中山宿駅でのスイッチバック撮影後に向かった上戸方面の登り勾配区間。線路を俯瞰する場所で待つことしばし、山陰から現れたのは思いも寄らぬ後部補機付きの重連貨物だった。 '62.12.27 中山宿-上戸 P:中島正樹
2011年9月アーカイブ
新鋭EF64 1000番代が投入され上越国境からEF16が引退する、と友人から誘われて初めて訪問。受付のノートに住所と名前を書けば比較的自由に機関庫の中を撮影させてもらえた。昼食代を節約して商店で買ったインスタントラーメンをそのまま齧ったりした。 '80.8.17 水上機関区 P:平蔵伸洋
梅小路入り前に期間限定で復活したこの機関車がお目当ての一つだったが、結局駅の構内でチラッと見かけたのみ。あの頃は運用を調べて追いかけるなんて、考えもつかなかった。 '72.7 直方 P:井芝七路
峠を越えるC58牽引の客レがあった、太陽が大きく傾く夕刻、満を持していざ出発。 '71.7.4 亀山 P:服部基寛
北日本の玄関口、上野駅8番ホーム。C62牽引の昼間の急行「みちのく」が火力を強めて発車を待っている。その発車風景を3人の男性が興味深げに見守っていた。いつの時代にも蒸機には男を惹き付ける何かがある。 '61.5.25 上野 P:中島正樹
晩秋の冷え込んだ朝、昇ったばかりの朝日を全身に浴び、C57は峠を登っていく。もくもくと出る白煙は眩いくらいに輝いていました。 '73.11.3 日当山-表木山 P:木村信夫
東京区のEF58が特急仕業復活となり、注目を集めました。写真は1983年夏の伊東行き「踊り子55号」ですが、この頃よりEF58は伊豆急行線へも乗り入れるようになりました。EF58 61〔東〕+14系8輌 (9023レ) '83.9 新子安 P:采女 誠
「転車台作業車」のボード。転車台の検査用機材搬送車の様だ。大崎から出て新鶴見、高島、茅ヶ崎、国府津と移動する工程。各区とも蒸機には必須の転車台があった頃。 '67.7 国府津機関区 P:青木一郎
珍しく九州で大雪となる。雪の降りしきる中を、ゆっくりと喘ぎながら登ってくる蒸気機関車は幻想的でした。 '71.1.5 筑前山家-筑前内野 P:木村信夫
C61 2号機牽引の「白鷺号」が姫路まで山陽本線を走行し、沿線には多くのファンで賑わいました。私にとって、C61 2は奥羽本線で撮影して以来の出会いで懐かしく思いました。 '74.5.2 須磨-塩屋 P:中川弘一
線路に沿って白川が流れており、真冬で無風の朝に、屏風のような霧が時おり発生する。この霧を背景に撮ろうと何度か通い、ようやくものにできた。 '74.1.3 長陽-立野 P:木村信夫
川鉄五田保(ごたっぽ)門から国道16号線を横切って蘇我にやって来た専用線の列車。国鉄側ではDE10による組成やEF80の姿も見られた。 '81.7.18 蘇我 P:平蔵伸洋
前日天北線で初めてラッセルを見たが、今朝は室蘭本線追分でまたラッセルの出動を見る。D51に推されて夕張線に入るのか。 '75.1.4 P:坂井康祐
父と同様に弟(通称:オンちゃん)もた原ノ町機関区の機関士で特に機関区の職員の間では、尾久の罐がはつかりが牽引することで話題だったそうだ。たまたま知り合いの乗務員だったので、写真を撮らせてもらったと、聞いたことがあった。それをもらった一枚である。 原ノ町-鹿島 P:渡部 司
新黒井駅からわずかに歩くと見渡す限りの雪原が広がった。送電線が邪魔だったが駅を発車したDC92牽引の混合列車はもうすぐそこまで来ていた。気温が高かったのだろうか、客車の窓は開き、貨車に乗った作業員ものんびり景色を楽しんでいるようだった。 '61.3.1 新黒井-北四ツ屋 P:中島正樹
かつてこのポジションでC62の「ニセコ3号」を撮っている。キハ183系、13輌の長編成が懐かしい3D[おおぞら3号」の姿だ。途中、滝川で別れ7両が釧路まで運転。当時、鉄塔の傍に運転指令建屋があったが、この時すでに撤去されておりそのため、連絡船が見えるようになっていた。 '82.5.28 函館駅 P:小西 明
名寄駅でC55同士の交換と発車シーンを撮影後、急行「天北」で追いかけ音威子府で撮影。駅構内を出ると上り勾配になるのでC55は力を振り絞り進んで行きました。 '72.12.26 音威子府 P:千葉武男
吉都線と肥薩線が交わる吉松近くで効率よく撮影を、と思ったものの徒歩の移動は範囲が限られ場所選定がイマイチであった。 都城発吉松行631列車 機:D51 18+D51 '70.5.1 鶴丸-吉松 P:青木一郎
