円寺駅 P:采女 誠
3か月後に電化を控え、嘗ての名所鳥居峠も架線が張られて撮影場所が限られていた。道路が近接する場所を見つけて重連貨物を待っていると、D51351[木]+D51265[中]がブラストも高らかにやって来た。 '73.4.3 中央西線 薮原〜奈良井 P:古澤成博
小春日和の暖かい冬の日、地元の子供たちが遊ぶ築堤の脇を、C12 74の牽く463レ貨物列車がゆっくりと築堤を上って行きました。 '71.12.12 明知線 東野―阿木 P:村木勝義
当時高校生、名古屋駅に振子特急「しなの」号試運転列車が入線さっそく撮影、それから13年後、専務車掌として名古屋〜長野間乗務することが出来感激ひとしおでした。 撮影日不明 中央西線 名古屋 P:尾崎芳雄
高原のポニーは人気者でした。到着した、183レ貨物列車のC56 149の周りには、すぐに記念撮影する人たちでいっぱいになりました。 '72.8.27 小海線 清里 P:村木勝義
まだ新車の香りがするようなキハ181系特急「しなの」独特なエギゾーストが記憶に蘇る。 '70.5 中央本線 名古屋 P:服部基寛
甲斐路の力自慢のELたちが顔を揃えた。 '84.12 中央本線 甲府機関区 P:采女 誠
一度長玉で狙いたかった車内からの牽引機撮影だが、快速「木曽路号」運転最終日に想いが実現。初めて乗った12系客車の発電エンジンに違和感を感じつつ、惜別の思いを込めてシャッターを切り続けた。 D51 101 '73.5.5 中央本線 木曽福島-上松 P:新井宏明
昭和40年代初めの中央東線の電機はEF13、ED61、EF64が活躍していました。機関区を訪れると、その3機種が佇んでいましたが、箱型デッキ付きの旧型電機の魅力で、真っ先にEF13に近づき撮影していました。 '67.8.18 中央東線 甲府機関区 P:村木勝義
名古屋市内を北東に直進するDC「しなの」。金山を出てしばらくすると、中央本線は北東に直進します。キハ181系「しなの」はスピードを上げて邁進して行きました。 '73.5 中央本線 金山-鶴舞 P:須田 剛
ゴールデンウィークを利用してやってきたが、木々の新緑にはまだのようだ。雪の残る八ヶ岳をバックにC56が牽引する183レが多くの乗客で賑わう客車1輌を連結してやってきた。 '72.4.30 小海線 清里-野辺山 P:小西 明
高原の澄んだ空気の中、ハイカー達を乗せた臨客がやって来た。列車にも、遠く南アルプスの山々にも朝日が当たる。 C56 144 新宿発野辺山行 8135列車 P:青木一郎
落合川駅を発車した下り貨物はすぐに第一木曽川橋梁を渡る。ここから先は山深い木曽谷に分け入り趣深い風光となるが、蒸機には多くの難所が待ち構えている。 '65.3.7 中央西線 落合川-坂下 P:中島正樹
御代田町に保存が決まりピカピカに整備されたD51 787と現役で活躍中の煙室扉のサビが目立つD51 172がならぶ。 '71.4 中央西線 木曽福島機関区 P:眞岡孝至
高原の澄んだ空気の中、ハイカーたちを乗せた臨客がやって来た。列車にも、遠く南アルプスの山々にも朝日が当たる。 新宿発野辺山行 8135列車 C56 144 P:青木一郎
7月に信越線黒姫でおきた土砂崩れのため信越線は不通になった。いつもはキハ58のフル編成で名古屋〜新潟間を運行する赤倉だが新ニイのキハ58が運用につけず急遽名古屋〜長野間の運転になりキハ58が足りない分を長ナノや名ミオのキハ55を組み入れた編成で運行することになった。木曽福島を出発する急行赤倉 キハ55 144(長ナノ) '76.8 木曽福島 P:眞岡孝至
冷房電源で急行「アルプス」等残存のサハシ165-50〜、1〜、サハ164が、185系200番代捻出のクハに代替し廃車回送。この日、学校を早退、懸命に自転車を漕いだ。 '82.6 上旬 篠ノ井線 稲荷山ー姨捨 P:大久保広樹
