旧・紀和町の中心、板屋にある紀和鉱山資料館。テントの下は蓄電池式電気機関車230号と軌道自転車。車輌の展示は館内・前庭に分かれているが、線路は扉を通じてすべて繋がっているのが楽しい。 2017.3 P:高橋一嘉
紀州鉱山の拠点であり、専用軌道の起点でもあった板屋には、いまも巨大な選鉱場の跡がその姿を留めていますが、そのほど近くには紀和鉱山資料館があります。
この鉱山資料館には、前庭から館内1階にかけて線路が敷設されており、前庭には電気機関車610号とA型客車、鉱車、それに蓄電池式電気機関車230号が、また館内には蓄電池式電気機関車229号、415号、D型客車、鉱車などが展示されています。もちろん、軌道関係以外にも多数の貴重な資料も展示されており、訪問の際には必見の施設と言えましょう。
電気機関車610号の小さな運転室内をのぞくと、大きな直接制御のマスコンと、ブレーキハンドルが並ぶ。空制はなく、制動はブレーキハンドルだけが頼り。 2017.3 P:高橋一嘉
鉱山資料館の前庭に展示された日立製作所製の電気機関車610号(左)と鉱車(右)。 2017.3 P:高橋一嘉
8人乗りのB型客車。無双窓の引き違いは残念ながら固定されている。 2017.3 P:高橋一嘉
さて、この地を訪ねるにあたって一番気になっていたが、客車列車の終着駅であった惣房駅の跡です。実は今の時代は恐ろしいもので、惣房駅付近もgoogleストリートビューで見られるようになっているのですが、画面上ではどうも駅があった位置がよく判りません。とにかくここまで来たら見なければ...と山道を南へ向いました。
惣房駅跡。高さは違うが、表紙写真に似た角度で撮影しているはずである。下に見えるコンクリ製の擁壁の奥に湯ノ口へ続く隧道が眠っている。 2017.3 P:高橋一嘉
はたしてたどり着いた惣房駅の跡は、面影を留めない変わりようでした。猫の額のような構内は県道の拡幅用地として埋め立て・嵩上げされたようで、隧道の坑口だけがコンクリートの擁壁に護られるように口を開けています。隧道は湯ノ口への6号と八光への8号の2つの坑口があったはずですが、入口は一つのみ。二つをまとめたのか、それとも片方は閉塞してしまったのか...。軌道が渡っていた吊り橋も消え、ケーブルのようなもののみが対岸に渡されてます。少し先の惣房の集落近くにあった吊り橋も通行禁止になっており、三和鉱山の施設があったという対岸に渡る術はないようでした。(おわり)
惣房の集落、21頁左中段の写真の場所の現在。この先にあった惣房会館の付近まで軌道は伸びていた。 2017.3 P:高橋一嘉
威容を留める板屋選鉱場跡。左下に見えるのが1号隧道で、その手前に駅舎やホームがあった。隧道内には小口谷に続く線路が今も残っている。 2017.3 P:高橋一嘉