鉄道ホビダス

2012年1月アーカイブ

吉野の里

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和歌山線の北宇智駅にはスイッチバックがあり、C11とC58の重連で登ってくる貨物列車は迫力満点だった。 '73.11 北宇智-吉野口 P:中川弘一

ポンパ号が行く

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ディスカバー・ジャパン。国鉄と日立が協賛した「ポンパ号」が日本中を回った。C11 91とカラフルに色どられた5輌編成。車内には電気製品や日本再発見といたパノラマなどが展示されていた。 '71.3.11 吉野口-北宇智 P:當麻正巳

「はと」快走

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「クロ」を先頭に東海道を飾る看板列車。藤沢通過後、6kmほどの直線区間を一気に走り抜ける。MAXでも1/200のシャッターではつらかった。13時半頃。 '62.5.6 藤沢-辻堂 P:青木一郎

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1972年当時、東京駅15番線を発着する181系は定期では「あさま」1往復のみ、昼の明るい時間ではこの東京駅11時41分着の「あさま2号」だけでした。0系こだまは12輌、181系「あさま」は8輌 短い編成同士だったのでちょうどよい具合に並んでくれました。 '72.10 東京 P:中安 輝

「日本海」北へ

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前夜大阪を発った下り急行501レ「日本海」、酒田で乗務員が交代すると青森に向けて発車して行った。その後寝台特急に格上げされたが、今年の3月で定期運用から消える。 '64.2.15 酒田 P:中島正樹

お別れ運転の日

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山陰本線下関口「さよならSL」運転当日、機関区でD51を撮影している横、本線を九州へ485系特急「なは」が駆け抜ける! '75.1.12 下関機関区 P:木部智司

雪晴れの峠

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さまざまな貨車を牽いて峠に向かうキューロクを後追いで狙ってみました。161レ '71.12.9 手ノ子-羽前沼沢 P:柿浦和敏

紅葉山発車

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この冬最後を迎える夕張線の蒸機を早めに撮り納めるため北海道に渡ったが、天候に恵まれず走りを諦め駅撮りにした。駅構内では5797レを牽くD51 320が盛んに煙を上げていた。 '75.7.20 紅葉山 P:鈴木博之

ラッキーなDF50

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米子から宮崎に転属したばかりのDF50 506号機がいきなり3005レ「彗星」の牽引に充当された。山陰本線では「出雲」を牽引したことがあったのだろうか。 '76.9 門石(信)-青井岳 P:藤田高士

多摩川橋梁

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八高線の小宮駅-拝島駅間の多摩川橋梁を撮影した時の一こまです。八高線と言うと自分の中ではキハ30系ばかりとのイメージがありますが、キハ20系やキハ40系も時々連結されていました。キハ20系は少し古めかしいところが好きでした。 '82.6.27 P:鈴木岳人

C57回送

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播但線のC57は豊岡機関区の所属であったため、和田山駅までは後付回送で送り込まれていた。養父駅で待つと、DF50牽引の客車列車の最後部に連結され、11号機が現れた。 '71.9.24 養父 P:上村俊之

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新幹線博多延伸を1か月後に控えた山陽路。セノハチを上る「はと」と、四重連で下る回送補機との会合シーンは定点撮影の合成です。でもこの二者は、この先の瀬野寄りで実際にすれ違っていたはずです。 '75.2.8 瀬野-八本松 P:長谷川武利

35年前の三ノ輪橋

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学生時代、鉄道研究会の合宿(青梅線)の帰りに寄りました。これ以来、訪れていないので、変貌ぶりを見に行きたいものです。 '77.3.19 三ノ輪橋 P:梶谷吉彦

湯布院駅のD60

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今は温泉、観光で賑わう湯布院駅ですが、昭和44年当時は、D60牽引の普通列車が到着してカバンを持った旅行客の姿が見える程度です! '69.11 P:中川弘一

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下り列車がアプト式区間最後のトンネルを抜けると平坦な軽井沢構内にさしかかる。やって来た旅客列車をよく見ると3輌の後部補機の手前に貨物が連結された混合列車だった。 '61.9.28 軽井沢 P:中島正樹