私は当時大学生でした。鉄研を立ち上げ部室には今でいう掲示板を設置しました。京都から通学する後輩から、朝の臨時でゴハチ61が下ったことを聞いて、大阪駅に張り込みした時の写真です。誰もいない大阪駅のホームでSGのスチームを立ち昇らせる61をゆっくり撮影できたのは、蒸気機関車の安全弁のようで夢のような時間でした。 '82.12.11 東海道本線 大阪 P:綿崎真澄
東海道本線の最近の記事
JRが発足した30年前の光景。手押し入換えをみたのはこれが最初で最後でした。動き出すまではそれほど苦労しないけど停めるのが大変なんですよね。 '87.8 美濃赤坂 P:米山浩司
鉄道100年記念で運転されたC57 7。どこ行っても人人人でした! '72.10.14 東海道本線 大森ー大井町 P:川瀬 剛
憲法記念日と子供の日の間の5月4日は、今のように連休とはならず平日でした。学校は通常どおりでしたが、会社関係は連休としたところが多く通勤通学は楽でした。 101T第1こだまクロ151-2 、横須賀線上りクモハ53006 '1961.5.4(木) 東海道本線 横浜 P:高澤一昭
乙津川橋梁を通過する上り貨物列車。牽引機はドームの形状からD51 1032号機と推定できる。 '72.11 日豊本線 鶴崎−高城 P:芝田英征
地元にある跨線橋でいつも手軽に撮影をしていたあの頃、今日のお目当ては臨時「踊り子」。やって来たのは東京機関区EF58の若番グループ14号機、この列車はロクイチに注目が集まりますが、青ゴハチも負けずにヘッドマークが似合います。隣の京浜東北の乗務員も思わず注目してしまう、そんな魅力のある最後の"ゴハチ特急"でした。 '84.7 東海道本線 東神奈川−横浜 P:山本真士
ゴハチ最後の現役機であり博物館入りした"イゴナナ"。当時は浜松区の地味な存在でした。 東海道本線 芦屋−西ノ宮 P:倉田秀夫
「海底トンネル号」が走るということで大船に行った。柵の間からなんとかカメラを出し構えていたら「EF66」が牽引する客車列車。かっこいいなぁ!とシャッターを押しました。 '84.8.22 東海道本線 大船 P:藤村巌雄
斬新な色で登場した185系は「踊り子」運転開始まで暫定的に急行「伊豆」に使用され、153系との併結運転も見られた。 '81.6 東海道本線 横浜-戸塚 P:采女 誠
貨物用機関車ばかりの地味な機関区でしたが、EF60やEH10などが絶えず出入りしていました。旗を振る入換手がかっこよく、夢中でシャッターを切った覚えがあります。グロベンの111系も懐かしい、昭和時代の東海道日常風景です。 '70 沼津機関区 P:山下 誠
大阪行きの下り急行103M「いこま」です。今のように線路にフェンスなどなく、思うがままの写真が撮れました。自動車は、軽のマツダクーペで、これも懐かしいですね。 153系12輌 東海道本線 大船ー藤沢 '65.5.11 P:高澤 一昭
東急車輛で落成した117系100番代が公式試運転で品川に入線。品川駅ではサービスで「新快速」の幕が表示された。品川で117系を見ることができたのは、これが最初で最後となるだろう。 '86.9.5 東海道本線 品川 P:伊藤真悟
荷物列車の牽引機がEF62に置き換えられてから約1年、既に高屋根の郵便車など消滅していると思っていたので、隣のホームに停まっていた同車を目撃してびっくり!後で調べて、これが、1973年に1両だけ製造されたスユ152001と分かった。同車を見たのはこれが最初で最後であった。 '85.3.28 東海道本線 豊橋 P:小林大士
「なにわ」は東京〜大阪間最後の定期急行電車で、1968年9月に運行を終わった。普通車に空調が、ありませんでした。ゴールデンウィーク中なのに真鶴道路は車が少なく、隔世の感がある。 '66.5.4 103M 「第2なにわ」 東海道本線 根府川 P:髙澤一昭
大船名物は観音様だが年配のファンは下り発車しスカ線をくぐったところのスカ貨物線を横断するダイアモンドクロスの通過音を思い出すことと思います。趣味誌の紀行文によく載っていました。スカ貨物は旅客上り、旅客下り、大船電車区入出区線の3つのクロスを渡っていました。昭和40年代後半に消滅しました。'69.3.25 東海道本線 大船 P:髙澤一昭
