京阪神方面へ帰る修学旅行臨12系客車。牽引するはDD51 1043、今では人気者、しかし亀山機関区所属時は側面白帯を省かれた"ハズレ"の機関車であった。 '78.6 紀勢本線 松阪 P:楢井勝行
関西各線の最近の記事
梅小路を出たC58牽引貨物列車は、京都駅を過ぎると鴨川を渡り宇治、奈良方面へと向かいます。この辺りも様変わりしてしまいました。 '71.4.28 奈良線 京都ー東福寺 P:藤田康郎
当時中学生だった私が、アルバイトをして稼いだお金でD51を撮影しに、津和野機関区を訪問した時の写真です。カメラは叔父に借りたコニカFPでした。D51 200が入線しているので、懐かしくてものすごく楽しみですね。 '73.3.25 山口線 津和野 P:綿崎真澄
関西本線で運用されていたD51の中でもひときわ目を引いた499号機。後藤デフに長野式集煙装置を身にまとったその姿に圧倒された。 '72.12.10 関西本線 加茂ー木津 P:吉村忠修
紀勢本線尾鷲駅で「南紀2号」に道を譲る天王寺発亀山行き924列車。煤煙とSGの交ざった匂いが思い出されます。旧型客車を求めて全国を巡っていた。「わが国鉄時代」の思い出...。 '84.12.29 P:米山浩司
首都圏色となり被写体としてつまらなくなった一般型気動車。そこに現われた新鋭キハ40、格好良いその姿を撮りたかったがなかなか先頭には立ってくれませんでした。 '81.11 紀勢本線 栃原 P:楢井勝行
朝の通勤通学列車が交換します。停車中の下り列車と上り列車を待つ乗客。栃原駅が最も賑やかになる時間でした。 '78.6 紀勢本線 栃原 P:楢井勝行
ホームの端にある乗務員区に掲げられた日章旗。1月15日、「成人の日」を祝してのことだった。 '72.1.15 関西本線 亀山 P:田中一弘
関西本線弥冨駅は日本で一番低い所(−0.93m)にある地上駅で、今は近鉄とは完全に切り離されているが当時は貨車の引き渡しのためレールは接続されていた。この日は運良く元お召機のC57 139号機が撮影できた。 撮影日不詳 関西本線 弥富 P:田中敏一
大阪市営バスの長居車庫の裏手をのんびりと天王寺駅へ向けて回送されるED60とEF52。折り返しの天王寺からは南紀方面への客車列車の先頭に立ちます。当時はクーラー付きのスロ60を含む臨時「しらはま」などの優等列車の先頭に立つ姿も見られました。 '65.3.21 阪和線 長居付近 P:柿浦和敏
大阪の万国博に行った帰り、京都駅で写真を 撮っていたら、C58 135の牽く荷物列車がホームに進入してきました。 '70.9.12 奈良線 京都 P:村木勝義
亀山駅西方の操車場で参宮線客レの編成を組成中のシゴマル。小さな汽笛を発しながら軽快に動き回る様子を飽きることなく見学していました。 '72.4.23 亀山機関区 P:石地康司
EF52引退後の70年代阪和貨物は、竜華区のEF15、EF58、ED60、ED61が時に重連で牽引しており、その組み合わせは異形式なんて当たり前、バラエティ豊かなものであった。 '75.9.28 阪和線 鳳 P:森田 宏
1986年夏、桜井線に蒸気機関車が運転され、保守は竜華機関区で行われた。メンテを受ける非日常のC56 160の横を日常の101系が走り抜けていった。 '86.7.27 竜華機関区 P:田中一弘
明治期の参宮鉄道時代から今もそのまま残る鉄道遺産の宮川橋梁。レンガ造りの橋脚、ブラットトラス式の橋桁、その橋梁を短いD51牽引の貨物列車が渡り、ローカルムードを醸し出しています。 '72.1.30 参宮線 山田上口-宮川 P:村木勝義