浅間山は早くも雪化粧。快晴の下、佐久の冷たい風に蒸機の煙も流される。 C56159 184レ '72.11.26 小海線 太田部-竜岡城 P:青木一郎
浅間山は早くも雪化粧。快晴の下、佐久の冷たい風に蒸機の煙も流される。 C56 159 184列車 '72.11.26 小海線 太田部-龍岡城 P:青木一郎
すでにDD16が入線していることは聞いていましたが、C56撮影に出かけました。千曲川の対岸を走るこの区間ででは、182レがDD16 8を先頭に、C56 144が3輌の貨車の最後尾に着き、押していました。 '72.8.27 小海線 佐久海ノ口-佐久広瀬 P:村木勝義
切り出された檜が積まれた上松駅を発車。この日は早春の暖かい日差しの中で撮影出来ました。 '73.3.26 上松 P:石地康司
クモニ83形を先頭にした新宿行き普通列車が、初冬の中央本線を快走した。 '84.12.10 立川-国立 P:采女 誠
鷹取式集煙装置を装備した関西のカマを見慣れていた私ですが長工式を装備したD51はいかにも山線の雄の様な迫力を感じました。 '73.3.26 木曽福島 P: 石地康司
トタハチSカーブなどと呼ばれる有名撮影地になる以前、デビュー直後の115系300番代。今日は臨時急行「かいじ・かわぐち」号、3+2+3+3の10輌編成。 '75.3.23 八王子-豊田 P:高橋卓郎
この時は白馬岳に登った帰りでした。松本行きの電車を待っている時、下り線をゼブラマーク、集煙装置付きのⅭ56 130が牽く貨物列車が通過していきました。駅舎も建替え工事中でした。 '70.7.30 白馬 P:村木勝義
朝の冷たい空気を震わせながら薮原駅を発車する。待ち構える勾配と闘う豪快なドラフトがしばらく続いていた。 3677列車 機:D51 793 '68.4.20 藪原 P:青木一郎
恵那駅本線の奥には、明知線運用C12のためのものなのか小さな給水設備があり、明知より戻ってきた貨物が休憩していました。 '73.3.26 恵那 P:石地康司
かいじ国体の時のお召列車のワンシーン。朝、原宿に向けて出発する前に牽引機のEF64 77の前で乗務員の点呼が行われ、張り詰めた雰囲気がこちらにも伝わってきました。 '86.10.11 大崎 P:中井光太郎
みどり湖経由のルートができる前、特急列車と交換する普通列車。スイッチバック式のこの信号場では客扱いもしていました。ホームが短いため、開かれたドアの下にホームがありません。古き良き時代です。 '80.10 東塩尻信号場 P:古村 誠
桑ノ原信号場から稲荷山駅へ下る途中、D51重連の旅客列車が登って来た。夏場で煙の迫力こそ少ないが、山裾に反響するドラフト音はすごかった。 '63.7.21 桑ノ原(信)―稲荷山 P:中島正樹
長年木曽福島で活躍したD51 787が御代田町に保存されることになり653レで木曽福島を去る。春の夕日をあびてピカピカに磨かれた姿が美しい。機関区職員やフアン十数名が見送った。 '71.4.19 木曽福島 P:眞岡孝至
川面を眺めながら待っていると、EF60牽引の貨物列車がやって来た。 '80.1.20 日野ー立川 P:采女 誠
力強いドラフトがここの擁壁で一段と大きく響いた。善知鳥峠への勾配に挑む。松本を6時に出、新宿には14時着。客車は8時間もの長旅。 426列車 機:D51 584 '64.3.18 塩尻-東塩尻 P:青木一郎
暑い夏の昼下がり、広瀬の大カーブをC56 144の牽く194レが軽快にかけのぼる。小淵沢や野辺山のお立ち台と比べると地味ですが、ここはお気に入りの"貸切撮影ポイント"でした。 '71.8 佐久広瀬-信濃川上 P:丸山修司
午前10時前、山間の駅で3輌のデゴイチが揃います。中央西線の一刻も早い復旧を願ってます。 '72.4.3 南木曽 P:中村 肇
