昭和60年代に入ってもこの区間には貨物列車が設定されていました。セメント、米軍燃料輸送の他にこのようなトキやワムを連ねた短編成列車もありました。積み荷は何だったのでしょうか。 '85.7 相模線 香川―寒川 P:米山浩司
相模線の最近の記事
この頃の寒川駅下り通過列車は、これ一本のみ。通過信号機も通票授受器もなし。通過手信号(緑色旗) を職員がだし通票を受け、その先の助役が次区間の通票を掲げています。逆行C11の懐かしい写真です。 261列車 1960.1.2 相模線 寒川 P:髙澤一昭
C11が牽く成田山初詣団体臨が到着する。平時、ここでは列車交換のみだが、本日はこの列車への乗車客姿が見える。相武台下発成田行9924列車 C11 326 '66.1.16 相模線 厚木 P:青木一郎
1979年10月東海道貨物線、線増工事のため国鉄、相鉄の連絡駅が保土ヶ谷から厚木に変更になって、相模大塚着のタキ、相鉄厚木着のホキが7+9の16輌編成で、相模線を行き来するようになりました。今日、ホキはお休み。 '84.1.20 DE10 529 相模線 寒川 P:髙澤一昭
ツアーによる臨時列車です。機関車が10月15日稲沢1区から田端へ配転されたので、旅客列車(14系6両)を牽くのは初めてかと思われます。機関車を含む全車輛が冷房車でした。 9733レ 1986.11.19 相模線 北茅ヶ崎 P:髙澤一昭
西寒川支線が廃線となる1年3か月前の分かれ道。支線の0.5キロポストと光るレールが、朝1往復、夕方3往復の証しです。本線を行くのはキハ30、3輌編成。 '82.12.18 相模線 寒川ー西寒川 P:髙澤一昭
国鉄最終日も近い3月21日に海老名駅開業。まさに駆け込み状態。この頃は相模色への塗り替えも途中だったが式典のために3連で揃った姿を見せた。先頭はキハ30 100。 '87.3.21 海老名 P:名取信一
相模線ホームに見慣れない姿を見つけて撮りに行きました。当時はまだキハ35の配置はなく、このまま配置になったらなぁ!と思いましたが、結局は借り入れに終わりました。 '75.3.2 茅ヶ崎 P: 名取信一
初めて乗る相模線を茅ヶ崎駅の低いホームで待っていると、10系と30系気動車2輌の橋本行き列車がやってきた。古いクロスシートに身を委ね、ちょっとした旅行気分であった。 '79.12 相模線 茅ヶ崎 P:関 周一
普段は入換えと相模線貨物のC11だがこの時は客車を牽引しての晴れ舞台。広角の8ミリ回す友人が写り込んでしまった。相武台下発成田行 9924列車 機:C11 326 P:青木一郎
初詣用の団臨運転のため蒸機による久々の旅客運転。枕木に霜が降りている寒い朝、一番列車で駆けつけた思い出。構内左端には脱線モデルに使われた客車が留置中。 相武台下発成田行 9924列車 機:C11 326 '66.1.16 P:青木一郎
昔の相模線は非電化でした。畑の真ん中にぽつんとある入谷駅のどかな風景でした。 '74.6.9 入谷-相武台下 P:水島 貴
八王子-橋本-茅ヶ崎間で運転された、キハ35系 「かっぱ号」 です。大型のヘッドマークを前後に付けて、夏休み期間中の日曜日などに一往復、走りました。写真は夕方、八王子に帰って来た列車です。 '86.8 片倉-八王子 P:采女 誠
線路は柵もんなく、併用軌道みたいに道と完全に一体化していた。そんな中、茅ヶ崎発の3輌編成キハ10が入ってくる。 '70.5 寒川-西寒川 P:志井純一