コメント 梅雨時期でしたが天気に恵まれた加太築堤。近辺に店がなく大きな水筒を持参して撮影に向かった思い出があります。 関西本線 加太-中在家(信) '72.6.25 石地康司
天王寺駅のC58荷物列車のんびりと発車を待つ湊町行荷物列車。当時、親に買ってもらったばかりの一眼レフを手に毎日のようにこの列車を写しに出かけました。今、このホームには特急「くろしお」「はるか」等が頻発しています。 '68.7 関西本線 天王寺 P:末近義治
この付近は、四日市などの工業地帯を抱え、名古屋方面からの貨物列車が結構多かったのを覚えています。旅客輸送の方は、隣に見えているトラス橋の、並走する複線電化の近鉄名古屋本線に常に押され気味でした。今、D51 772の牽く貨物列車が、木曽川橋梁を渡ったところです。 '69.7.20 関西本線 弥冨-長島 P:村木勝義
国鉄和歌山線粉河駅構内です。貨車移動機とするには小型すぎでしょうか。小さな燃料タンク、サドルに探照灯が愛らしく、後方に小さなトラバーサー。鉄道模型のような、国鉄時代の地方の一風景でした。 '70.7 和歌山線 粉河 P:深井浩一
複線化なったばかりの紀勢本線の海南付近の大カーブを南下するC57 119牽引の臨時「しらはま」です。次位に南海サハ4801を連結した土曜限定の急行列車でした。 '65.5.29 紀勢本線 海南付近 P:飯田 勝
加太の大築堤は冬になると北西の風が強く、煙はカーブの内側に流れ、後ろの貨車や後補機が煙に隠れ見えなくなる事が多いが、この日は運よく煙が立ってくれた。 781レ '71.2.28 関西本線 加太―中在家(信) P:田中敏一
国鉄が「鉄道100年」を記念して10月10日に開業した梅小路蒸気機関車館。開業前にあるルート(?)を通して撮影する機会を得た。あの時の喜びようは、何とも言えなかった。小樽築港のC62 2、9633が並んで煙を上げていた。 '72.10 梅小路機関区 P:小西 明
京都駅を出発した奈良線のC58貨物列車は、やがて鴨川橋梁を渡ってカーブしながら南下します。その貨物列車の背景には、0系新幹線の車体が確認できます。 '71.8 奈良線 京都―稲荷 P:中川弘一
国鉄関西本線柏原駅1番線、この駅の主のごとく停車中の武骨な近鉄モ6411形とク6521形。明けても暮れても、たった2駅先を行ったり来たり。そんな彼らも1983年、しずかに姿を消した。 '76.2.17 柏原 P:森田 宏
木津川に流れに沿って行く、笠置ー大河原。名古屋を出た急行「平安」と「かすが」は柘植で分割されてそれぞれの目的地に向かう2階建て急行だった。 関西本線 笠置ー大河原 撮影日不詳 P:服部基寛
バックビューから後補機の活躍を狙いましたが気温が高く、期待した煙はスカスカでした。 '72.6.25 関西本線 加太-中在家信号場 P:石地康司
この頃は近くの城東貨物線によく撮影に出かけていた。この日はシルエットを狙いに都島信号場近くの築堤に出かけた。やってきたのは戦時型の1014号機だった。 '68.4.14 城東貨物線吹田(信)ー都島(信) P:田中敏一
1986年夏、観光キャンペーンのイベントとし王寺-奈良を桜井線経由で走った「SL大和路号」の試運転。三輪山をバックに煙がたなびいた。 '86.7.26 桜井線 桜井-三輪 P:森田 宏
スイッチバックにて交換列車を過ごし、今、発車の時を待つ。機関車より吐き出された煙が木々に巻き付く厳かと思える風景と、安全弁から噴出す白い蒸気の圧倒的な迫力に、私はいたく気圧された。 '72.3.19 関西本線 中在家信号場 P:田中一弘
いつもは軽快に旅客列車や荷物列車を牽引していたEF58であるが、当時の阪和線ではあえぎながらも貨物を牽引していた。写真は2灯化前の22号である。 '75.9.28 阪和線 山中渓 P:森田 宏
