EF15が最後の活躍をしていた頃です。ここは青梅線、八高線が交わる交通の要衝。両線の貨物列車がひっきりなしに着発していました。 '84.5 青梅線 拝島 P:米山浩司
青梅線の最近の記事
桜前線が都心を通過、ここ奥多摩も満開となった。青梅線を見下ろせる山の斜面を登ると期待通り線路が一目で見下ろせ、やがて空車ホキを牽引したED16がやって来た。 '77.4.12 青梅線 古里-鳩ノ巣 P:中島正樹
大垣夜行で上京した時、嫌がる友人を無理やり連れてED16を撮りにいきました。メインは竹の子族でしたが、私の本心はED16捕獲でした。 '80.12 軍畑 P:筒井敦己
ながらく青梅線の主として活躍を続けてきたED16にも終焉の日が迫っていました。最後の活躍を続けるラストナンバー18号機です。 '83.3.20 青梅-宮ノ平 P:宮城浩志
線路端には長い貨物列車に夢中の子供。道端には長い立ち話に夢中の買い物帰りのお母さん。古いネガの端には長い間忘れていたあの秋の日の一コマ。僕は青梅線に夢中だった。 '74.11 御嶽 P:島田宗彦
この年の桜は開花が平年より早く青梅まではすでに散っていた。しかし、御獄から先はちょうど満開で古里-鳩ノ巣間の桜並木は圧巻、平日にも関わらず多くのファンと出会った。 '77.4.12 古里-鳩ノ巣 P:中島正樹
春雨の中、青梅線の梅林の名所を行く下り貨物列車です。写真のED16 14は引退直前にスノープラウが外されました。5181レ '83.3.15 石神前-二俣尾 P:采女 誠
ホームは今の青梅駅と同じ位置にありますが駅の売店はまだ健在。当時は駅の山側に青梅電車区があり、その建屋が立川行き40系の後にみえています。 '72.2.9 青梅 P:中安 輝
私鉄を含めて4路線が集まる拝島駅、曇天の蒸暑い昼下がりに旧型電関2輌もひと休み。 '74.8.14 拝島 P:長谷川武利
都心まで30分の距離とは思えない古色蒼然とした立川駅、ED16の牽く鉱石列車がまだ行ききしていた時代だった。 '76.6 立川 P:服部基寛
この年、引退するED16を追って全国からの来訪者が急増。この日は青梅以遠ではなく自宅近くの団地から昭島駅付近を俯瞰。手前の空地は今はショッピングモールです。 '83.3.20 昭島 P:菅沼理也
長い間ED16の独擅場だった青梅線。しかし、時には101系のオレンジも梅の里にはよく似合っていた。 '74.3.31 石神前-二俣尾 P:中島正樹
ED16の14号機は、青梅線で運用されていたED16の中で唯一スノープラウが装着されており、足回りがしまってかっこよかった。ここぞの場面で撮影したかったが、撮れずじまいに終わってしまった。この編成写真もネガに染みが出来てしまい、つくずく縁がなかった。 '81.10.10 拝島 P:鈴木岳人