祝D51 200復活。構内に待機する現役時代のD51 200。広い構内に電化工事の足音が忍び寄るが、まだまだ蒸機活躍の頃。 '68.3.16 中央本線 中津川機関区 P:青木一郎
中央本線の最近の記事
不具合も直り復活試運転も順調な200号機。集煙装置は外されてるみたいだけど中学生の頃に出会ったこの200号機にもう一度会いたいですね。 '71.11.2 中央西線 塩尻 P:川瀬 剛
スイッチバックを体験するイベント列車の先頭に立つEF15。雄大な橋梁に旧型電機はいささかミスマッチの感もあるが、引退を控えた晴れ姿である。 '83.6.26 中央本線 鳥沢―猿橋 P:松本 誠
こんなところになぜ・・・? 昭和47年の晩秋、田端のEB101がわが街の駅の側線に何日か留置されていた。後に府中市で保存するのための廃車回送と知ったが、情報不足の当時は理由がわからず、鉄道少年の記録欲だけで撮影した。冷え込んだ夜、本線上の後輩EF11と語り合っていたのはお互いのオールド・グッド・デイズか。 '72.11.26 中央本線 国分寺 P: 新井宏明
「あずさ」誕生日おめでとう! 1966年12月12日より50年間、ずぅ〜っと走り続けています。5代目に交代も間近ですが、始まりはこの181系「あずさ」でした。 中央本線 立川-国立 P:中安 輝
線路際に山積みされた木曽檜。この輸送を担うのはD51の貨物列車でした。後ろに連結された貨車には丸太が満載され、既に架線柱が立つ中D51が最後の活躍をしていました。 '72.11.2 中央西線 野尻 P:末近義治
この日は貨物専用機の15号機が、お座敷列車を牽引してくれた。 '86.3 中央本線 西国分寺-国分寺 P:采女 誠
D51最後の活躍をカメラに収めるべく出かけました。朝の静寂の中、冷気をついて、D51が元気よく鉄橋を渡って行きました。 '73.1.14 中央本線 落合川 P:村木勝義
晩秋の中央本線を行く165系「アルプス」。"クハ・クハ"や"サハシ・サロ・サロ"という全盛期の編成ですが、この時点でビュッフェは営業休止となっていました。 '78.12.3 中央本線 高尾 相模湖 P:矢島和明
架線が張られていない区間で撮影しようと思ったものの、雨は強いし結局どこも電化の工事で良い場所は見つからなかった。そんな中、力強いブラスト音と共に現れたのは篠ノ井線でお別れ列車を牽いたD51549号機だった。 '73.4.3 中央西線 南木曽-田立 P:古澤成博
春浅い日に中央西線のハイライト鳥居峠を訪れた。さすがの山男D51も、長大貨物列車を牽いての峠越えは厳しいのか、D51 245〔中〕は歩くようなスピードでゆっくりブラスト音を刻んでやって来た。 '73.4.3 中央西線 藪原-奈良井 P:古澤成博
かつて中山道の宿場町だった奈良井宿を背景に829列車を牽引するD51。電化目前、沿線に立ち並んだコンクリート支柱が、まるで蒸機たちの墓標のように見えた。 '71.2.22 中央本線 奈良井 P: 森瀬壽三
篠ノ井方面DD51重連貨物列車が発車を待っている間にも、駅構内の入換作業にC50 116が忙しく働いていた。 '70.7.30 中央本線 塩尻 '70.7.30 P:村木勝義
昭和62年3月のデビュー前、先に出場した3輌編成を使用して、関係者のみの試乗会が行われた。 '87.2 中央本線 高円寺駅 P:采女 誠
3か月後に電化を控え、嘗ての名所鳥居峠も架線が張られて撮影場所が限られていた。道路が近接する場所を見つけて重連貨物を待っていると、D51351[木]+D51265[中]がブラストも高らかにやって来た。 '73.4.3 中央西線 薮原〜奈良井 P:古澤成博
当時高校生、名古屋駅に振子特急「しなの」号試運転列車が入線さっそく撮影、それから13年後、専務車掌として名古屋〜長野間乗務することが出来感激ひとしおでした。 撮影日不明 中央西線 名古屋 P:尾崎芳雄
まだ新車の香りがするようなキハ181系特急「しなの」独特なエギゾーストが記憶に蘇る。 '70.5 中央本線 名古屋 P:服部基寛
甲斐路の力自慢のELたちが顔を揃えた。 '84.12 中央本線 甲府機関区 P:采女 誠
一度長玉で狙いたかった車内からの牽引機撮影だが、快速「木曽路号」運転最終日に想いが実現。初めて乗った12系客車の発電エンジンに違和感を感じつつ、惜別の思いを込めてシャッターを切り続けた。 D51 101 '73.5.5 中央本線 木曽福島-上松 P:新井宏明
