炭砿地帯の鉄道ゆえに最後まで蒸機が残っていた。夕張から国鉄線とほぼ併走していた路線は、若菜から大きく分かれ平和で後補機を付けて山越えに入る。本務がDLに変わっても蒸機NO.21は補機としてここで待機、その脇を夕張へ向けて下りNO.26が発車して行く。 '75.1.31 平和 P:中島正樹
2011年5月19日アーカイブ

川越線が非電化の頃の大宮機関区は96のねぐらでした。彼らに交じって、入換え等にせっせと働くディーゼル機関車も異色の存在でした。 '69.6 大宮機関区 '69.6頃 P:大沢 彰

東海道線の膳所から浜大津まで大津支線、京阪電車の石山坂本線の石山寺方面行きの線路が3線区間になっていてハチロクの牽く貨物、それに江若鉄道のDCが走っていました。 '62.8.13 大津支線 P:青山春樹

雨の生野峠をC57が単機で登って来た。何度も何度も空転を繰り返し、空転する度ドラフト音が消え、再びゆっくりと動き出す様は見ているこちら側まで力が入りました。 '72.6.12 新井-生野 P:高橋 明

夏休み友人と2人で行った足尾線。原向駅から国道をしばらく歩き、線路を見渡すお立ち台へ。沢に沿って谷間をゆっくりと走るC12はまるで模型のようでした。 '70.8.27 沢入-原向 P:鈴木一平

周りは背丈ほどの林が密集していて仕方なく線路際でD52を待ちました。 D51貨物列車がよい煙で露払い、ほどなくすると期待通りの爆煙で目の前を通り過ぎて行きました。 '73.3 渡島沼尻-鹿部 P:川瀬 剛

中学3年の夏休み、一人で九州の蒸気機関車を撮影に行った。太陽が傾き始めた頃、ようやく到着した宮崎で表情の異なる2輌のC57が出迎えてくれた。 '71.8.21 宮崎 P:石田哲彦
日の長い夏場でないと撮影できない、小牛田発4時20分の石巻線C11重連の発車を撮影後、寝台急行「北星」の発車を待ちました。小牛田発は4時28分。ED75重連に牽かれた寝台11輌+荷物車1輌の12輌編成の寝台列車は北へ向けて徐々に速度を上げて行きました。 '73.7.8 小牛田 P:武者秀男
自宅から最寄だった桜井線畝傍駅。当時、すでにこの駅での貨物扱いはなくなっていたように思いますが、夕方、DE10牽引の下り貨物列車が今は轍となっている3番線で20分程度退避しました。撮影場所は、貨物全盛期に入換えでの踏切長時間閉鎖の対策で設けられていた駅東側の跨線橋。 '77.12.2 畝傍 P:武田知之

九州内の特急として誕生した「有明」は一般公募で命名された。公募のパンフレットは今も大切に持っている。1往復の設定のためなかなか撮れなかったがやっと駅交換で撮ることが出来た。 '70.3.27 上伊集院 P:内田博行