未だ明けきらない塩尻の盆地の山裾を善知鳥峠を越えた列車が下り来る。まもなく塩尻駅。機:D51 708 '64.3.18 東塩尻-塩尻 P:青木一郎
中央西線の蒸気機関車お別れ列車9822レ(塩尻発木曽福島行)の出発に向けて塩尻でD51 775に最後の給油を行う乗務員。本線運転の最後の点検。 '73.8.26 塩尻 P:眞岡孝至
6月に電化され本線のD51がなくなっても木曽福島と上松の貨物入れ替えにC12が使われた。上松へ向かうデフ付のC12 199の単回1682レを中平信号場で写した。 '73.8 中平信号場 P:眞岡孝至
添乗させてもらった654レ、D51 125の上松発車、乗務員さんありがとう。 '71.6.13 上松 P:眞岡孝至
涼風が満喫できそうなユニークな編成の夏季臨「八ヶ岳号」。余剰緩急車も思わぬ形で一時の活躍。写真は撮ったものの惜しくも二軸車の乗り心地は体験し損ねた。 '86.7.27 野辺山 P:青木一郎
中央西線撮影に夜行DC急行「赤倉」を利用した。未明の木曽福島で降車、下り始発を待つ間、上り始発822列車牽引のD51 245を氷雨のなか長時間露光で撮ってみた。 '71.2.22 木曽福島 P:森瀬壽三
中央線101系晩年の姿。特快は103系と101系冷改車の運用になっていたが、快速運用にはオリジナル3+7の10輌編成がまだまだ活躍していた。 '80.9.21 八王子-豊田 P:高橋卓郎
甲斐大泉付近は小淵沢より高所にあるだけに南アルプスの最高峰北岳がよく見える。C56の排気も赤く染まっていた。 '72.4 甲斐小泉-甲斐大泉 P:吉岡靖夫
雲一つない快晴。八ヶ岳が美しかった。何回の登頂している山を主体にして、列車はシルエットで添景になっている。 '71.3 信濃川上 P:吉岡靖夫
1月、2月の週末は高尾臨がターゲットだった。夕方、上り列車は下り線で「あずさ」の通過を待って初詣の団体を乗せて発車。 '80.1.31 高尾 P:高橋卓郎
お馴染みの小淵沢の大カーブ。ここはC56だけではなく山好きにとって甲斐駒ヶ岳の展望台でもある。混合列車と雪の甲斐駒の両方を欲張った。 1972.4 小淵沢〜甲斐小泉 P:吉岡靖夫
電化より一足さきに旅客列車がディーゼルで無煙化されてゆくなか、D51牽引の832列車は被写体として貴重な存在だった。この日のように回送の前補機が付くこともあった。 '70.8.13 南木曽 P: 森瀬壽三
国立の鉄道研究所は「鉄道記念日」(当時)の前後に一般に公開されていろいろな研究施設を見ることができ,この年はリニアモーター化の試験走行が初めて公開された。あれから40年,やっと実用化に向けて本格的に動き出した。 '73.10.13 日本国有鉄道 鉄道研究所 P:中安 輝
明け方の電車区で憩う山スカ、181系、山ゲタ、165系の面々、いずれも懐かしの車輌たちです。 '72年頃 三鷹電車区 P:古村 誠
山岳地帯を越え、小仏トンネルを抜けてようやく裏高尾の下り勾配へさしかかった上りED61重連貨物。今は周囲の環境も牽引機もすっかり変わってしまった。 '64.8.30 高尾-小仏(信) P:中島正樹
朝の冷たい空気を震わせながら薮原駅を発車する。待ち構える勾配と闘う豪快なドラフトがしばらく続いていた。3677列車 機:D51 793 '68.4.20 藪原 P:青木一郎
秋晴れの日差しをいっぱいに浴びて下り貨物列車が登ってきた。間もなく上松、D51の煙も快調のようだ。 '66.10.29 上松-倉本 P:中島正樹
上松駅構内で木曽福島区のC12が入換作業後休息をとっていた。機関士さんに声をかけると気さくな方で、後日機関区にこの日の写真を持参して歓談した。C12 171は下諏訪の公園で保存。 '71.7.31 上松 P: 森瀬壽三