昭和40年代初めの中央東線の電機はEF13、ED61、EF64が活躍していました。機関区を訪れると、その3機種が佇んでいましたが、箱型デッキ付きの旧型電機の魅力で、真っ先にEF13に近づき撮影していました。 '67.8.18 中央東線 甲府機関区 P:村木勝義
名古屋市内を北東に直進するDC「しなの」。金山を出てしばらくすると、中央本線は北東に直進します。キハ181系「しなの」はスピードを上げて邁進して行きました。 '73.5 中央本線 金山-鶴舞 P:須田 剛
落合川駅を発車した下り貨物はすぐに第一木曽川橋梁を渡る。ここから先は山深い木曽谷に分け入り趣深い風光となるが、蒸機には多くの難所が待ち構えている。 '65.3.7 中央西線 落合川-坂下 P:中島正樹
御代田町に保存が決まりピカピカに整備されたD51 787と現役で活躍中の煙室扉のサビが目立つD51 172がならぶ。 '71.4 中央西線 木曽福島機関区 P:眞岡孝至
7月に信越線黒姫でおきた土砂崩れのため信越線は不通になった。いつもはキハ58のフル編成で名古屋〜新潟間を運行する赤倉だが新ニイのキハ58が運用につけず急遽名古屋〜長野間の運転になりキハ58が足りない分を長ナノや名ミオのキハ55を組み入れた編成で運行することになった。木曽福島を出発する急行赤倉 キハ55 144(長ナノ) '76.8 木曽福島 P:眞岡孝至
切り出された檜が積まれた上松駅を発車。この日は早春の暖かい日差しの中で撮影出来ました。 '73.3.26 上松 P:石地康司
クモニ83形を先頭にした新宿行き普通列車が、初冬の中央本線を快走した。 '84.12.10 立川-国立 P:采女 誠
鷹取式集煙装置を装備した関西のカマを見慣れていた私ですが長工式を装備したD51はいかにも山線の雄の様な迫力を感じました。 '73.3.26 木曽福島 P: 石地康司
トタハチSカーブなどと呼ばれる有名撮影地になる以前、デビュー直後の115系300番代。今日は臨時急行「かいじ・かわぐち」号、3+2+3+3の10輌編成。 '75.3.23 八王子-豊田 P:高橋卓郎
朝の冷たい空気を震わせながら薮原駅を発車する。待ち構える勾配と闘う豪快なドラフトがしばらく続いていた。 3677列車 機:D51 793 '68.4.20 藪原 P:青木一郎
かいじ国体の時のお召列車のワンシーン。朝、原宿に向けて出発する前に牽引機のEF64 77の前で乗務員の点呼が行われ、張り詰めた雰囲気がこちらにも伝わってきました。 '86.10.11 大崎 P:中井光太郎
みどり湖経由のルートができる前、特急列車と交換する普通列車。スイッチバック式のこの信号場では客扱いもしていました。ホームが短いため、開かれたドアの下にホームがありません。古き良き時代です。 '80.10 東塩尻信号場 P:古村 誠
長年木曽福島で活躍したD51 787が御代田町に保存されることになり653レで木曽福島を去る。春の夕日をあびてピカピカに磨かれた姿が美しい。機関区職員やフアン十数名が見送った。 '71.4.19 木曽福島 P:眞岡孝至
川面を眺めながら待っていると、EF60牽引の貨物列車がやって来た。 '80.1.20 日野ー立川 P:采女 誠
力強いドラフトがここの擁壁で一段と大きく響いた。善知鳥峠への勾配に挑む。松本を6時に出、新宿には14時着。客車は8時間もの長旅。 426列車 機:D51 584 '64.3.18 塩尻-東塩尻 P:青木一郎
午前10時前、山間の駅で3輌のデゴイチが揃います。中央西線の一刻も早い復旧を願ってます。 '72.4.3 南木曽 P:中村 肇
未だ明けきらない塩尻の盆地の山裾を善知鳥峠を越えた列車が下り来る。まもなく塩尻駅。機:D51 708 '64.3.18 東塩尻-塩尻 P:青木一郎
中央西線の蒸気機関車お別れ列車9822レ(塩尻発木曽福島行)の出発に向けて塩尻でD51 775に最後の給油を行う乗務員。本線運転の最後の点検。 '73.8.26 塩尻 P:眞岡孝至
6月に電化され本線のD51がなくなっても木曽福島と上松の貨物入れ替えにC12が使われた。上松へ向かうデフ付のC12 199の単回1682レを中平信号場で写した。 '73.8 中平信号場 P:眞岡孝至
添乗させてもらった654レ、D51 125の上松発車、乗務員さんありがとう。 '71.6.13 上松 P:眞岡孝至
