僕は布原三重連は間に合わなかった世代です。中学生でしたが、田川線で蒸機の3台運転があると聞いて訪問した時の写真です。夏の午後に黒煙を上げて走る3台の96は大迫力でした。その後冬にも訪問しましたが、その時はもう三重連は走ってなかったと記憶しています。後ろの機関車が辛うじて写っている程度なのがちょっと残念でした。 7494レ '73.8.24 田川線 勾金ー油須原 P:綿崎真澄
田川線の最近の記事
とにかく暑い日だった。後補機の29608を従えて、ブラスト音高くやって来たのはパイプ煙突の29612号機。撮影後、熱くて素手でカメラを触ることが出来なかった。 '73.8.4 勾金-油須原 P:古澤成博
冬枯れの風景の中を長大な石灰石輸送列車が10‰の勾配を喘ぎながら登ってきた。しばらくして補機は切り離され単機でゆっくりと勾金方面に帰っていった。のんびり過ごした冬の一日だった。 '74.2.18 田川線 内田(信)-油須原 P:高橋洋二
この日は田川線油須原へ後補機つきの貨物列車を撮りに行った帰り行橋機関区へ行った。機関区では前角後丸門デフ変形機の横で49688が煙室扉を明けて掃除中であった。 '74.5.26 行橋機関区 P:木部智司
キューロク後補機付き専用貨物列車。この日は休日だったせいか荷が軽く、デフなしの29670と49654が急行貨物列車のようなスピードでやって来た。春まだ浅い赤峠に、せわしないブラスト2重奏が響き渡っていた。 '74.3.23 田川線 勾金-油須原 P:古澤成博
昭和49年12月22日の筑豊本線「さようならSL」に先立つこと5日、田川線「さようならSL」が定期貨物列車で運転された。平日だったが学校をサボって撮影に出かけた! '74.12.17 崎山-油須原 P:木部智司
凄まじいドレインを吐きながら発車する9600重連。この前後のコマは、カメラの蓋を開けたため、見るも無残に...。今ならば、酒に酔っても100%ありえない行為だが、あの頃のネガにはなぜかこの手の行為が散見される。 '73.4.29 行橋機関区 P:山縣 博
補機の務めを終えて、機関庫にバック運転で戻るキュウロク。バックは筑豊の白いダイヤといわれた石灰石でできた、筑豊のシンボル「香春岳」。 '74.11.14 勾金-油須原 P:衛藤哲也