誕生から40年近くを迎えた185系、もともと人気列車であった伊豆方面の列車をさらに充実させるべく投入された系列で、その風光明媚な景色に映える爽やかなストライプ塗色は、一時別塗色であった時期はあったものの、すっかりなじみの光景になったと言えるだろう。
だが、この車両のデビュー当時、このストライプ塗装には従来のイメージを刷新したいという関係者の強い思いが込められていた。このWEB記事では、RM334号に掲載された、旧国鉄東京南鉄道管理局で185系の導入立案に携わった大熊孝夫氏による185系誕生秘話を、改めて紐解いていく。(編集部)
text:大熊孝夫 要約・再構成:RM レイル・マガジン334号より
■ストライプ塗装に込められた思い
私の部屋の壁に立派なプラスチックケースに入れられた一枚の絵が掛けられている。横幅が1mにも達する堂々たるもので、すでに飾ってから数十年も経ち、おさめられた当時の色はあせてしまった。しかし日本の鉄道車両では異色のカラーデザインとなった斜めの帯がまぎれもなく185系電車のものであることを主張している。
▲筆者の部屋に掲げられている185系のパース。 P:大熊孝夫
185系は、それまでの特急電車とは異なるコンセプトでの登場とならざるを得なかった車両といえる。さまざまな制約があるなかで、従来のものを脱したいという関係者の熱意が、あの斜めのストライプ塗色になった。
目の前にある絵は、決定にあたってのいくつかの車体塗色案のなかで、最終的に採用された時のパースである。当時の国有鉄道は激動期といっても良く、あらゆる意味での困難な問題が横たわっていた。このような時代に185系電車の投入に直接関わった者として、当時を振り返っていこうと思う。まず、時は1978年にまでさかのぼる。
■東京南局への転勤と上司の言葉
それまで長い間、国鉄本社運転局で電車運用の仕事に携わっていた私に、東京南鉄道管理局への転勤が命じられたのは1978年3月のことであった。ここでの新しい仕事は、運転部電車課の基本運用のリーダーだった。また、この転勤に際し上司から以下の3つのことが直接申し渡された。
・当時、逼迫していた東海道本線の輸送改善として、1980年10月改正で東海道本線と横須賀線を分離し、同時に総武・横須賀線直通運転を開始する。
・国府津電車基地の本開業を控えている。
・東海道・伊東線に運用している田町電車区の153系の取り替え計画を実施する。
これらの案件が当時の私に課せられた大きな仕事であった。また、同時に今後の185系の開発に立ちはだかる数々の問題との邂逅でもあった。(以下次回につづく)