新築の市役所をバックにゴロゴロと走る燕行きモハ16。AB型のスバルレオーネも懐かしい。場所は鐘淵小学校の入口付近。鐘淵小学校は1951年まで初代・白山駅があった場所である。 1989.9 P:高橋一嘉
日車標準型ばかりの新潟交通電車線の電動車にあって、唯一小田急HB車の車体で更新されたのがモハ16であった。
元小田急1400形の武骨な車体に、華奢な印象のブリルのMCBがちょっとアンバランスだったが、併用軌道を走る姿は被写体としては実に魅力的だった。それにしても、他は電動車=新造車体、制御車=中古車体で統一されたのに、なぜこの車だけ例外だったのだろうか。
上の写真から27年後、青山行き快速の連節バスが走る。手前に見えるのは白山浦のバス停。 2016.9 P:高橋一嘉
越後線白山駅(二代)入口の交差点付近を走る白山前行きのモハ16。 1989.9 P:高橋一嘉
ところで、80年代、何度かの新潟行でちょっと気になったは、一部のバスに正面に取り付けられた「銀太郎」という表示だった。新しめのバスに付いていたから愛称なのかな、とは思ったが...。今回、正面に赤い「BRT」の表示を付けて走る銀色のバスを見て、あの「銀太郎」の表示を思い出した。
27年後、左側(南側)の家並が消えたせいか、印象がずいぶん違う。このバスは各駅停車で、いったん白山駅に寄るが、快速便はかつての電車と同様に素通りする。2016.9 P:高橋一嘉
菅原神社の入口付近を走る燕行きのモハ16。自転車屋さんとパン屋さんが実に良い雰囲気だった。 1987.5 P:高橋一嘉
今回訪れる際に一番気になったのは、白山駅の先、菅原神社の入口にあった自転車店の場所だった。最初にこの電車線を訪れた際、ここで撮ろうと決めていたのだが、朝、白山前で止まっているモハ16をみかけ、ここまで駆け足で移動してきた。今回訪れてみると、白山前から案外距離があったことに驚かされた。
29年後、自転車屋さんもパン屋さんも消え、すっかり様変わりした。旧景にあった参道の案内も消えていたが、奥の神社は変わらず、秋まつりだろうか、お神輿が見えた。 2016.9 P:高橋一嘉
電車線はこの先で越後線のガードを潜っていたが、なぜかそこでは撮影していないので、軌道線の記録はここでおしまいである。モハ16とは巡り合わせが良かったが、今回、再訪のきっかけとなった電車色のバスは、結局見ることはできなかった。