浜名湖弁天島3番鉄橋を渡る下り普通列車の80系電車です。車輌は変わっても、今でも同じ風景で写真が撮れるところです。 '69.4.24 東海道本線 弁天島 P:村木勝義
この頃の111系15輌編成は、153系とともに旅客列車最長を誇った。が、のち急行東海に併結のごてんば号が167系4輌に変更。16輌となり、その座をゆずりました。 '70.2.1 東海道本線 茅ヶ崎ー平塚 P:髙澤一昭
キネマ旬報社の『蒸気機関車』誌で「キャブのバラード」というキャブ内の乗務員を特集した記事があり、同じ様なアングルで追いかけた時期の一枚です。 '71.4.25 梅小路機関区 P:石地康司
臨急「銀河52号」が朝日を浴びて東海道を上って来ます。定期仕業を持たない東京区ゴハチの晴れ姿、この日8116レの先頭に立ったのは可動式スノープラウ装備の124号機でした。 東海道本線 三島ー函南 '82.10.10 P:幾代 裕
浜松駅がまだ高架になる前、浜松機関区も西浜松へ移転する前の区内の様子です。浜松区所属のEF60 514が、出庫前の点検を受けています。 '69.7.14 浜松機関区 P:村木勝義
山陽新幹線岡山開業前まで名古屋と熊本を結ぶ581系「つばめ」が運転されていた、名古屋を9時15分に出て終点熊本には21時36分着というロングライナーだった。背後に見える中央線用のスカ色70系も懐かしい。 '70.5 東海道本線 名古屋 P:服部基寛
東京駅13番線、19時発のやや古びたブルートレインが少しの衝撃とともにゆっくりと停まった。それを待ちかねたように重い荷物とそれぞれの想いを持った乗客たちが乗りこんでいく。 77.5.21 東京 P:森田 宏
中学生の春休み、初めての2泊3日の関西旅行の締めくくりで立ち寄った大垣電車区。153系と並んで樽見線の10系気動車、C11が休んでいた。 '71.3.28 大垣電車区 P:牧 光一
名古屋駅にて発車を待つ60号機。冬季の為SG蒸気も噴出し、減光した前照灯とあいまって、風格がありました。 '72 東海道本線 名古屋 P:須田 剛
稲沢のD51 903が客車を牽いて米原まで往復した芋掘り列車の名古屋駅出発式、天下の東海道本線をD51が堂々と走った時代だった。 '70.9東海道本線 名古屋 P:服部基寛
EF58を追って東海道・山陽・紀勢線を巡り歩いた撮影旅行。合間にやって来る貨物列車や各停には、あまりカメラを向けなかった。しかし、斜光線が気に入って、思わずシャッターを切った。 '83.12.20 東海道本線 菊川-金谷 P:松本 誠
EF58 13牽引の「あかつき6号」の回送列車。ご存じ山崎-神足の阪急との並走区間。戦前C51・C53と新京阪P-6がデッドヒートを繰り広げた鉄路の古戦場を疾走しています。EF58 13は正面窓手すり、側面ハシゴの欠き取りのない美しい姿。 '75.2.9 東海道本線 山崎-神足 P:山下修司
ロイヤルエンジンEF58 61牽引で運転された「栄光の特急つばめ」。白地のヘッドマークがマルーンの車体に映える。天候にも恵まれ沿線各地でつばめフィーバーが起こった。 '81.7.26 東海道本線 新大阪 P:鈴木博之
この日の臨時特急「踊り子51号」はスノープラウ装備のEF58 124との事で、望遠レンズで狙った。しかしヘッドマークが付いていなかった。 '83.4 東海道本線 川崎〜横浜(新子安) P:采女 誠
兄に大阪駅へ連れて行ってもらった折、不定期のさくらが停車していた。EF58 62に付けられたヘッドマークを二眼レフのファインダーを通して眺めていたのを思い出した。 これが唯一の写真となった。 1958年頃 東海道本線 大阪駅 P:小西 明
東海道本線の臨時列車「銀河53号」は牽引機に東京機関区の釜が担当するので楽しみにして出かけました。この日は、お召指定機のEF58 61号機が秀麗な伊吹山をバックに輝いて東上しました。 '84.11.3 東海道本線 近江長岡-柏原 P:中川弘一
