鉄道ホビダス

2011年8月アーカイブ

臨時貨物

110909_c57192.JPG

宿泊先のユースホステルに向かう前に臨時貨物列車を撮影。夏草で足場確保に苦労した。 '73.8.29 霧島神宮 P:宮山幸雄

大雪の朝

110909_dd_snow .jpg

大雪の朝、ダイヤの乱れは必至、何かサプライズはないかと家族旅行中の旅館より、カメラを持って駅へ。列車は全面運休、ホームにはDD15のラッセルが佇むのみでした。 '75.12 城崎 P:芝地寛之

110909_towada.JPG

十和田観光電鉄線は、単線区間を走るローカル色の濃い路線です。貨物の運用もあり、電気機関車が往来していました。冬休みも終わり間近となり、4月より社会人となりました。 '80.3.27 高清水 P:板倉幸弘

サミット目指して

hiyamizu.jpg

D51とD60の重連貨物が冷水峠を煙を噴き上げながらドラフト高く登って来た。サミットの冷水トンネルはもうすぐ。 '70.3.20 筑前内野-筑前山家 P:松崎昌一

110825_c58.JPG

足尾線の蒸機廃止で運転された記念列車の戻り。桐生から高崎へ向かう両毛線内ではC12に代わってC58が牽引。追っかけファンに囲まれて岩宿駅を発車、見送るファンの放心したような表情が印象的。 '70.10.4 岩宿 P:中島正樹

110825_c62img096.jpg

札幌行き急行「たるまえ」を牽引するC62の発車前のひと時。23時台には、3本の蒸機牽引列車がホームに停車していた。他には、釧路行きと札幌行きの荷物列車だった。連絡船到着前なので、まだホームは静まっていた。 '68.4.3 函館 P:高橋孝一

110825_20.jpg

編成の後半分を下関で切り離し、西鹿児島への旅はまだ続く。往年の行灯サインに比べると簡素でチト寂しいが機能優先。「走るホテル」の寝台特急、7列車。 '65.10.24 別府 P:青木一郎

110822_c62.jpg

3月下旬になると、ここ倶知安のC62重連の発車は撮りやすくなる。だからといって、いい写真が撮れる、というわけでもない。何度通いつめても、傑作はなかなかモノにできなかった...。 '67.3.29 P:高橋孝一

田野の夕景

110822_c57.jpg

雲ひとつない西空に夕日が沈むとき、大築堤にやってきた596レを牽引するC57 9のシルエットが美しく浮かび上がった。 '74.2.16 青井岳-田野 P:鈴木博之

加古川機関区

110822_c12.jpg

加古川機関区を訪問した時の一枚。後ろの機関車に今はほとんど見かけなくなった制服・制帽の高校生のお兄さんが写っています。 '72.3.12 P:石地康司

昭和の一こま

110822_kokura.JPG

ホームにあった、水飲場や洗面台、吸殻入れなど、いつの間にか、見かけなくなりました...。 '81.5.3 小倉 P:小林慎治

記念列車運転前夜

110819_.morioka.JPG

昨年9月に行われた記念運転が最後かと思われた、D51三重連運転が鉄道100年記念で東北本線の盛岡-八戸間で運転されることになった。秋田機関区から借り出された3輌のD51。静まりかえる夜の機関区で記念日の夜明けを待っていた。 '72.10.29 P:武者秀男

豪雪の銀山駅

110819_.d51.jpg

倶知安駅から各駅停車に乗って銀山駅におりたった。駅は綿帽子を冠ったような雪景色の中を、上りD51牽引客車列車が発車して行きました。 '69.3 P:中川弘一

DD54の晴れ姿

110819_.dd54.jpg

お召列車は西舞鶴から和田山間をC58 223とC58 56が牽引し、その後このDD54 1とDD54 3が牽引しました。最初で最後のDD54の牽引お召列車でした。この写真は、久美浜病院院長の赤木先生所蔵のものをお借りし投稿したものです。 '68.10.6 和田山 P:山本順一

夜の音威子府

110819_otoineppu.jpg

音威子府21時44分発、名寄行き378レが水銀灯に照らしだされながら、ゆっくりと発車して行きました。撮影を終え見送っていると、投炭するたびに線路際の雪の壁がオレンジ色に光っていました。 '75年 音威子府 P:吉葉富雄

110819_.583.jpg

堂々の583系12連で運転された某ビール会社主催の納涼ビール列車です。1980年代に人気を博したペンギンキャラクターがヘッドマークを飾っておりました。運転区間は大阪駅から琵琶湖を一周するもので、当時はこのような企画列車が多く運転されていました。 '84.8 大阪 P:泉谷 純