10歳の春、初めての梅小路で、36枚撮のネオパンSSを2本も使ってしまうという、当時としては、大胆なことをしてしまいました。 '75.3.22 梅小路機関車館 P:小林慎治
普通DCがD51貨物離合、見送る駅員、ありふれた日常風景だった。 '73.4 紀勢本線 下庄 P:服部基寛
最後の活躍をする名古屋区赤ナンバーのC57撮影に行きました。この日、C57 67の牽く名古屋発225レに乗って永和駅に着きました。モノクロ写真では赤ナンバーだと数字がよく見えませんでしたが、カラー写真でははっきり見えました。 '69.8.31 関西本線 永和 P:村木勝義
亀山で夜行列車を降りると、向かいのホームにC55 39牽引名古屋行きが発車を待っていた。C55との出会いはこの時が初めて、丸味のあるキャブ屋根が流線形改造と知ったのは後からだった。 '63.2.20 関西本線 亀山 P:中島正樹
連続上り勾配に備えテンダー上で石炭を均す乗務員。加太越えは大築堤が有名ですが加太トンネルをサミットとする柘植側も勾配が続く難所でした。 '72.1.7 柘植 P:石地康司
5本の煙突が立つ扇形庫、そして背景の倉庫群、現在とあまり変わりない36年前の梅小路機関区。2016年春、京都鉄道博物館がオープンする前に再訪したいと思います。 '78.3 梅小路蒸気機関車館 P:楢井勝行
高校最初の夏休み、学割を利用して、関西を「旅」しました。初めて見る快速のヘッドマークに、大満足! '80.8.3 奈良 P:小林慎治
中在家信号場へ向かう途中に加太駅へ下っていく784レを撮影。川向こうの名阪国道は走る車が少ない時代でした。 '72.1.7 関西本線 中在家(信)-加太 P:石地康司
11月の気持ちのいい快晴の日、軽快に1291レが発車して行った。後方に入換用の8620から置き換わったDE10が見えている。 '72.11.19 木津-奈良 P:吉村忠修
桑名で宿泊、雨上がりの今朝は早朝から行動を開始した。しかし、冷え込みで濃霧に見舞われ、やっと霧が晴れ上がった10時過ぎ、駅の外れでC57牽引亀山行きを見送った。 '69.1.26 桑名 P:中島正樹
油の匂いが漂う昼休みの検修庫。庫内に佇むDF50。床面に木煉瓦が敷き詰められいることにいまさらながら気づいた。 '79.3.20 亀山機関区 P:野々村康久
この貨物列車には補機がついていなかったが、電柱などがない場所ですっきりと撮影できた。九州の蒸機を撮影に行く途中ここを訪問したのだが、加太駅では貨物列車や荷物列車を含めた時刻表を配布していてありがたかった。 '72.1.6 加太-中在家信号場 P:高橋洋二
紀伊勝浦発名古屋行き「紀州4号」と紀伊勝浦発京都行き「くまの」が併結。堂々とした長大編成にて栃原駅を通過します。 '77.11 栃原 P:楢井勝行
鈴鹿川橋梁で参宮線伊勢市行き821列車を狙いました。早朝まだ薄暗い時間帯で、集煙装置がついていましたが、亀山を発車して豪快に鉄橋を渡るC57の迫力に興奮しました。 '72.1.30 亀山-下庄 P:村木勝義
この年は天理教の大祭が行われ、各地から長編成の臨時列車が多数運転された。客車はほとんど12系座席車だった。 '86.2.15 山城多賀ー玉水 P:田中敏一
どんな経緯で情報を得たか、忘れてしまいましたが、「JC赤トンボ号」という団臨です。少し厚化粧の鷹取式集煙・重油タンク付の三重連でした。 '71.9.26 郡山 P:須田 剛
急勾配の加太越えに備え猛然とダッシュして加太駅を通過する後補機付きのD51貨物列車。駅員がホーム通過を見守っていた。 '71.11.27 加太 P:中島正樹
