都電7500形 (路面電車)
荒川線を除く都電最後の新車として、昭和37年に20輌登場した。当初は全車が青山営業所に配属されたが、同営業所が廃止となると荒川営業所と柳島営業所に10輌ずつに転属した。柳島営業所に配属となった10輌は大事に使用されたが、昭和47年11月11日下町5系統が廃止となると状態の悪い7517・7519は廃車(一説には同車両同士が車庫内で軽微な接触をし、普通だったら復旧するのだが、廃止を直前となっては代替えの車両と差し替えた)となり、製造後僅か10年で廃車となった(写真は同車)。 '71年頃 柳島車庫 P:田中健吉
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都電3000形 (路面電車)
都電の下町5系統が廃止された1972(昭和47)年11月、錦糸町車庫所属の車両の殆どは解体されたが、3000形3185・3215・3240〜3242は長崎電軌へ譲渡された。3185と3215は801・802として使用されたようだが、3240〜3242は改造されることもなく廃車された。写真は錦糸町車庫から浦安まで陸送される途中で、浦安から船便で長崎へ運ばれた。 '72.11.21 江東区北砂一丁目 P:田中健吉
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都電7000形1次車 (路面電車)
1953(昭和28)年、後ろ扉を中央に、窓は大きく台車はD18で乗り心地のよい新しいスタイルで登場した。7000形は総勢93輌あり、写真は7001〜7030の1次車で、7020は特殊車、7021〜7030までは改造車であった。7001〜7019までは新造車グループで、正面2枚窓、直接制御式で登場したが、KR8形直接制御器が大きく正面2枚窓では中央柱が支障することから、昭和40年代に入ってから3枚窓に改造された。このグループは最終的に錦糸町車庫(境川車庫は錦糸町車庫の出張所扱い)と柳島車庫に転属され、1972(昭和47)年の下町5系統と共に廃車された。なお、境川車庫は数ある都電の車庫の中、唯一トラバーサーのない車庫で、すべてポイントで車輌を入換えた。 '71年頃 境川車庫 P:田中健吉
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函館市交通局 601 (路面電車)
函館市交通局600形は1959年に5輌が新潟鐵工所(4輌)、汽車会社(1輌)で製造された。当初は前後対称の3枚扉だったが、1969年にワンマン化のため右側扉を埋める改造を受け、写真でもドア跡の窓や撤去されなかったステップなどに改造跡が見える。同時に前面運転席窓下部も開閉可能に改造され、あまり例のない顔つきになった。これらの改良にもかかわらず短命で、製造から14年、改造からわずか4年後の1973年に全車廃車となった。 '70.7.21 函館駅前 P:小西和之
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都電 乙1002 (路面電車)
関東大震災の復興に際し物資や資材を輸送するために製造された無蓋貨物電車。総数は45輌で、震災復興後も3輌が保線や資材輸送用に残り1971(昭和46)年まで活躍した。ちなみに都電では有蓋貨物電車に「甲」、無蓋貨物電車に「乙」の記号が付けられている。 大久保車庫 '70.3.17 P:大野 亨
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