D62の休息

110818_.d62.jpg

家から近かったので午前中の早い時間と記憶している。神戸港駅へ向かう支線の分岐駅でもあり、操車場としての役割があった。そのため、回送列車や機関車が多く停車していた。  '58.3 東灘駅構内 P:小西 明

旧国の顔

110818_.73.jpg

武蔵中原電車区を見学させていただいたとき撮影。当時快速電車などで101系も導入されていたが主力は旧型電車。手前2輌は同じ73系だがずいぶん顔が違う。その奥はクハ16。 '73.7 武蔵中原電車区 P:小林哲哉

重連発車

110818_.9600.jpg

凄まじいドレインを吐きながら発車する9600重連。この前後のコマは、カメラの蓋を開けたため、見るも無残に...。今ならば、酒に酔っても100%ありえない行為だが、あの頃のネガにはなぜかこの手の行為が散見される。 '73.4.29 行橋機関区 P:山縣 博

木曽路のD51

110817_d51.JPG

東側に中央アルプスを控えた須原駅構内。しばらく停車していたD51牽引の下り貨物列車は上り貨物の通過を見送るとようやく発車。後部補機のD51も煙で存在感を表している。 '66.10.29 須原 P:中島正樹

青森から来たC61

110817_c612.jpg

先行投入されたC61 2号機。今日はC57 196とペアを組んでの運用。日向灘沿いの松林を飛び出し、平田川鉄橋を轟音をたてて通過。 '71.7 都農-川南 P:藤田高士

110817_de.jpg

足尾駅を出発した列車から遠ざかる足尾駅を撮影したものです。この頃は足尾銅山の精錬所までの貨物列車が設定されており、町もそれなりの賑わいがありました。 '87.8 足尾 P:鈴木岳人

110817_c62.jpg

全線電化前の常磐線は、寝台特急「ゆうづる」の他、急行「十和田」がC62牽引で最後の活躍をしていました。かって訪れた常磐線は、今回の大震災と原発事故の影響で大きな影響を受けていますが、一日も早い復興を祈ります。 '67.8 平機関区 P:中川弘一

C61 20

110817_c6120.jpg

8輌の客車をグングン引っ張るは、まさに奥羽のスターだった。蘇ったC61 20号機のナンバープレートの取り付け位置が上方に修正され、現役時代の精悍なマスクを思い出す。 '71.3.18 大釈迦-鶴ヶ坂 P:鈴木一平

快走C57!

110817_c57.jpg

デゴイチの貨物列車を待っていると、後方からC57 104〔岩一〕がたった4輛の客車を牽いて軽快なジョイント音も軽やかにやって来た。 '74.7.17 追分-三川 P:古澤成博

110817_kitakyusyu.JPG

西鉄の路面電車の中でも、異色(?)の北方線。その運行最終日、無料開放された車内は、沿線の利用客やファンの人たちで、終日、満員の賑わいでした。 '80.11.1 西鉄北方線 香春口電停 P:小林慎治

ストライプ

110817_185.jpg

デビュー当初は斬新さを飛び越えて、今までの国鉄車輌の枠を思いっきり飛び出した感覚に襲われたのも今は思い出。今年30年と節目の年となる185系と「踊り子」号。この斜めストライプがリバイバルカラーで復活しましたね。 '87.1.5 東京 P:梶村昭仁

鶯谷の風景

1108166c58.JPG

鶯谷駅ホームは上野を出入りする列車を手軽に撮影する場所として昔も今も変わらない。ただ列車と背景は大きく変わり、約40年前にはまだ成田からのC58牽引列車が見られた。 '66.9.23 鶯谷 P:中島正樹

C6132.jpg

八代付近の築堤を全速力で駆け上るC61。終着の西鹿児島まではまだまだ遠い。 '70.3.28 八代-肥後高田 P:松崎昌一

十勝平野の片隅で

toko110813_010017.JPG

道東での活動を終えて帰りに広尾線に立ち寄り。1日に1本の貨物列車、9600+ワフ+トラ+ワフと季節波動だと思うが少々寂しい編成だった。 '75.3.5 忠類 P:宮山幸雄

京都駅のC57

C57190.jpg

京都駅一番線で出発を待つ841列車の先頭に立つC57 190号機。私の記憶ではこの190号機と15号機が先に廃車となり、その後昭和46年春に無煙化により残りの5、39、89、127号機が転属となりました。 '70年夏 京都 P:山本順一

千葉のC57 1

1972.10.1.jpg

C57 1は1972年春に羽越本線でお召列車を牽引した後、鉄道開通100周年記念では総武本線、成田線を走行しました。南酒々井の「お立ち台」に行くと、すでに三脚が林立しており、隙間に入れてもらって撮影した思い出の一枚です。 '72.10.1 南酒々井―榎戸 P:遊川 清

