185系

特集・コラム

第6回 185系、感動の落成

2021.01.27

■185系の開発コンセプトとは…

 伊豆方面の急行列車に使用していた153系の置き換え計画に始まった185系の開発は、計画当時の様々な経緯から、「汎用性の高い特急型車両」として今までの国鉄にない車両として誕生することとなった。

▲日本車輛を出場し、試運転を待つ185系の隣を通過する80系。

’81.8.6 飯田線 豊川 P:細矢和彦

 この新形式電車の設計思想を「185系電車説明書」から抜粋すると次のようになる。なお、本解説書は185系200番代が誕生する時点で作成されており、私の知る限り田町電車区配置の0番代車向けのものではないようだ。また、この説明書には電車の設計の考え方が述べられているのだが、現車が落成してからかなりの日にちが経ってから作られており、明らかに後付けの記述も見られる。

(1)基本的には特急にふさわしい設備と性能をもったものとする。
(2)通勤時間帯の輸送にも使用可能な構造及び性能とする。
(3)165系電車の置換えが完了するまでは、暫定的に165系電車と併結可能なものとする。(東海道向けは、153系と併結可能とした。)
(4)実績あるシステムと機器で構成するが、省力化と信頼性の向上をあわせて考慮したものとする。
(5)車体の経年劣化対策を盛り込んだものとする。
(6)アコモデーションの刷新をはかる。
(7)取り扱いの簡素化と省力化を図る。

 完成した185系の基本諸元は以下に示すとおりであり、BLMG(ブラシレス電動発電機)や新鮮換気装置などの新機軸を盛り込んだものもあったが、全般的には実績のある機器での組み合わせになった。

▲185系諸元表

資料提供:大熊孝夫

 車両性能については特急とローカル兼用という相反する命題を解決するための方策として近郊電車並みの4.82という歯車比を採用したおり、これはMT54という当時の国鉄の標準的な主電動機を使用しつつ高速性能では最高速度を110Km/hに抑えるという妥協によって成り立っている。ちなみに、高速での定格速度は153系のほうが高くなっており、185系電車が従来の153系よりローカル使用を強く意識し、汎用性を狙ったものであることは間違いない。
 また接客設備についても転換クロスシートとした185系電車は、経営の効率化を求める時代の中で、車両の汎用性を重視した大きな決断であったということもいえるのかも知れない。

 

■待望の落成、そして公式試運転

 1981年1月29日、185系電車の最初の落成車が公式試運転の日を迎えた。 落成第一編成は日本車輌製造の製造であった。この日、私は受け取り側の担当として、公式試運転に立ち会うため豊川に出張した。

▲掛川駅に停車中の1回目の公式試運転列車。結果的には使われることのなかった特急「あまぎ」のヘッドマークを掲げている。

写真所蔵:岡田誠一

 当日は185系電車の前途を祝福するかのような快晴であった。駅の副本線に整然と編成を組んで試運転への発車を待つ車両たちは、白地にグリーンの斜めストライプを強烈な印象で誇示していた。また先頭車の前面デザインも117系と似ているものの私には好感の持てるものにまとまっていた。公式試運転列車に同乗してみると、室内の明るさが印象に残った。急行型の置換えでスタートし、最後は新時代の汎用性特急車両という位置づけになって誕生した車両であったが、この個性的な車体塗色のみでも、「いままでとは違う」という国鉄の意欲を感じさせるものがあった。待望久しかった新形式電車の現車を目の当たりにして、老朽度も極まっていた153系の取替がやっとのことで実現することの喜びがふつふつとわき起こっていたことを記憶している。
 その後、185系まさに当初考えた急行「伊豆」の単純置換えが実施されていたことになり、計画通り多くの153系+185系の併結列車が走り回った。185系の短い急行「伊豆」時代であった。

 

本文:大熊孝夫 要約・再構成:RM レイル・マガジン334号より

🔶第5回 185系誕生前夜
🔶第7回 L特急「踊り子」誕生

  • このエントリーをはてなブックマークに追加