5月13日付の「編集長敬白の喜多方、1971年5月16日」に写っていたD51 238の中津川機関区時代です。電化前で今思えばパラダイスでした。 '73.3.25 中津川機関区 P:尾崎芳雄
団体臨時C56のプッシュプルで初詣の団体臨時が走るというので、小高い山へ登って待っていると歯切れのよいブラスト音が二重奏で聞こえてきた。後部補機が煙で隠れてしまい残念。 '72.1 信濃川上-野辺山 P: 高橋洋二
「観光用に蒸機が残るのは、小海線?」そんな噂がファンの間で囁かれていた頃、知ってか知らずか、高原のポニーが短い貨車を牽いて、トコトコ...と、八ヶ岳と鯉のぼりが見守る野辺山の構内へ入ってきた。 '72.5 野辺山 P:中浦秀和
富士山が描かれたヘッドマークを掲げ、春の甲州路を行く「飯田町駅開業90周年記念号」。写真のEF15 198は韮崎中央公園で保存されています。 '85.4.7 山梨市-東山梨 P: 采女 誠
この翌年の秋にサシが外されてから「あずさ」の写真は極端に少なくなりました。 '72.4.1 立川-日野 P: 中安 輝
翌年には全線電化を控えており、この付近は別線化のため電化工事には無関係。そうは言っても意外に電線が気になった。 '72.8.13 田立 P:宮山幸雄
この頃学生だった私は、毎年のように長期休みになると「信州周遊券」を使いこの425列車で、旧型国電の走る飯田線、大糸線へ撮影に出かけた。この時はデンスケ(ステレオ録音機)も同伴し旧型客車の走行音も取った。今でもこの音を聞くと当時の様子が思い出される。 '74.3 新宿 P:田中健吉
長い貨物と急勾配に奮闘するシゴロク。夏の陽射しに消える白煙、残る黒煙。間もなくさしかかるサミットは鉄道最高地点1,375m。183列車 機:C56 150 P:青木一郎
晩秋の澄んだ空気に苦しそうなドラフト音。C56が大築堤を大きく回り込んで来たその時、太陽がやっと顔を出し、背後から高原のポニーのシルエットを映し出した。 '72.11.3 小淵沢 '72.11.3 P:中浦秀和
塩尻駅近くだが広々とした畑の中、松本発名古屋行きが通過する。松本から名古屋方面へのスルー配線になる(1982年)はるか前。松本から名古屋まで各停で6時間近くもかかっていた頃。ナンバーは色つきのためか読み取れず。 830列車 機:D51 '68.4.20 塩尻-洗馬 P:青木一郎
迫力の急行貨物。まだ電化工事が進捗していない区間で、D51重連の急行貨物列車を待った。15分位だったか遅れて現れた列車は、C62重連を彷彿とさせる音とスピードでやって来た。 '72.3.25 洗馬-日出塩 P:古澤成博
この年の7月電化前に最後の勇姿を記録しようと訪れました。木曽谷の朝は凍てるほど寒く、7時頃にようやく冬枯れした山肌に日が差してきました。 '73.3.26 宮ノ越-薮原 P:石地康司
中央本線で活躍したクモニ83。さよなら運転は165系の前後に2輌ずつ、計4輌が連結された。 ''85.10.10 笹子-初狩 P:采女 誠
長野から帰京する折り、気分を変えて篠ノ井線経由とした。乗換えの松本駅では篠ノ井線貨物の発車を見送ったが、見れば後部補機に後ろ向きのD51重連が連結されていた。 '64.7.14 松本 P: 中島正樹
当時、周りの友達はみんな、東海道のゴハチに夢中でした。僕だけは、201系の試作車を追い掛けておりました。 '83.1 西八王子-八王子 P: 野地 洋
南木曽-田立間は一部新線に切り替わるため、下線ポールのない写真を撮ることが出来た。この区間のハイライトのトラス橋をD51が轟音と共に通過して行った。 '73.3.29 南木曽 P:千葉武男
篠ノ井線の有名撮影地、姨捨を登るD50+D51の上り貨物列車。夏場のため煙は薄く見えるが、背後の山に反響するブラスト音はすごい。しかし、現在は長野自動車道が路線に沿って造られ、この環境を壊してしまった。 '63.7.21 桑ノ原(信)-姨捨 P:中島正樹
