■165系置き換えを目的とした200番代増備
伊豆で華々しく185系が活躍を見せ始めていたころ、本社では153系に次いで老朽化の進んでいる高崎・上越線の165系電車の取替計画に着手した。新造は「踊り子」と同じ185系でなされ、1980年度第三次債務車両計画で63両が発注された。当時、新前橋電車区所属の165系は7両編成を基本として「あかぎ」「たにがわ」系統の急行及びローカル列車に使用していた。新造する185系は165系と全く同じ組成内容の7両単位(TcMM’MM’TsTc’)で9本が計画され、落成の都度単純置換えがなされた。
▲山陽本線で試運転を行う日立製作所製の185系200番代(右)。
’82.3.24 山陽本線 瀬野 P:細矢和彦
車両の基本的仕様は東海道用の185系とほぼ同一であるが、新前橋区の運用が寒冷地を走ることから、耐寒耐雪装備を追加したほか、横川〜軽井沢間(碓氷峠)通過のための付加機能を持たせた。このため、185系200番代として区分された。具体的な変更点を東海道用の0番代と比較すると表1の通りとなる。
表1 高崎・上越線用185系200番代の主な変更点。
資料提供:大熊孝夫
なお、ちょうどこの頃には、後述する「新幹線リレー号」の構想が検討されており、これに使用する車両は185系200番代の増備によることで方針が打ち出されていた。
このため新しい新幹線のイメージを高めるためにも東北・上越新幹線に使用する新幹線200系のカラーリングのイメージを大切にし、高崎線用の185系200番代については東海道用の斜めストライプの塗装を止め、グリーンの帯によることとした。
この車両計画では新製件名が「高崎線急行電車取替用」となっており、編成単位で165系と単純置換えを進めた。このため165系電車との併結運転を行うとともに急行列車にも使用するなど東海道と同様な手法がとられた。しかし、運用開始から数ヶ月後の時刻改正で特急格上になった点も同じであって、こちらも「高崎線急行電車」という車両計画件名どおりになったのは短い期間であった。
▲急行「草津」の運用に就く185系200番代。
’82.10 吾妻線 祖母島~小野上 P:松尾よしたか
■「新幹線リレー号」運行開始
1982年6月、遅れ気味であった東北新幹線を大宮までの暫定開業させることになった。一方の上越新幹線は三国山脈の中山トンネルの異常出水によりさらに竣工時期が遅れ、およそ5ヶ月後の1982年11月に大宮までの運転を開始することとした。
大宮までの暫定開業であったこともあり、新幹線と在来線特急の本数を削減した2本立て体制という変則なものとなったが、上野〜大宮間にシャトル便を設定し同区間ノンストップの「新幹線リレー号」を運転することとした。これによって、大宮開業というハンデを埋めて新幹線の開業を多くの旅客から受け入れてもらえるようにという施策であった。このための車両計画は1980年第3次債務によってなされ、185系49両が発注された。編成は7両で配置は新前橋電車区とした。
▲乗務員訓練のため下十条電車区に入区した185系200番代
’82.2.28 下十条電車区 P:細矢和彦
また、165系取替用で既に運用を開始していた185系と「新幹線リレー号」用で追加投入したものとは、全く同一編成であり、いずれも新前橋電車区配置としたのは「谷川」「あかぎ」系統の運用と「新幹線リレー号」用運用は同一のグループとを形成し効率的な運用を行うためであった。なお、落成記録は表2の示す通りである。
表2 新幹線アクセス用185系電車落成計画
資料提供:大熊孝夫
本文:大熊孝夫 要約・再構成:RM レイル・マガジン334号より
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