185系

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鉄道界の「シンデレラ」103系そっくりさんが本物の103系になった話とは?

2023.04.16

text:鉄道ホビダス編集部

▲103系そっくりの車体に更新されたアコモ車と、原型に近い姿を保った72系という対照的な並び。

’76.5.27 仙石線 石巻 P:長谷川武利
(消えた車両写真館より)

 多岐に亘る改造を繰り返し、その度にバリエーションが増えるため、今もなお多くのファンがいる旧型国電というジャンル。そんな旧国の中で一大勢力を誇った4扉通勤型の「72・73系」電車も同様に、戦時下に登場した63系を由来とする出自からして、その形態は様々です。そんな72・73系の中でも特に異彩を放っていたいた車両、それが床下機器や台枠はそのまま、車体をまるっきり新製して載せ替えた「アコモ改造車」ではないでしょうか。見るからに新性能電車だった彼らはその後どうなっていったのでしょうか?

↓そっくりさんから本物へ アコモ改造車と72・73系の写真はこちら↓

■1970年代、旧型国電の古さは隠しきれなくなった

 1957(昭和32)年に登場したモハ90系、後の101系から始まった新性能電車の歴史。それから15年以上が経過し、至る所で新性能電車が増え始めると、相対的に従来の旧型国電たちの古さは目立ってくるようになってきました。そのため、都市部では積極的に新性能車の導入が続けられていましたが、地方線区はなかなかそうもいきません。そこで編み出されたのが、旧型国電を新性能電車並みの車体へ載せ替えるという改造でした。これをアコモデーション改造車(アコモ改造車)と呼びました。まず最初に作られたのはモハ72形970番代で、その後増備の際にクハ79形600番代が製造されました。

 1972年、最初に製造されたモハ72970は、このアコモ改造の試作車という位置付けで、モハ72587を103系そっくりの車体に載せ替え。ユニットサッシながら非冷房・側面方向幕を設置せず、さらに登場時は朱色1号塗装で異彩を放っていました。鶴見線で活躍していましたが、改造後しばらくして鮮やかなオレンジの車体から他車同様のぶどう色2号に改められ、1980年に廃車となりました。

 そして仙石線にこの改造車は本格導入されることとなり、4両編成×5本が投入されました。その際、先頭車のクハ79形600番代は当時最新鋭であった103系高運転台そっくりの車体を与えられました。一見103系と見分けがつかない装いとなりましたが、よく見ると高運転台なのに非冷房・乗務員扉後ろの塞ぎ板、タブレット受け取りの関係でオリジナル103系より広い乗務員室、明らかに103系と違う台車と連結器、台枠を流用した関係で103系より長い車体裾など、見れば見るほどその違いは明らかです。

 旧型国電を活用しつつも、新車並みの車体を載せ替えるというアコモ改造はその後、1974年に同じく72・73系を種車に、115系類似の車体へ更新したモハ62形とクハ66形が身延線に登場しましたが、結局のところ改造費用は掛かる上に、システムが旧型国電のままという関係から検査周期が短く、メリットは少ないとされ改造数は少数に留まりました。

■103系そっくりの旧国に転機が… きっかけは「川越線電化」

’85.10.3 川越線 西川越─的場 P:梶村昭仁
(消えた車両写真館より)

 この103系そっくりのアコモ改造車は長らく仙石線で活躍していましたが、1985年に転機が訪れました。それが川越線の電化開業でした。この電化に伴い、川越線大宮〜川越〜高麗川間を走る区間運転用電車として、この72・73系アコモ車が抜擢されました。その際、吊り掛け駆動の旧性能のまま行くのではなく、なんと103系として生まれ変わって転属することとなったのです。

 ほとんどの車両がこの川越線へと転属し、モハ72形970番代はモハ103形3000番代へ、クハ79形600番代の奇数車はクハ103形3000番代へ、偶数車は電装化の上クモハ102形3000番代へ改造され、3両編成×5本に組み替えられました。また、その際余剰となったモハ72形970番代5両についても、電装解除の上サハ103形3000番代に改造。3両だった青梅線103系を4両化したほか、1両は後に黄緑色に塗られ、月曜日朝の多客時に川越線で4両編成を組む際の増結車両として使用されました。

 なお、115系のそっくりさんであったモハ62形とクハ66形に関してはJR化を迎えることなく1986年に全廃されてしまいました。

■JR化後も活躍した川越・八高線103系

’04.1.3 川越線 高麗川-武蔵高萩 P:長岡行夫
(消えた車両写真館より)

 103系3000番代はJR東日本に承継され、冷房化改造も行なわれたことから同社の103系の中では比較的後年まで活躍を続けることとなりました。1996年には八高線高麗川〜八王子間が電化され、八王子〜川越間で直通運転が開始されました。この頃には全車が4両編成化され、現在に近い運行形態となっていました。
 そんな103系も時代の波には逆らえず、山手線にE231系が導入された関係で205系の玉突き転配が発生し、これらに置き換えられる形で2005年に103系3000番代は引退しました。とはいえ、首都圏からの103系消滅が2006年であったことを考えると、最後の頃まで活躍していたと言え、まさに同様の改造を受けたモハ62形とクハ66形とは対照的な生涯を送ることになりました。

 生まれた時は103系にそっくりなだけの別物、しかも旧性能だった電車が、後年本物の103系へとなり晩年まで活躍したというのは、さながら電車版シンデレラストーリーのようです。

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