長野発篠ノ井・中央・小海・信越線経由長野行き循環急行704D「すわ」は、オールキハ58の非冷房3輌編成であった。反対回りの循環急行も存在し、「のべやま」と名乗っていたが、50・3改正で全廃された。 '71.8.3 上諏訪 P:石原裕紀
立川機関区のEF15を使用して中央線の初狩駅のスイッチバックを体験する企画があり、猿橋駅で撮影会が開催されました。写真は「あずさ」を待避しているところです。なお同駅では115系の普通列車にも抜かれておりずいぶんのんびりした旅でした。 '83.6.26 猿橋 P:鈴木岳人
今でこそ違和感はないが、誕生当時は地名の愛称が特急らしくない、といわれていた中央線のクイーン「あずさ」。でも編成はグリーン車2輌と食堂車も組み込まれ、急行「アルプス」に対してしっかり"特別急行"であった。 '72.4.29 立川-日野 P:中安 響
小海線にイベントとしてC56牽引の客貨混合列車が運転された。当日は大勢のファンが集まったもののあいにくの曇り空で山は全く見えず、有名な小淵沢の大カーブでは背景よりもファンの姿が見物だった。 '72.8.19 小淵沢-甲斐小泉 P:中島正樹
電化開業を目前にした中央西線北部を訪ねた。難所だった鳥居峠越えの旧線はすでに改良された新線になっており、この日は蒸機時代の最後を飾るかのようにD51牽引の新製381系甲種輸送列車が通過して行った。 9825レ '73.5.19 薮原-奈良井 P:中島正樹
蒸機も終焉に近づくこの頃、イベント列車として「信州循環3Lの旅」が運転された。乗って楽しむ人、車で追いかける人、青空の下、静かな野辺山高原が一時の賑やかさに包まれた。機:C56 '72.6.11 信濃川上-野辺山 P:青木一郎
新宿からの夜行列車はスキー客がホームいっぱい降車していった。当時のスキー客はザックを背負って板は「自分で担ぐ」が当たり前であった。 '72.2.26 大糸線 白馬 P:中安 輝
小海線を走るC56牽引のお座敷列車を、再び友人の車で小諸から野辺山まで追跡。2回目に追いついた臼田-青沼間では勾配区間を目前にして、前後のカマの素晴らしい煙の競演を見せてくれた。 '72.1.20 臼田-青沼 P:中島正樹
当時から線路に接近してのお召列車の撮影はまず無理でした。土砂降りの中、撮影場所に困り、ダメ元でこの地を選びました。巡回中の年輩の警察官が優しく、無事撮影できました。 '86.10.11 高尾-相模湖 P:鈴木敏行
高尾駅を発車した下り列車はやがて山岳地帯に分け入る。小仏峠を越える旧甲州街道に沿った線路はここで長い小仏トンネルを抜ける。この年までトンネルの手前には列車交換のため、小さなホームの小仏信号場が設けられていた。 '64.5.2 小仏信号場 P:中島正樹
善光寺平を見渡せる蒸機時代からの有名なお立ち台でEL、ECを数カット撮影した。紅葉真っ盛りの秋晴れの中、EF64は軽快に通り過ぎて行った。 '77.10.30 桑ノ原(信)─姨捨 '77.10.30 P:武者秀男
お召列車運転日は雨の日が多く、山梨県で開催されたかいじ国体への行幸もまた雨。しかし、晴れていれば光線状態が悪くて撮れなかったであろう笹子峠への登り区間、しっとりとして威厳のあるEF64を見ることが出来た。 '86.10.11 初狩-笹子 P:中島正樹
国鉄時代はローカル線にも貨物列車が走っていて、どんなに小さな駅でも貨物扱いの設備があった。今ではとても想像できない。 '80.8.20 安曇追分-細野 P:梅澤 浩
東側に中央アルプスを控えた須原駅構内。しばらく停車していたD51牽引の下り貨物列車は上り貨物の通過を見送るとようやく発車。後部補機のD51も煙で存在感を表している。 '66.10.29 須原 P:中島正樹