天王寺駅阪和ホームに紀勢線直通客車を送り込む竜華区の58653です。地上の関西線から高架の阪和線への渡り線は超急勾配で86は釜も裂けんばかりのブラストを鳴らして押し上げてました。 '64.6 天王寺 P:飯田 勝
C50 115は小山からやってきた形式入りプレートの美しいカマだったが亀山での活躍はわずか半年あまりであった。伊勢市発亀山行824列車を推進で亀山客車区へ入れるところ。 '70.8.10 亀山 P:眞岡孝至
4号機が短い貨物を牽いてやってきた。川面に映った山の頂が切れているのに気付いたのは35年後だった。 '79.3.20 多気-徳和 P:野々村康久
826レタブレット交換。客車列車の蒸機牽引もうあとわずか。今日は四次型の198号機が来た。 '73.1.3 津 P:眞岡孝至
名古屋〜亀山間の客車列車はすべて名古屋機関区の赤ナンバーのC57が担当していました。この日、永和駅で上り224列車はシールドビーム補助灯付のC57 171でした。 '69.7.20 永和 P:村木勝義
山陰本線に向かう経由として関西本線を選択。夜行で着いたところ雨模様。駅近くで狙った荷物列車の牽引機はデフに「月に鹿」のD51 882だった。 '73.8.17 柘植 P:宮山幸雄
貨2268レ。遅くまで後部補機付き蒸機2台運転で残った貨物列車であったが、写真に残すことは少なかった。峠の加太側で撮ることが多く、勾配を下り込んでくる列車は見送るのが常だった。今思うと贅沢な選択だった。氷雨降る加太駅の出発、長い編成の最後尾で煙が上がる。 '73.1.15 加太 P:田中一弘
亀山機関区には2輌のC50が配属されていましたが構内やヤードで見かけるのはいつも154号機で、109号機は幻のカマと鉄友の間で言われていました。この日ようやく発見し記録できました。 '72.5.25 亀山 P:石地康司
貴生川駅0番ホームに信楽から到着した592レと乗務を終えた車掌さん。今日の荷物は信楽焼かな? '72.9.15 貴生川 P:石地康司
紀勢本線のDF50を撮影するためによく利用しました。来月当時の仲間たちと青春18切符で撮影旅を企画していますが、青春切符発売期間限定で924レ復活願いたいものです。 '79.3.16 P: 筒井敦己
めったに奈良線のC58は重連にはならなかったのだが、この日は臨時列車の回送があったのかC58 190と352の重連だった。蒸気終焉も近づきようやくC58にもカメラを向けるちびっこが増えてきたころだった。 '71.1.20 京都 P:溝川眞司
無煙化直前ともなると、あふれるファンで場所取りもひと苦労。柘植を出て峠へと驀進するD51をとらえた。 '73.9.23 柘植ー中在家(信) P:大森光祥
D51 940は赤ナンバーのD51として人気があった。この日は加太の大築堤を貨物の後補機として押し上げていった。 '72.2.15 加太-中在家(信) P:武者秀男
ズルツァーサウンドの二重奏。梅雨空の下で耳を傾けるのもまたよし。 '78.6 大内山-梅ヶ谷 P:藤田高士
高松港を出航する宇高連絡線。たった1時間の船旅ですが、このように別れを惜しむテープが投げられました。時間と心の距離は比例するものではないのかも知れません。 '81.8.27 高松 P: 住吉 誠
5月ともなると列車を待つのも苦にならない。強い日差しも木陰に入れば涼しくて、爽やかな風が気持ち良い。カメラを構えて待つ間、私の背後の山中で、鶯が綺麗な声で啼いていた。 '72.5.5 加太-関 P:田中一弘
こどもの日の鯉のぼり。最近はあまり見かけなくなりましたが、この家では今もあげているのでしょうか。 '80.5.5 伊勢柏崎 P: 筒井敦己
