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特集・コラム

10月の鉄道のデキゴト「長野行新幹線開業としなの鉄道誕生(1997年)」

2021.10.05

text:RM

整備新幹線初の開業はオリンピックが契機

 「○月の鉄道のデキゴト」は、当月にあった過去の鉄道の「デキゴト」(路線の開通や車両の新製・廃車、そのほかの事件など)を振り返るコーナーです! ティーブレイクにでも気軽にお楽しみください。

 本日は、24年前となる1997年10月1日のデキゴト。「9月の鉄道のデキゴト」でアップした、9月30日の「信越本線・横川~軽井沢間廃止」と対を成すデキゴト…つまり、北陸新幹線の長野までの開業のことをお話ししたいと思います。

▲高崎~軽井沢間は、在来線よりも早く勾配を登り始めることでなんとか30‰に勾配を抑えている。それでも新幹線にとっては難所で、特に安中榛名停車の列車は助走が不足気味になってしまうとか。
‘07.12.2 北陸新幹線 高崎~安中榛名 P:会津善和(お立ち台通信より)

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9月の鉄道のデキゴト「信越本線・横川~軽井沢間廃止(1997年)」

 さて、今は金沢まで延伸されている北陸新幹線は「整備新幹線」という仕組みで建設された路線のうちのひとつ。北海道新幹線、東北新幹線(盛岡以北)、北陸新幹線、九州新幹線(鹿児島ルートと西九州ルート)を指し、全国新幹線鉄道整備法なる法律に基づき、建設主体や建設費用負担のスキームが決定する仕組みです。1997年の北陸新幹線(高崎~長野)開業は、1970年制定のこの法律に基づく路線初の開業となりました。

▲長野行新幹線開業時に投入されたのはE2系8連のN編成。2種の周波数に対応できることも特徴だった。既に北陸新幹線からE2系は撤退済で、N編成も全車廃車となっている。P:RM

 5路線の中で当線が先陣を切った理由は大変分かりやすく、1998年に開催される長野冬季オリンピックに間に合わせるためでした。東京~高崎までは上越新幹線と線路を共用し、高崎~長野間がこの時の開業区間となります。例の碓氷峠を越えるために最急30‰、30kmほどの連続急勾配区間がありますが、在来線時代のような機関車の後押しは最早必要がなくなり、長野までの到達時間は最速で1時間19分と、およそ半分にまで短縮という劇的な高速化が図られたのです。

▲かつてはアプト機関車やEF63が一息入れていた軽井沢駅。新幹線では通過する列車も設定されてしまった。写真は開業130周年の記念式典。
‘18.12.1 北陸新幹線 軽井沢 P:高木宏康(今日の一枚より)

 ちなみに、正式な路線名は北陸新幹線ですが、この時点では長野止まり、かつ本当に北陸に行く方が誤ってこの長野に来てしまうと、そこから先の乗り継ぎは大変不便でした(当時の最速ルートは上越新幹線+北越急行ルート)。そのため当面は「長野行新幹線」という旅客案内がなされたことも今や語り草、といったところでしょう。

 整備新幹線各線はこの後もミニ新幹線方式やスーパー特急方式、フリーゲージトレイン方式などが種々検討されましたが、基本的にはことごとくフル規格にてその後も推進され、20年足らずの間に大きな進展を果たしているのはご存じの通りです。

並行在来線の第三セクター移行

▲しなの鉄道開業に伴い、3連3本の169系が譲渡された。快速「しなのサンライズ」「しなのサンセット」などで活躍。
‘10.12.17 しなの鉄道しなの鉄道線 戸倉~千曲 P:楢井勝行(消えた車両写真館より)

 整備新幹線は基本的にその整備が完了した暁には並行する在来線をJRから切り離し、自治体が出資する第三セクターに移行させると規定されています。この仕組みが初めて適用されたのもこの時で、信越本線・軽井沢~篠ノ井間が長野県などが出資するしなの鉄道へ移管されました。一方、群馬県側の高崎~横川は引き続きJR線として存続、県境を越える横川~軽井沢が廃止となってしまったことは前回の記事で記した通りです。

▲しなの鉄道の115系は様々な塗色でバラエティを持たせている。手前2本がしなの鉄道としてのオリジナル塗装、奥左は新長野色、奥右はおなじみ湘南色。
‘21.6.5 しなの鉄道しなの鉄道線 戸倉 P:椎名清志(今日の一枚より)

 しなの鉄道ではJR東日本から115系と169系の譲渡を受け、独自の赤色/メタリックグレーの塗装としてイメージを一新。169系は経年もあって2013年に全車引退となっていますが、主力の115系は今なお多数派で、後継のSR1系と共に活躍しています。

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