名残り雪

110816_c58.jpg

春休みも終わりに近づく4月5日、明日は帰路につく予定。折から降り始めたボタン雪は、北海道への思いを残す、名残雪であった。 '74.4.5 西女満別-女満別 P:田中一弘

38年前の重連

c6120 takanabe.JPG

せっかくのハドソン+パシフィックをこんなアングルで撮った拙さを嘆きたくなるが、これもまた「私の国鉄時代」の一頁。受験態勢に入った級友を尻目に、九州旅行を断行した中3の夏の思い出。 '73.8.10 高鍋 P:井芝七路

準急「比叡」

110712_153.jpg

昭和32年頃、従来の客車列車から80系電車に置換え運用を開始。昭和34年4月、大阪、名古屋間に153系 準急「比叡」が運行開始される。 低運転室の153系を鴨川橋梁で撮る。 '61.3 京都 P:小西 明

183系お召列車

110712_omasi .jpg

友人と伊東線に撮影に出かけた際のひとコマ。予想もしなかったお召しの登場にびっくりしました。183系と貴賓車クロ157の凸凹ぶりがわかる、貴重な写真となりました。 '85.2.13 網代-宇佐美 P:佐々木靖之

青森の旅

110712_aatsugaru.jpg

学生最後の旅は、津軽、弘南、十和田、南部縦貫の各線めぐりでした。3月の青森は、厳しい寒さでしたが、思い出ができました。行きは、急行「津軽」のA寝台、帰りは三沢から飛行機でした。 '80.3.26 津軽鉄道 金木 P:板倉幸弘

旧国の両雄

110712_moha52.jpg

豊橋駅の飯田線ホーム。旧型国電をウォッチングするにはもってこいの場所だった。この日は運よくクモハ52と43というお気に入りの並びが見られた。 '77..8.17 豊橋 P:寺沢秀樹

鉄道の街を後に

110811_d51.JPG

長万部機関区訪問の際、もう一足延ばして下り方向の室蘭本線を探索してみた。函館本線は大きく山側にカーブして分かれるが室蘭本線は直進し、川を渡る。ちょうどD51牽引の下り貨物が発車して来た。 '67.5.4 長万部 P:中島正樹

110811_d52.jpg

待機するD52と進入するキハ82系「北斗」。この構図が気に入って、たびたび同傾向の写真を撮っている。 '70.8.17 大沼公園 P:高橋孝一

運用最終日

110811_d60.jpg

当時の筑豊本線は主力のD60が急速に淘汰され、D51に置き換わっていった時期であった。この32号機も今日が運用最終日で、翌日には休車扱となり、数日後に直方を再訪した際には、ナンバープレートがはずされた状態となっていた。 '72.7.28 折尾―中間 P:遊川 清

110811_485.jpg

実家で見つけた一枚のモノクロ写真。少年時代の遠い記憶が蘇った。 '77.4 京都 P:野々村康久

2ドア狭窓コンビ

110811_kumoha.jpg

夏の昼下がり、駒ヶ根まで行って、折り返しはのんびりと辰野まで回送で戻ってくるという運用があった。たまたまこの日はクモハ43とクハ47という2ドア狭窓コンビがこの運用に入った。 均整のとれた美しい編成を目の当たりにし、PEN-Fのシャッターを切った後しばらく「かっこいいなぁ〜」と列車を目で追い続けていた。 羽場-伊那新町 '78.8 P:君島弘道

遠い夏の日

110811df50.jpg

14時10分すぎ、7レ・8レの出会い。高校野球決勝、三沢対松山商戦再試合のテレビ放送が、開け放した駅前食堂の窓から聞こえていた。 '69.8 重岡 P:藤田高士

110811_eki.jpg

9月30日に開業した埼京線。開業後一週間も経っていないというのに開業を祝う装飾は背後の開通記念表示のみと閑散としたムードだった。改札はラッチ式で自動化は未だの風情なうえ、写真左側にある出札(自動券売機)のうち、左端と右から2番目の券売機は当時鳴り物入りで登場のオレンジカード対応券売機が懐かしい。 '85.10.3 浮間舟渡 P:梶村昭仁

港のハチロク

110810_8620.jpg

山陽本線の東灘から別れて神戸港までの間を貨物営業をしていた神戸港貨物線。ハチロクが貨物の牽引と入換をしていました。ここで働くハチロクは前照灯と煙突の間に鐘(教会にあるような)を取り付け汽笛を使わずこの鐘を鳴らしていました。 '64.2.23 P:青山春樹