ロイヤルエンジンのEF58 61が「つばめ」のヘッドマークを掲げて、威風堂々と安土の大カーブにさしかかりました。 '83.3 東海道本線 安土-能登川 P:中川弘一
山陽方面年末・年始臨時列車増発で向日町運転所の留置線に余裕がなく野洲電車区まで回送されてました。途中の京都駅では普段見られない列車が撮影できました。 '72.1.3 東海道本線 京都 P:石地康司
寝台特急「つるぎ」の最後尾ナハネフ22。この20系客車、1976年には急行「銀河」での格下げ使用が開始され、特急専用ではなくなってしまったが、独特の気品と気高さは、最後まで我々ファンのあこがれの的であった。 '75.7.12 新大阪 P:森田 宏
8月末でなくなる「梅小路」の名称。小学生のときから見学に行き、中学生から山陰本線への撮影出撃時は必ず左側ボックスで残っているカマの機番をチェックしてその日の運用を予想していました。 '66.10.9 梅小路機関区 P:石地康司
「おおとり」名は北海道特急の印象が強いが、新幹線開業前には東京、名古屋間を往き来していた。優等列車、長距離列車が次々に通る、華やかなりし頃。 '64.8 東海道本線 小田原 P:青木一郎
EF58が牽引する臨時の「踊り子」号ですが、当時は60、61号機でもない限り、撮影するファンはほとんどいませんでした。 '83.12.31 東海道本線 品川-川崎(大井町-大森) P:宮城浩志
鉄研の大井工場見学で検査終了後の151系試運転車に添乗する機会があった。折り返しの茅ヶ崎構内では電車を降りた関係者のきびきびした点検・確認作業が印象的であった。 東海道本線 茅ヶ崎 P:中島正樹
雪が舞う米原構内で3種の機関車が肩を寄せ合っていました。交直両用電機ED30は影が薄かったですが、D50は北陸向け貨物を牽引して元気に活躍していました。 '65.3.10 東海道本線 米原 P:飯田 勝
上りブルトレのラストランナー「さくら」がEF65P牽引でやってきた。すると並走する貨物線にEF66牽引の貨物列車の姿が見えた。両雄はそのまま並んで目の前を通過していった。 '71.10.17 東海道本線 戸塚 P:内田博行
中学3年の夏休み、友人に誘われて田町電車区の見学会へ行きました。当時は旧型車ばかり興味が向いていた自分ですが、間近に見たクロ157にはとても感激しました。 '77.8 田町電車区 P:名取信一
早朝の国府津駅。構内にひしめき合う貨車の群れ。貨車による貨物輸送が華やかなりし頃。カマは松田駅での入換のために機関区を出て行くC11 326。 '67.6.30 国府津 P:青木一郎
大阪駅を発着する蒸機列車もあとわずか、街中を行く蒸機を撮影するため駅前の陸橋に向かった。今は無くなったバックの大鉄局もなつかしい。739レ '68.3.10 大阪 P: 田中敏一
大阪駅へラストスパートの「日本海」と向日町へ回送される「彗星」のすれ違い。 '74.5.19 高槻ー摂津富田 P:清水裕彦
当時シルエットに凝っていた私が何度か通ってようやく撮影できたEF58+20系時代の急行「銀河」です。このあと続々とブルトレが上っていく、そんな時代でした。 '78.11.20 真鶴-根府川 P:石毛英一
何度も何度も汽笛を鳴らしゆっくり近づくC57 7の鉄道100年記念列車、ネガを見ると手巻きながらワインダーで連写したように写っていてそのスピードがうかがい知れます。 '72.10.15 蒲田-川崎 P: 寶柳仁志
ヒサシのない、美しい66が快走して行きました。当時、定期かどうか分かりませんが、機関助士も乗務しています。 '75.2 笠寺 P:須田 剛
1980年当時の東海道本線といえば貨物列車の通り道。なかでも、EH10が低いモーター音を唸らせながら、低速の重厚な走りは頼もしいものがありました。 '80 名古屋 P:山下 誠
マンモス電機、晩年の姿です。その後JR時代になって再びEHを名乗る機関車が現れるとは思いませんでした。 '76.9.4 高槻-摂津富田 P:石毛英一
分割民営化になって1年半が過ぎた。この日オリエント急行の客車が走ると情報を得ていた。初めて目にする客車にわくわくした。 '88.12.8 摂津本山-住吉 P:小西 明