中央西線撮影に夜行DC急行「赤倉」を利用した。未明の木曽福島で降車、下り始発を待つ間、上り始発822列車牽引のD51 245を氷雨のなか長時間露光で撮ってみた。 '71.2.22 木曽福島 P:森瀬壽三
中央線101系晩年の姿。特快は103系と101系冷改車の運用になっていたが、快速運用にはオリジナル3+7の10輌編成がまだまだ活躍していた。 '80.9.21 八王子-豊田 P:高橋卓郎
1月、2月の週末は高尾臨がターゲットだった。夕方、上り列車は下り線で「あずさ」の通過を待って初詣の団体を乗せて発車。 '80.1.31 高尾 P:高橋卓郎
電化より一足さきに旅客列車がディーゼルで無煙化されてゆくなか、D51牽引の832列車は被写体として貴重な存在だった。この日のように回送の前補機が付くこともあった。 '70.8.13 南木曽 P: 森瀬壽三
国立の鉄道研究所は「鉄道記念日」(当時)の前後に一般に公開されていろいろな研究施設を見ることができ,この年はリニアモーター化の試験走行が初めて公開された。あれから40年,やっと実用化に向けて本格的に動き出した。 '73.10.13 日本国有鉄道 鉄道研究所 P:中安 輝
明け方の電車区で憩う山スカ、181系、山ゲタ、165系の面々、いずれも懐かしの車輌たちです。 '72年頃 三鷹電車区 P:古村 誠
山岳地帯を越え、小仏トンネルを抜けてようやく裏高尾の下り勾配へさしかかった上りED61重連貨物。今は周囲の環境も牽引機もすっかり変わってしまった。 '64.8.30 高尾-小仏(信) P:中島正樹
朝の冷たい空気を震わせながら薮原駅を発車する。待ち構える勾配と闘う豪快なドラフトがしばらく続いていた。3677列車 機:D51 793 '68.4.20 藪原 P:青木一郎
秋晴れの日差しをいっぱいに浴びて下り貨物列車が登ってきた。間もなく上松、D51の煙も快調のようだ。 '66.10.29 上松-倉本 P:中島正樹
上松駅構内で木曽福島区のC12が入換作業後休息をとっていた。機関士さんに声をかけると気さくな方で、後日機関区にこの日の写真を持参して歓談した。C12 171は下諏訪の公園で保存。 '71.7.31 上松 P: 森瀬壽三
5月13日付の「編集長敬白の喜多方、1971年5月16日」に写っていたD51 238の中津川機関区時代です。電化前で今思えばパラダイスでした。 '73.3.25 中津川機関区 P:尾崎芳雄
富士山が描かれたヘッドマークを掲げ、春の甲州路を行く「飯田町駅開業90周年記念号」。写真のEF15 198は韮崎中央公園で保存されています。 '85.4.7 山梨市-東山梨 P: 采女 誠
この翌年の秋にサシが外されてから「あずさ」の写真は極端に少なくなりました。 '72.4.1 立川-日野 P: 中安 輝
翌年には全線電化を控えており、この付近は別線化のため電化工事には無関係。そうは言っても意外に電線が気になった。 '72.8.13 田立 P:宮山幸雄
この頃学生だった私は、毎年のように長期休みになると「信州周遊券」を使いこの425列車で、旧型国電の走る飯田線、大糸線へ撮影に出かけた。この時はデンスケ(ステレオ録音機)も同伴し旧型客車の走行音も取った。今でもこの音を聞くと当時の様子が思い出される。 '74.3 新宿 P:田中健吉
塩尻駅近くだが広々とした畑の中、松本発名古屋行きが通過する。松本から名古屋方面へのスルー配線になる(1982年)はるか前。松本から名古屋まで各停で6時間近くもかかっていた頃。ナンバーは色つきのためか読み取れず。 830列車 機:D51 '68.4.20 塩尻-洗馬 P:青木一郎
迫力の急行貨物。まだ電化工事が進捗していない区間で、D51重連の急行貨物列車を待った。15分位だったか遅れて現れた列車は、C62重連を彷彿とさせる音とスピードでやって来た。 '72.3.25 洗馬-日出塩 P:古澤成博
この年の7月電化前に最後の勇姿を記録しようと訪れました。木曽谷の朝は凍てるほど寒く、7時頃にようやく冬枯れした山肌に日が差してきました。 '73.3.26 宮ノ越-薮原 P:石地康司
中央本線で活躍したクモニ83。さよなら運転は165系の前後に2輌ずつ、計4輌が連結された。 ''85.10.10 笹子-初狩 P:采女 誠
当時、周りの友達はみんな、東海道のゴハチに夢中でした。僕だけは、201系の試作車を追い掛けておりました。 '83.1 西八王子-八王子 P: 野地 洋