イベントの混合列車が小海線清里駅に到着。「あっ、ポニー」といっているかどうかわかりませんが、珍しげに蒸気機関車を眺める登山者。さりげなく汽車を見に集まる人々も、プレートの拓本を採る子供たちも、騒がしさは無く、間近で眺め、触るのが楽しいという雰囲気です。機関車に乗せてくれる乗務員の人たちも、温かさに満ちています。そして、この年の遅くC56は消えていきました。このときの思い出、一人ひとりの、心の中にまだ残っているかなあ。 '72.5 清里 P:長津 徹
大学時代によく通った小海線。野辺山-小淵沢間に設定された高原野菜の臨時列車を狙って、訪れました。小淵沢に向かう上り列車はC56お得意のバック運転。最高地点までの力行区間で、放牧中の牛を取り込んだ写真を、と牛の糞を避けながら牧場をウロウロ...。やっとの思いでこのショットをモノにしました。 '71.9.28 清里-野辺山 P:柿浦和敏
やがて第三セクターへと転身する明知線で、開通50周年を向かえた臨時祝賀列車が1往復運転されました。普段は静かなローカル線も、このときばかりは祝賀ムード一色で沿線は賑わっていました。 '84.6.24 岩村 P:鵜飼功一
ここ明知線はC12にとって厳しい勾配が続きます。盛大な煙を立ち昇らせて阿木駅を発車した230号機が、力を緩めることなく懸命の力走を続けます。のどかな山間の中、C12のドラフト音がいつまでも続いていたのが思い出されます。 '73.9 阿木-飯羽 P:森 潤宏
小海線の定番ポイントと言えば小淵沢の大築提と、ここの清里〜野辺山の鉄橋。何度か訪れたのですが晴れ渡ったのは一度だけでした。 '71.8 清里-野辺山 P:川瀬 剛
定期貨物列車に客車を併結させた臨時の混合列車。雄大な景色の中、木々は着実に夏模様への兆し。南アルプスの山々を後方に望み西川鉄橋を渡る。183列車 機:C56 149。 清里-野辺山 P:青木一郎
期末試験が終わり、新幹線博多開業ダイヤ改正で変わる列車を東京周辺を主に撮影したときのもの。EF13貨物列車と101系特快をうまく並べることができた。 '75.2.15 中野-高円寺 P:宮山幸雄
3か月後に電化を控えた中央西線の夕間暮れ。デゴイチの発車を待っていると、特急「しなの」と木曽福島名物デフ付きC12 199が運良く並んでくれた。 '73.4.2 木曽福島 P:古澤成博
昭和50年3月改正で東京近郊から消えたものの1つに中央線の客車列車がある。新宿発12時08分の423列車、一つ山越し、二つ山越し松本めざす。最後部にはマニ60が1輌。 '75.1.26 高円寺 P:井芝七路
カメラをぶら下げ駅にやってくると前方に煙を発見!駅沿いに走ると貨物の先頭にはD51200号機が。空高く立ち上る一筋の黒煙がとても印象的でした。この機が梅小路機関車間に保存されたのを知ったのはずっと後になってからでした。 '71.7 坂下 P:森 潤宏
武蔵境駅を通過するEF60牽引の貨物列車。当時の中央線は東小金井駅や飯田町駅など八王子駅よりも東側の駅でも貨物営業を行っていました。 '81.11 武蔵境 P:鈴木岳人
森林鉄道フェスティバルの帰り道、線路の跡はすっかりきれいな舗装道路になっておりその変貌ぶりに時代の流れを感じた。上松から鬼渕鉄橋を渡った先に小さなヤードがあった、林鉄車輌のはるか先を381系「しなの」が行く。 '74.11.6 上松 P:服部基寛
高校3年のとき修学旅行のためカラーフィルムを購入。2枚ぐらい残っていたので、中央線を撮るために世田谷の自宅から自転車で出かけた。多分荻窪あたりだと思うが、甲府行き普通電車や「アルプス」など撮影した。 すれ違いのDCはキハ58でまだ冷房もついていない。複線高架になってないときの中央線。柵もなく、のどかな風景だった。 '66.3 荻窪付近 P:志井純一