楽しい旅を終えたイベント列車が、夕暮れの品川駅に帰ってきた。 '85.1.15 品川 P: 采女 誠
今になってつくづく思うのは、機関車だけでなく当時の様子がわかる写真を残しておけばよかったとの思いである。そんな中で見つけた一枚。現在との対比で古いネガを見ていると、のんびりとした時代がよみがえってくる。 1958.4 芦屋付近 P:小西 明
ボギー車と連接車の比較試験で国鉄は小田急からLSE車7000形を借り受け、東海道本線で走行試験を行った。国鉄線での走行はSE車以来で沿線はファンで大賑わいだった。 '82.12.11 根府川-真鶴 P:中島正樹
正月で貨物列車が運休のため、留置線に勢揃いしたEH10群。EF15や若番のEF65なども見える。 '79.1 吹田第二機関区 P:清原正明
亀山区のDF50廃車回送を手原ー草津ー京都の順に追いかけて最後は山崎で撮影しました。三十数年経って山崎を訪れましたが、沿線の変わり様に驚きました。 '80.4.27 山崎 P:筒井敦己
かつて東海道本線の一部だった御殿場線。ローカル線になっても本線を脇目に大型機D52で国府津を発車するシーンは昔の情景を彷彿とさせる。 '64.9.6 国府津 P:中島正樹
EF10やEF15を見慣れた中で2軸ボギー、3台車の機関車は斬新に思えた。新製間もないピカピカのロクマルが長々と貨車を牽き、東海道を下る。 機:EF60 71 辻堂-茅ヶ崎 P:青木一郎
沼津駅構内では貨物列車の入換え作業にC50 149が使われていて、一番北側にある御殿場線ホームからは作業の一部始終を見ることができた。 '68.3.20 沼津 P:鈴木博之
根府川で日の出の時刻に写真を撮るために,最寄り駅の立川を3:47発の長野発新宿行426レ夜行列車に乗り東京5:19発の東海道始発で行った記憶がある。当時は当たり前のように夜行列車が走っていたが今なら乗用車で行くのだろう。 '73.1.21 根府川-真鶴 P:中安 輝
日本で一番長いホーム京都駅1番ホームに少し軽めの荷物列車がやってきました。お召列車を牽くこともなくなって肩の荷もかるくなった。 '85.6.15 京都 P:溝川眞司
駅撮りをするための時刻表代わりに撮影した一コマ。列車名を見るだけで今でもワクワクします。 '81.9.14 大阪 P:平井ヨシフミ
EF64 1と離合する1列車。名古屋駅で中央西線急客の牽引待機をする64トップナンバーの横を、1列車が入線。ホームも客で賑わっており、心なしか皆列車の方を見ていて、時代を感じさせます。 '71.10 名古屋 P:須田 剛
お召専用機EF58 61が荷物列車として大阪駅に進入しました。関西地方では、臨時急行銀河、東サロでたまにお目にかかりますが、東京機関区担当の荷物列車として姿を見せてくれました。 '82.12 大阪 P:中川弘一
新幹線開業前のにぎやかな東海道本線。準急といえどもヘッドマークをかざして颯爽と通過して行った。 東京発名古屋行307M「東海4号」 '64.2.29 辻堂〜茅ヶ崎 P:青木一郎
14歳にして生まれて初めてお目にかかった寝台特急はこの「さくら」でした。喜びと興奮のあまり無我夢中でシャッターを切りました。 '83.7.28 P:熊谷孝志
いつもはEF60かEF65の牽引だったク5000編成のオートエクスプレス。この日は珍しくゴハチだった。 '70.11.21 豊橋 P:朝倉淳一
宮原区のEF58の引退を記念して、彦根まで運転された撮影会号。お召機のように美しく整備されたイゴマルの姿に、集まった多くのファンから歓声があがった。 安土-能登川 '85.3.24 P:采女 誠
入換作業を終えた8620がのんびり憩う品川機関区構内の昼下がり。機関区は新幹線の品川駅建設や東口周辺再開発ですっかり飲み込まれてしまった。 '57.11.23 品川機関区 P:中島正樹
タンク車、家畜車、有蓋車、無蓋車。さまざまな用途の貨車を引き連れた長い編成も新鋭ロクマルは軽い音で引き連れて行く。 機:EF60 71 辻堂-茅ヶ崎 P:青木一郎
