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特集・コラム

9月の鉄道のデキゴト「地下鉄南北線と三田線、目黒まで延伸(2000年)」

2021.09.16

text:RM

珍しい、メトロと都交の共用区間も発生

 「○月の鉄道のデキゴト」は、当月にあった過去の鉄道の「デキゴト」(路線の開通や車両の新製・廃車、そのほかの事件など)を振り返るコーナーです! ティーブレイクにでも気軽にお楽しみください。

▲南北線で活躍する車両が、イベントで勢揃い。左から、東京メトロ9000系、埼玉高速鉄道2000系、東急3000系。
‘15.10.24 埼玉高速鉄道 浦和美園車両基地 P:福田智志(鉄道投稿情報局より)

 今回は、21年前となる2000年9月26日のデキゴトから振り返ってみましょう。この時に、営団地下鉄(現・東京メトロ)南北線の溜池山王~目黒間、および東京都交通局三田線の三田~目黒間が延伸開業し、共に東急目黒線への相互乗り入れを開始しました。

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▲南北線開業時に登場した営団(現・東京メトロ)9000系。当初は4連だった。P:RM

 東京メトロ南北線は、同社の中では比較的歴史の浅い路線で、営団時代の1991年に最初の区間である駒込~赤羽岩淵間が開業。1996年に四ツ谷まで、1997年に溜池山王まで順次延伸されていました。目黒まで延伸することは当初からの既定路線。また、その翌年の2001年には埼玉高速鉄道への乗り入れも開始しています。

▲三田線開業50周年記念イベントで6300形各形態(スカートの形状違いなど)が展示された。
‘18.11.17 東京都交通局 志村車両検修場 P:高木宏康(今日の一枚より)

 一方の東京都交通局三田線は、同局の地下鉄路線としては2番目に古い歴史を持ち(1978年まで路線名称が無く、都営6号線とだけ呼ばれていた)、1968年に最初の区間である巣鴨~志村(現・高島平)間が開業。1972年に日比谷まで、1973年に三田まで、1976年に末端方の西高島平まで延伸されますが、ここで一旦ストップします。ここから先、延伸と乗り入れの計画が二転三転し、都心方の起点が長年三田駅のままで推移。若干使いにくい路線…という印象を与えていたのは否めません。

▲三田線用車両として、6000形につづく二代目系列として登場した6300形。初代の6000形は目黒延伸前に全廃されている。
‘93.5.19 東京都交通局 志村車両検修場 P:RM(台車近影より)

 事態が動いたのは1985年で、運輸政策審議会の答申で三田線の目黒延伸が確定。1988年には清正公前(現・白金高輪)~目黒の線路を営団と都交とで共用することが合意されました。そして前述の通り2000年9月に両線が目黒まで到達したのです。

▲2009年に登場の東京メトロ9000系5次車からは前面形状もかなり変更された。
‘09.2.4 東京メトロ 綾瀬工場 P:RM(台車近影より)

 この白金高輪~目黒間を両線で共用しているのが面白いところで、第一種鉄道事業免許は営団→東京メトロが取得、東京都は第二種鉄道事業免許にてこの区間を営業しています。「どちらかが乗り入れている」状態とは異なり、三田線の乗客は都営線の運賃のみ、南北線の乗客はメトロの運賃のみ支払うことになるのが特徴。また、当区間の列車本数が多くなりすぎないよう、両線ともに白金高輪発着が多く設定され、同駅での対面ホームにて接続するようにダイヤが組まれています。

 両線ともに、乗り入れ先の東急目黒線からの相鉄・東急新横浜線乗り入れをにらみ、現状の6連から8連への増強が計画されています。近い将来、また異なる姿を見せてくれることになりそうです。

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