櫛田川の水面は水鏡となった。当時仲間と甲斐バンドを歌いながら列車を待っていた。 '79.3.20 多気-徳和 P: 野々村康久
岩代駅付近のS字カーブを行く貨物列車。レールの向こう側には美しい太平洋が広がっています。 '85.8.20 紀勢本線 岩代-切目 P:采女 誠
夕暮れ迫る栃原駅を通過する天王寺発名古屋行き「くろしお」。キロ2輌とキシを組み込んだ堂々の10輌編成、亜幹線のエースに相応しい貫禄だった。 '77.11 栃原 P: 楢井勝行
名古屋発天王寺行き"くろしお"が梅の花咲く栃原大カーブを通過する。腕木式信号機はなくなったが美しい山並みと茶畑は今も変わらない。 '78.3 栃原-川添 P:楢井勝行
初めての紀勢本線巡りで、まずは紀伊田辺機関区を訪問した。昼ののんびりした一時、構内には旅客用C58、C57と共に貨物用D60が見られ、入換えはC50が当たっていた。 '65.9.25 紀伊田辺 P:中島正樹
天王寺を発ち名古屋に向かう「くろしお」。紀伊半島を一周し栃原駅を通過する頃には日が傾き影が伸びていた。 '78.3 栃原-川添 P:楢井勝行
奈良機関区へ蒸気機関車を写しに行きました。助役室へ行って話をすると「住所と名前を書いといて」だけであとは自由に見学できました。 '61.12.3 奈良機関区 P:青山春樹
すでに廃線となっている和歌山線の支線、川端貨物線。夕日をバックにシルエットでとらえるのが定番だった。C11 324。 '71.12 大和二見ー川端 P:大森光祥
「SL伊賀路の旅」と銘打って運転されたイベント列車。ナメクジドームのD51 1が盛大な煙を上げファンサービスに努めていた。 '73.11.3 加茂 P:鈴木博之
78年3月、6輌製作されたキハ81のうち残っていた2輌が出会う場所が新宮であった。この日の運用は、「くろしお5号」にキハ81-3、「くろしお2号」にキハ81-5が入っていた。 '78.3.31 新宮 P:和田洋一
「あれっ!」煙室ハンドルがない! なんてご心配なく。お正月展示のために"お召"仕様に化粧直ししている最中で、この後"菊の御紋"をデザインしたハンドルに替えられました。12月31日撮影と記録していますが、果たしてそんな日に営業していたのか?ちょっと自信がないです。 '72.12 梅小路蒸気機関車館 P:髙橋 明
天王寺〜名古屋間を延々14時間かけて走破する普通列車924レが到着。新宮まで連結のB寝台車寝台券をマルス発券するために「南紀」という立派な列車名が冠せられていた。 '78.6 新鹿 P:藤田高士
電化前の海南駅、DF50の客レもまだ健在な頃、隣接する野上電鉄は日方という名前の駅だった。 '76.12 海南 P:服部基寛
栃原大カーブを走るDD51牽引のお座敷列車スロ81系。赤い機関車と緑帯の入った青い客車、この編成美には脱帽です。 '81.3 栃原-川添 P:楢井勝行
鉄研の木曽合宿前に名古屋駅に立ち寄り。天王寺からのキハ81「くろしお2号」が到着するところ。左側には中央西線客車列車用EF64が待機している。 '73.9.9 名古屋 P:宮山幸雄
永らく宮原で活躍したゴハチ139号機も、晩年は竜華区。ブタバナながら、原型小窓の好ましいスタイルで、阪和貨物を牽いていました。 '79.10.22 浅香-杉本町 P:中司純一
加太の築堤で貨物列車を撮影後、中在家信号場の発車シーンを撮るために約1000mのトンネルを小走りに駆け抜けました。交換列車通過後、荷物列車はスイッチバックの信号所を猛烈にダッシュして峠のトンネルに吸い込まれて行きました。 '73.4.2 中在家信号場 P:武者秀男