南国の朝

110810_c57113.JPG

霧島のユースホステルに宿泊した朝、撮影場所に向かう前に通勤列車を撮影。朝日にナンバープレートが若干ギラリとなっている。 '73.8.30 日向沓掛 P:宮山幸雄

急行「丹波」

110810_kiha.jpg

福知山線の旧線を行く急行「丹波」です。グリーン車も連結された長編成は迫力満点。現在ハイキングコースになっているこちらの旧線は今なお登山客が多く訪れるスポットです。 '85.8 武田尾-生瀬 P:泉谷 純

クモハ53000

110810_kumoha.jpg

撮影名所の渡らずの鉄橋。電車を待っていると、姿を見せたのはクモハ53000。お気に入りの2扉・狭窓・前パンの車輌に出会えて思わずガッツポーズが出てしまった。 '78.3.25 城西-向市場 P:寺沢秀樹

110810_c58.jpg

高崎第一機関区は、扇形庫の規模や給水炭設備など、全国的規模の設備があった。森繁久弥、三木のり平らの出演した「喜劇 各駅停車」のロケ地になっている。 '68.9.15 高崎第一機関区 P:高橋孝一

瀬野にて

110810_ef59.jpg

当時セノハチの補機EF59は瀬野駅で連結していたので、ホームから多くのFE59の姿を見ることができた。隣ホームではEF59 18+EF59 1のペアが発車を待っていた。 '74.10.5 瀬野 P:鈴木博之

キハ08

110802_kiha08.JPG

北海道周遊で立ち寄った釧路駅。日が暮れた根室本線下りホームで停車中の鋼体化客車改造の気動車キハ08を初めて見た。時間が許せばその乗り心地を試してみたかった。 '67.5.2 釧路 P:中島正樹

機関車交換

110802_c6124.JPG

奥羽本線を牽引してきた荷2048レは秋田駅着5時12分。C61からC57に機関車を交換する。発車は5時29分。写真を撮った時刻は5時20分と駅構内の大時計が示している。この日の羽越本線牽引機はC57 103号機。ハドソンからパシフィックへの豪華バトンリレーが日々繰り返されてた時代でした。 '71.8.2 秋田 P:武者秀男

真夜中の機関区

110802_c62.jpg

真夜中の糸崎機関区にて、投光器を浴びてたたずむ国鉄最速の蒸気機関車C62 17。当時は署名とヘルメット着用だけで、このようなシチュエーションの写真も許可してもらえました。 '67.3.31 糸崎機関区 P:坂内定比古

ED18 2

110802_ed18.jpg

機関庫で検修を受けるED18 2。先日リニア鉄道館で35年ぶりに再会してきました。 '76.9.4 伊那松島機関区 P:石地康司

PFの時代

110802_sakura.JPG

東京発、下りブルートレインは、1レ 「さくら」を皮切りに、次々と駆け抜けて行きました。 '78.11.6 新下関-幡生 P:小林慎治

試作機との邂逅

110801_DD91.JPG

三菱が西ドイツ製のエンジンを使って試作し、国鉄が山陰本線、福知山線で試用していたDD91 1 当時ぶどう2号一色だったEL、DLのなか白に近いクリーム色に赤の帯の斬新なカラーリングに驚きました。 '62.9.30 丹波口 P:青山春樹

C61発車

110801_c6120.jpg

北海道へ向かう途中、弘前で下車し撮影することにした。 普通列車を牽いて出発するのはつい最近復活を果たしたC61 20だ。綺麗に塗装されたボディーに違和感を感じた。ここに映る姿は、煤にまみれ補修の塗装がまだらに残る現役姿。われ等の年代は、この姿にあこがれたのだ。 444レ(院内行き) C61 20〔青〕  '70.12.29 弘前  P:小西 明

混合列車

110801_takamori.jpg

貨物輸送をまだまだ鉄道に頼っていた頃の小単位輸送の姿。ニ軸貨車に続くボギーの響きが懐かしい。この機はバック運転時の見通し用に炭水部に小窓が開けられていた。立野発高森行 混126列車 機:C12 222。 '72.3.27 立野-長陽 P:青木一郎

建植作業

110801_nippou.jpg.jpg

時間どおりに終了するのだろうか。真夏の昼下がりのポール建植をハラハラしながら見守った。 '71.8 上臼杵-臼杵 P:藤田高士

蒸機暖房

110729_.suha.jpg

栃原駅下りホームに停車中の客車の床下から暖房用蒸気が流れてきます。荷物車とナハフ10の窓明り、そして照らされたホーム。夜の幻想的な写真になりました。 '81.11 栃原 P:楢井勝行