本命はもちろんEF58重連の荷35列車。その前のリハーサルに格好の列車が157系特急「あまぎ」だった。今思えばなんとも贅沢な「ついで撮り」である。 '75.8 品川-大崎 P:藤田高士
日暮れになると巣に戻る鳥のように、戸塚駅での入換え作業を終えた夕方、広い複々線の中を一人ポツンと棲家の茅ヶ崎に戻る。 4575列車 機:C11 304 '65.6 辻堂-茅ヶ崎 P:青木一郎
友人に誘われ初めて撮影に行った時の一コマ。ここから自分の鉄道写真人生(?)が始まりました。 '75.3.2 大阪 P:平井ヨシフミ
紙輸送でしょうか。電気機関車に続き、2軸貨車独特の走行音が新緑の木々を揺らしました。 '86.5.20 根府川-真鶴 P:采女 誠
EF62へ置き換え前の最後の姿です。SGを上げて出発までの姿は、今でも目に焼きついます。荷37レ '84.3.26 汐留 P:小笠原尚俊
いつもプリントをお願いしていたカメラ屋さんが教えてくれたので、C57 5と39の重連に牽かれた臨時列車を撮ることができました。運転区間は京都から姫路までです。 '71.6 京都 P:溝川眞司
新調されたヘッドマークを掲げて、寝台特急が東京を目指します。 '84.2 三島-函南 P: 采女 誠
高校1年の夏休み、友人と関西に行きました。初めて乗った、新鋭「117系新快速」の車内にあった、天王寺鉄道管理局の"国鉄電車ご案内"です。 '80.8.3 新快速車内 P:小林慎治
国鉄自慢の動くホテルと呼ばれた20系「あさかぜ」編成客車。営業運転に先立ち東京駅で一般公開された。当日は平日だったため、見学者に学生の姿は見られず、自分も写真は兄に頼んだ。 '58.9.5 東京 P: 中島正樹
雪晴れの京都駅に、車体を凍てつかせて変則窓の36号機が蒸気機関車もびっくりするくらいのSGを吹上げやってきました。 '84.1 京都 P: 溝川眞司
電車急行として初めて東京-大阪間を直通した「せっつ」の夜行版「第2せっつ」、この撮影4日後の東海道新幹線開業により、他の特急・急行列車と共に廃止となった。 '64.9.27 大船-横浜 P:長谷川武利
高校の鉄研メンバーが集って放課後見学に伺った。突然の訪問にもかかわらず、職員さんは快く対応してくださった。それまで見向きもしなかったDD13に、以来急に親しみを覚えた。 '74.6.12 品川機関区 P :井芝七路
蒸気溜め、砂溜めが角ばっているためか意外に大きく見え、一見ヤワなようなC11にも闘魂が感じられる。水と石炭を積み込み出区する。 '67.6.30 国府津機関区 P:青木一郎
昭和36年10月1日のダイヤ改正の当日京都駅で撮影。キハ55系の準急「鳥羽・勝浦」東海道線、草津線、紀勢線と走ってました。 '61.10.1 P:青山春樹
日本最古の鉄道トンネル「清水谷戸トンネル」へ進入する、上り特急「あまぎ」号です。 '81.7.31 戸塚-横浜 P:采女 誠
国府津でのD52撮影から足を伸ばして茅ヶ崎へ。お目当ての珍機、米軍お下がりのDD12をGETしました。このあとすぐに、ありきたりのDD13に変ったと聞いています。そのDD13でさえ、いまや懐かしいですが...。 '67年頃 茅ヶ崎 P:山下 誠
急行「伊豆」を撮影にき来たが、153系ではなく新型の185系だった。今となっては貴重な1シーンとなった。 '81.7.26 新子安 P:藤村巌雄
夕方の陽を受けながら長い編成の貨物が通過する。線路端へ行けば次々に貨物を写せた頃。 機:EF60 94 '65.7.4 辻堂-茅ヶ崎 P:青木一郎
朝から構内で撮影したり、8620形の入換え作業を見ていた。そろそろ下り「かもめ」の来るころと思い、待っているとその前にC59 179〔姫二〕に牽かれた「さつま」やってきた。 '58.3 東灘構内 P:小西 明
京都駅山陰ホームは、まるで時空のエアポケットのように別世界を形成していて、眺めていて飽きませんでしたた。夕方には結構な頻度で旧客列車が来ていました。人々の表情に、一日の安堵がみえます。京都市電がメインでしたが、今となっては貴重なカットになりました。 '77 P:山下 誠