和歌山線の北宇智駅にはスイッチバックがあり、C11とC58の重連で登ってくる貨物列車は迫力満点だった。 '73.11 北宇智-吉野口 P:中川弘一
ディスカバー・ジャパン。国鉄と日立が協賛した「ポンパ号」が日本中を回った。C11 91とカラフルに色どられた5輌編成。車内には電気製品や日本再発見といたパノラマなどが展示されていた。 '71.3.11 吉野口-北宇智 P:當麻正巳
竜華区へ転属したEF60が登場間もない「みやび」を牽引。貴重な組み合わせとなりました。 '86.4.7 杉本町 P:小森克禎
「SL大和路号」のC56 160。いつの時代も蒸気機関車は人気者! '86.8.3 桜井 P:閑野雅幸
峠を越えるC58牽引の客レがあった、太陽が大きく傾く夕刻、満を持していざ出発。 '71.7.4 亀山 P:服部基寛
木津川に沿ったこの区間にはよく撮影に出かけたが光線状態が悪いのが玉にきず、川面を渡る風に秋の気配を感じた。 '73.9.15 笠置-大河原 P:服部基寛
栃原駅下りホームに停車中の客車の床下から暖房用蒸気が流れてきます。荷物車とナハフ10の窓明り、そして照らされたホーム。夜の幻想的な写真になりました。 '81.11 栃原 P:楢井勝行
DF50重連のセメント専用列車。機関士と機関助士が乗務し、かつ非総括制御。合わせて4名がこの列車を動かしている事実に、改めて驚く。 '78.6 九鬼 P:藤田高士
詳しいダイヤも分からず、やみくもにロケハン、遠くでホイッスルが、まさかと思って線路脇の畦へ駆け上りカメラを構えた。そこへやって来たのは、チップ専用のトラを連ねた貨物列車。ちょっと得した気分だった。 '81.11 吉野口-北宇智 P:芝地寛之
雨が降りそうな朝、島ヶ原を後にする上り貨物。上り勾配へ向かうダッシュの白煙とドレンの中に腕木信号機が浮かぶ。 264列車 機:D51 452
'72.1.15 島ヶ原 P:青木一郎
奈良機関区へ蒸気機関車を写しに行きました。助役室へ行って話をすると「住所と名前を書いといて」だけだあとは自由に見学できました。 '61.12.3 奈良機関区 P:青山春樹
紀勢本線ではEF58+旧客の普通列車が運転されておりました。狭い前端バリが特徴の39号機が来るので、つらら切り・正面窓下の手すり無しを強調するため、広角レンズで撮影をしました。 '84.3 田並-田子 P:采女 誠
竜華区のEF15とEF58の引退の日です。ヘッドライトが一灯に復元された66号機は美しく、大勢のファンから歓声があがりました。 '86.2.23 紀三井寺-黒江 P:采女 誠
夕方になると参宮線用の客車入換えのため、C50が活躍していた。ヤードや駅構内を動き回るマスコット的な存在だった。 '72.1.7 P:石地康司
就職を控え学生時代最後の思い出にと、電化され新たな職場を得たEF58を求め紀勢線へ出かけた。朝日を浴びて古座の鉄橋を行く通勤通学列車の美しさは、今でも忘れられない。 '81.3.10 古座-紀伊田原 P:佐々木裕治
終焉近いキハ81を姿勢正しく見送る駅員の姿が印象的。十数年後にキハ82を追って再訪した際は貨車を改造した無人駅舎。さて今は? もう二度と訪れることはないだろう。 '78.5.28 伊勢柏崎 P:八木雅弘
当時D51-906号機は奈良機関区に所属していた。デフに描かれたマークは多種あったが"ピースマーク"と呼称されて関西本線の名物機関車であった。デフの柄にも特徴があるD51を追いかけていた思い出がよみがえる一枚。 '73.5 柘植 P:原田敬司
鉄道と日常生活の間でほどよい距離が保てた時代でした。懐かしい思い出です。 '73.6 加太-中在家(信) P:原田敬司