南木曽-田立間は一部新線に切り替わるため、下線ポールのない写真を撮ることが出来た。この区間のハイライトのトラス橋をD51が轟音と共に通過して行った。 '73.3.29 南木曽 P:千葉武男
長野発篠ノ井・中央・小海・信越線経由長野行き循環急行704D「すわ」は、オールキハ58の非冷房3輌編成であった。反対回りの循環急行も存在し、「のべやま」と名乗っていたが、50・3改正で全廃された。 '71.8.3 上諏訪 P:石原裕紀
立川機関区のEF15を使用して中央線の初狩駅のスイッチバックを体験する企画があり、猿橋駅で撮影会が開催されました。写真は「あずさ」を待避しているところです。なお同駅では115系の普通列車にも抜かれておりずいぶんのんびりした旅でした。 '83.6.26 猿橋 P:鈴木岳人
今でこそ違和感はないが、誕生当時は地名の愛称が特急らしくない、といわれていた中央線のクイーン「あずさ」。でも編成はグリーン車2輌と食堂車も組み込まれ、急行「アルプス」に対してしっかり"特別急行"であった。 '72.4.29 立川-日野 P:中安 響
電化開業を目前にした中央西線北部を訪ねた。難所だった鳥居峠越えの旧線はすでに改良された新線になっており、この日は蒸機時代の最後を飾るかのようにD51牽引の新製381系甲種輸送列車が通過して行った。 9825レ '73.5.19 薮原-奈良井 P:中島正樹
当時から線路に接近してのお召列車の撮影はまず無理でした。土砂降りの中、撮影場所に困り、ダメ元でこの地を選びました。巡回中の年輩の警察官が優しく、無事撮影できました。 '86.10.11 高尾-相模湖 P:鈴木敏行
高尾駅を発車した下り列車はやがて山岳地帯に分け入る。小仏峠を越える旧甲州街道に沿った線路はここで長い小仏トンネルを抜ける。この年までトンネルの手前には列車交換のため、小さなホームの小仏信号場が設けられていた。 '64.5.2 小仏信号場 P:中島正樹
お召列車運転日は雨の日が多く、山梨県で開催されたかいじ国体への行幸もまた雨。しかし、晴れていれば光線状態が悪くて撮れなかったであろう笹子峠への登り区間、しっとりとして威厳のあるEF64を見ることが出来た。 '86.10.11 初狩-笹子 P:中島正樹
東側に中央アルプスを控えた須原駅構内。しばらく停車していたD51牽引の下り貨物列車は上り貨物の通過を見送るとようやく発車。後部補機のD51も煙で存在感を表している。 '66.10.29 須原 P:中島正樹
期末試験が終わり、新幹線博多開業ダイヤ改正で変わる列車を東京周辺を主に撮影したときのもの。EF13貨物列車と101系特快をうまく並べることができた。 '75.2.15 中野-高円寺 P:宮山幸雄
3か月後に電化を控えた中央西線の夕間暮れ。デゴイチの発車を待っていると、特急「しなの」と木曽福島名物デフ付きC12 199が運良く並んでくれた。 '73.4.2 木曽福島 P:古澤成博
昭和50年3月改正で東京近郊から消えたものの1つに中央線の客車列車がある。新宿発12時08分の423列車、一つ山越し、二つ山越し松本めざす。最後部にはマニ60が1輌。 '75.1.26 高円寺 P:井芝七路
カメラをぶら下げ駅にやってくると前方に煙を発見!駅沿いに走ると貨物の先頭にはD51200号機が。空高く立ち上る一筋の黒煙がとても印象的でした。この機が梅小路機関車間に保存されたのを知ったのはずっと後になってからでした。 '71.7 坂下 P:森 潤宏
武蔵境駅を通過するEF60牽引の貨物列車。当時の中央線は東小金井駅や飯田町駅など八王子駅よりも東側の駅でも貨物営業を行っていました。 '81.11 武蔵境 P:鈴木岳人
森林鉄道フェスティバルの帰り道、線路の跡はすっかりきれいな舗装道路になっておりその変貌ぶりに時代の流れを感じた。上松から鬼渕鉄橋を渡った先に小さなヤードがあった、林鉄車輌のはるか先を381系「しなの」が行く。 '74.11.6 上松 P:服部基寛
高校3年のとき修学旅行のためカラーフィルムを購入。2枚ぐらい残っていたので、中央線を撮るために世田谷の自宅から自転車で出かけた。多分荻窪あたりだと思うが、甲府行き普通電車や「アルプス」など撮影した。 すれ違いのDCはキハ58でまだ冷房もついていない。複線高架になってないときの中央線。柵もなく、のどかな風景だった。 '66.3 荻窪付近 P:志井純一