戦時型のD52 216号機が夏空に煙をあげて梅田から吹操行きの重量貨物を引いて出発していきました。本機は晩年、鷹取と吹田区を渡り歩いてました。 '64.7 梅田貨物駅 P:飯田 勝
偶然、山手線線路を走る単行荷物電車が、「さくら」と共にファインダーに入ってきました。 東海道本線 新橋-品川(田町) '76年 P: 林田知親
日本海縦貫線を駆けてきた「日本海」が終点大阪に到着。今日の牽引機はEF58のなかで2輌しかない7窓機の1輌、36号機だ。 '75.3 大阪 P:大森光祥
1967年(昭和42年)10月のダイヤ改正で登場した世界で初めての本格的な寝台電車581系。関西地区と九州間を夜は寝台特急「月光」、昼は特急「みどり」として運転開始。その後は50・60Hz兼用の583系として増備された。大阪駅に到着した上り寝台特急「月光」。 '68.1.3 大阪 P:迫尾 肇
数多くの路線が通る鶴見駅。東口通路の窓から通過する貨物列車を狙った。EF58牽引の荷2634レと荷35レの前にEF65牽引の快速貨物で練習。周囲の雑踏や東口のそば店から漂ってくる良い匂いに煩わされないよう一発必中。(4163レ) '83.8.6 鶴見 P:平蔵伸洋
転車台のD51、滞留する直流機もいろいろ。ごく普通な当時の新鶴見機関区。跨線橋のポニーワーレントラスまでもが今になっては古き良き思い出に。転車台上はD51 516。 '69.11.8 新鶴見機関区 P:青木一郎
新大阪駅18番ホームは山陽方面優等列車の専用で、ヨン・サン・トオ改正後最初の日曜に撮影しました。乗車する車掌さんがカッコイイ! '68.10.6 新大阪 P:石地康司
貨物入換え中のシゴマル。平塚駅4番線ホームからのひとコマ。広い空や松の木が見え、積み上げたマクラギも良く見かけた光景。機:C50146。 '61.5.5 平塚 P:青木一郎
横浜駅で見かけたEF58に牽かれて回送されるC11 91号機。「ポンパ号」で活躍後の姿でしょうか? その後は保存されることなく解体されてしまいました。 '72.7 横浜 P:谷内 浩
鉄道100年記念列車を牽引したC57 7を一目見ようとする人たちで品川駅のホームは溢れかえらんばかり。構内は熱気に満ちていた '72.10.15 品川 P:小林哲哉
二俣線蒸機運転最終日に豊橋機関区がファンに解放された。あいにくの雨模様だったが、貴重品、赤プレートのC50に会うことが出来、大感激だった。 '71.3.31 豊橋機関区 P:古澤成博
新子安駅ホームから撮ったEF65牽引の貨物列車。ここで撮った貨物はこれしかなく、調べたらこの年の10月に横浜羽根沢駅が開業し、貨物専用線を通るようになり、ここを通らなくなっていた。 '79.4.21 新子安 P:中島正樹
近頃、157系の塗装を復活させた185系が走っているので、オリジナルを投稿してみました。あまぎからの引退が1976年2月29日ではなかったかと記憶しています。その2か月前の一枚です。 '76.1.4 真鶴 P:吉清 淳
今も国鉄時代と変わらない塗色・スタイルの機が残っているEF81ですが、国鉄時代は白Hゴムで、現在と印象が少々異なります。二軸貨車を牽くシーンも、緩行線を行き交う103系も懐かしい。 '81.3.14 高槻-山崎 P:中司純一
太陽が西に傾き、東京駅「ブルートレイン・アワー」開演の刻限が訪れる。16時台に始まる第一幕では、3本の寝台特急が15分おきに出ていく。今日の「はやぶさ」は下関の503号機。 '75.2.13 東京 P:井芝七路
早朝の東京駅9番線ホーム。18時台の「瀬戸」(画面奥)を筆頭に、手前の「安芸」など、山陽路から続々到着する急行の牽引機は、ほとんどがゴハチ! よん・さん・とおまでの最後全盛時代。 '67.10 東京 P:中浦秀和
久しぶりに灘駅に降り立つ機会があった。昔写真を撮ったことを思い出し、同じ位置を探した。後ろに立ち並ぶ昭和の木造家屋は高層マンションに変わり、線路の仮置き場は今も空地のままであった。今は本線を新快速が時速100㎞以上で駆け抜ける。大阪始発のC59牽引の普通列車。 '58.4月頃 東灘 P:小西 明
次々と東上してくる寝台特急群。20系客車の麗姿はいつまでも色褪せることがない。 '70年冬 鶴見-新子安(生麦踏切付近) P:中野伸俊
