山陽電鉄の 255は1952(昭和27)年に101号の火災復旧車として登場した、その際に254号とともにに、山陽初の全鋼製車体と蛍光灯を採用し「ビニール電車」と呼ばれた。普通列車を中心に活躍し’77年に引退したが、255は構内入替車として広幅貫通路を塞ぎおへそヘッドライトの姿で2000年まで働いた。250系は250~255までが15m車・256・257が17m車と大きく形態が異なるグループだった。 ’80.8 東二見車庫(許可を得て撮影) P:深山剛志