蒸気機関車の撮影においての心残りは数々あれど、ここ留萌本線での後部補機付2台運転はアングルが悪かったり、編成が長かったり、煙に巻かれたりで、結局最後までうまく2台を入れて撮れなかった。これは私にとって、とても大きな後悔だ。 '73.3.31 峠下-恵比島 P:田中一弘
芸備線の一番山深い辺り、一駅の間で線路は山地を避けて大きく迂回する。C58牽引の貨物列車がドラフト音も高らかにトンネルを抜け出してきた。トンネル出口からは暫く煙が立ち上っていた。 '64.3.9 備後落合-道後山 P:中島正樹
初詣用の団臨運転のため蒸機による久々の旅客運転。枕木に霜が降りている寒い朝、一番列車で駆けつけた思い出。構内左端には脱線モデルに使われた客車が留置中。 相武台下発成田行 9924列車 機:C11 326 '66.1.16 P:青木一郎
木津川に沿ったこの区間にはよく撮影に出かけたが光線状態が悪いのが玉にきず、川面を渡る風に秋の気配を感じた。 '73.9.15 笠置-大河原 P:服部基寛
上野に到着する高崎線の電車から、推進運転中のEF56を撮影。機関士は後方を確認している。毎回上野駅や東京駅での撮影が楽しみであった。 '63.8.2 上野 P:高橋孝一
山線を往く急行「ニセコ」。C62重連の迫力には敵いませんが、DD51重連で峠越えに挑みます。 '85.8 小樽-塩谷 P:新井良紀
セメント工場の街、宇部・小野田では、旧型国電に交じって、DD51やDE10が牽引するセキ編成が、美祢のヤマから、原料の石灰石を運んでいました。 '80.3.22 岩鼻-宇部 P:小林慎治
EF80に牽かれる上野行き普通列車。水戸機関区での撮影の帰りに千波湖畔まで歩いて列車を待ちました。 '77.3 水戸〜赤塚 P:原崎正則
国鉄時代はローカル線にも貨物列車が走っていて、どんなに小さな駅でも貨物扱いの設備があった。今ではとても想像できない。 '80.8.20 安曇追分-細野 P:梅澤 浩
新宿駅に停車中の急行「外房」です。このころは新宿駅始発の房総半島方面に行く急行が何本か設定されていました。使用車輌の165系は雪国や山岳路線のイメージが強く少し違和感がありました。 '82.7 新宿 P:鈴木岳人
1982〜85年に運転されていた福井発着の485系「白鳥」。四半世紀以上経過した現在でも485系特急がこの海岸沿いを走り続けています。 '84.8 青海川-鯨波 P:橋本安史
新幹線開業前年、優等列車が次々に往き来していた。父からお下がりのカメラ、今画像を見ると随分ルーズなレンズだったようだがその頃は写っていることだけで大喜び。57.3キロ地点での151系。 '63年 辻堂-茅ヶ崎 P:青木一郎
北千住から荒川の土手に向かってはやや上り勾配。黒煙を上げてC57牽引の普通旅客列車が荒川橋梁に差し掛かる。今は隣をつくばエクスプレスが走り、何でもない普通の情景も撮れなくなってしまった。 '61.5.7 北千住 P:中島正樹
函館本線山線沿線は豪雪地帯です。その中を急勾配の倶知安峠に挑むC62重連急行「ニセコ1号」104レが豪快に走行する姿に魅せられてたびたび訪れました。 '71.3 小沢-倶知安 P:中川弘一
福知山線の旧線を行く特急「まつかぜ」。トンネルの向こうから響き渡るディーゼル音、大自然の中を駆け抜けるその姿は長距離昼行特急の花形でした。 '85.8 生瀬-武田尾 P:泉谷 純
昔の相模線は非電化でした。畑の真ん中にぽつんとある入谷駅のどかな風景でした。 '74.6.9 入谷-相武台下 P:水島 貴
近所のレイルファンのお兄さんによく連れてもらいました。「汽車がきたらこの辺でシャッターを押せ」と教えてもらいましたが結果はご覧のとおり。しかし懐かしい昭和の風景が写っています。 '67.9.3 嵯峨-花園 P:石地康司
薄っすら雪をつけて、14番線に到着した急行「津軽」。隣にはEF64-1000牽引の急行「天の川」の姿も...。 '84年 上野 P:新井良紀
当時の筑豊のシンボル、ボタ山を絡めて撮ろうと飯塚駅に行った。やって来たのはラッキーなことにD60 61〔直〕+D51 807〔直〕の重連。発車の際、D60の歯切れのよいブラスト音が印象的だった。 '72.8.4 飯塚 P:古澤成博
八王子-橋本-茅ヶ崎間で運転された、キハ35系 「かっぱ号」 です。大型のヘッドマークを前後に付けて、夏休み期間中の日曜日などに一往復、走りました。写真は夕方、八王子に帰って来た列車です。 '86.8 片倉-八王子 P:采女 誠