この年は関ヶ原地区も大雪だった、ホームに除雪された雪がうず高く積るなか80系の普通電車が入線してきた。 '75.1.12 関ヶ原 P:服部基寛
現在「日本海」で盛り上がっている大阪駅。一見、今も昔も変わらないように見えますが、最前列には黄色いカッパを着た男の子や「お父さん、まだぁ〜」なぁ〜んて言ってそうな女の子も見えます。三脚も4本ほどで脚立なんてありえない時代でした。みなさんC57の重連を待っています。 '71.6.27 大阪 P:髙橋 明
非電化時代の草津線には、京都発着の客車列車がありました。一部は50系化されていましたが、電化開業の1980年3月まで、旧客も残っており、ここ山科でもその姿を観ることが出来ました。 '80.2.10 山科 P;中司純一
円弧状架線ビームを持つ三宮駅に到着した国電。シールドビーム型のランプ、半円形の運転台、私はクモハ51形の車輌が好きだった。よく見ると、ドアーは木製、屋根には踏板が残っていた。 '58.8月頃 三宮 P:小西 明
15番ホーム有楽町寄りからのひとコマ。子供ながらも東京駅で蒸気機関車に出会ったことに驚き、あわてて撮った思い出。今、思えば本務間合いでの入換の様子。機:C62 8 '61.5.3 東京 P:青木一郎
見学に訪れた豊橋機関区から東海道本線を下る153系普通列車を撮影。今見れば100kWモータで4M4T、なんとも非力そうである。 '77.10 豊橋-西小坂井 P:楢井勝行
首都圏の無煙化を記念して東京から横浜港までD51 791牽引の「さよなら蒸気機関車」が運転された。3日間にわたって運転され、一目見ようとするにわかファン含めてすごい人出となり、ホーム撮りでこのような写真を撮るのがやっとだった。 '70.10.18 浜松町 P:中島正樹
知り合いの車内販売員さんが今日は乗っているとのこと。区の若い衆が手を休めて構内からお見送り。彼女たちもデッキから笑顔を返してくれていた。伊東発日光行、準急「湘南日光」。 '68.9.5 国府津機関区 P:青木一郎
荷物電車にはあまり興味を示さなかった頃、地元を走るクモニ83が新性能化されることを聞き、それから短い期間ではあったが、都合がつけばカメラを向けて荷物電車の晩年を記録した。旅客電車の最後部や最前部に連結され、吊掛けモーターを唸らせながら113系らと手を組んで疾走する姿に、老いてなお現役であることを感じていた。 '85.5.8 熱田-名古屋 P:鵜飼功一
名古屋駅を見下ろすビルの屋上は絶好の俯瞰ポイント、土曜の午後の楽しみは58重連の急行「ちくま」とEF61の荷物列車、合間にもEF65FとEH10の重連貨物が来るなど飽きることはなかった。 '75.7.19 名古屋 P:服部基寛
沼津駅の入換え用にC58、C50が活躍していた。ちょうど入換え間合いの給水、給炭か。薄い煙は一休みの様相。手前の人たちは別の車輌の到着待ちの様で、こちらも小休止。C58 365、C58 116ほか。 '67.10.10 沼津機関区 P:青木一郎
EF58の牽く臨時特急「金星」目当ての撮影行、美しい雪晴れのカーブに現れたのはEF65F機、単機だったのが悔やまれる。 '75.1.12 柏原-近江長岡 P:服部基寛
ク5000で編成された自動車輸送専用列車を牽引するEH10+EF65F(521)重連。 '75.10.25 木曽川-岐阜 P:服部基寛
この年のダイヤ改正で14系化されると聞き、20系最後の姿を撮るために大阪駅へ。ところが多くのカメラ小僧がホームに溢れ、やむなく人垣の間からの撮影となった。 '85.3.13 大阪 P:鈴木博之
「クロ」を先頭に東海道を飾る看板列車。藤沢通過後、6kmほどの直線区間を一気に走り抜ける。MAXでも1/200のシャッターではつらかった。13時半頃。 '62.5.6 藤沢-辻堂 P:青木一郎
20系客車の塗り分けにマッチしたロクマルの前面塗装。「みずほ」の長旅もあと一時間程で終わる。砂山や松林があった辻堂近辺。8列車 機:EF60 509。 '64.4.6 辻堂-藤沢 P:青木一郎
現在も活躍している寝台特急「日本海」。20系ブルートレイン時代、大阪〜向日町運転所の回送列車ですが、EF58山崎のカーブを行く懐かしい風景です。当時は背景にマンションもなくすっきりとした風景でした。 '75.3 山崎-高槻 P:中川弘一
今年30周年の特急「踊り子」号。車体サイドのグリーン3本の斜めラインが強烈なアクセントとなっていたが、東北・上越新幹線上野開業によりお役御免となった、新幹線リレー号から転用のグリーン1本帯のスタイルも単調な車体を引き締めるバランス好いカラーで、むしろ特急らしくて落着いた感じが好きであった。 '85.12.26 東京 P:梶村昭仁
EF58 53号機が牽引する寝台急行「銀河」が、白糸川鉄橋を通過する。ゴハチが東海道本線で20系寝台特急を牽引していた頃を彷彿させるシーン。 '79.2 根府川─真鶴 P:藤田高士
茨城植樹祭にともなうお召列車運転の朝、ご出発の9・10番線ホーム準備中の様子です。特別通路から赤絨毯を敷設中の階段、ホーム上には赤バッジのSPの姿もあります。地上の横須賀線、サロ、巻き取り式の案内器、昭和末期の東京駅がありました。 '76.5.22 東京 P:高橋卓郎
オリジナルなEF58を貨物用に改造した機関車EF18。浜松機関区所属で通常は島田付近の小運転に従事していたが、この日は珍しく大船で見つけた。早速近づくと折しも半流線形のEF58が脇を通り抜けて行った。 '63.11.27 大船 P:中島正樹
現在では、EH10 50とEF15 105のいる線は湘南新宿ライン、C11 277のいる線は上り貨物線である。相模線のホームの末端にはこの頃の面影が今でも化石のように残っている。 '65.3.21 茅ヶ崎 P:長谷川武利
お召列車が東海道本線を下る日、早朝より大船電車区の先で待機。本命が来るまで朝の列車を片っ端から撮っていた。その中でひときわ華やかだったのは大きな窓のパーラーカーを連結した下り特急「第1富士」151系だった。 '63.10.24 大船-藤沢 P:中島正樹
東京区のEF58が特急仕業復活となり、注目を集めました。写真は1983年夏の伊東行き「踊り子55号」ですが、この頃よりEF58は伊豆急行線へも乗り入れるようになりました。EF58 61〔東〕+14系8輌 (9023レ) '83.9 新子安 P:采女 誠
「転車台作業車」のボード。転車台の検査用機材搬送車の様だ。大崎から出て新鶴見、高島、茅ヶ崎、国府津と移動する工程。各区とも蒸機には必須の転車台があった頃。 '67.7 国府津機関区 P:青木一郎
新幹線開業前年、優等列車が次々に往き来していた。父からお下がりのカメラ、今画像を見ると随分ルーズなレンズだったようだがその頃は写っていることだけで大喜び。57.3キロ地点での151系。 '63年 辻堂-茅ヶ崎 P:青木一郎
堂々の583系12連で運転された某ビール会社主催の納涼ビール列車です。1980年代に人気を博したペンギンキャラクターがヘッドマークを飾っておりました。運転区間は大阪駅から琵琶湖を一周するもので、当時はこのような企画列車が多く運転されていました。 '84.8 大阪 P:泉谷 純
家から近かったので午前中の早い時間と記憶している。神戸港駅へ向かう支線の分岐駅でもあり、操車場としての役割があった。そのため、回送列車や機関車が多く停車していた。 '58.3 東灘駅構内 P:小西 明
デビュー当初は斬新さを飛び越えて、今までの国鉄車輌の枠を思いっきり飛び出した感覚に襲われたのも今は思い出。今年30年と節目の年となる185系と「踊り子」号。この斜めストライプがリバイバルカラーで復活しましたね。 '87.1.5 東京 P:梶村昭仁
昭和32年頃、従来の客車列車から80系電車に置換え運用を開始。昭和34年4月、大阪、名古屋間に153系 準急「比叡」が運行開始される。 低運転室の153系を鴨川橋梁で撮る。 '61.3 京都 P:小西 明
実家で見つけた一枚のモノクロ写真。少年時代の遠い記憶が蘇った。 '77.4 京都 P:野々村康久
「汽笛一声」から100年近くになりますが、テンダーと駅名を一緒に、もうこの駅ではケムリは見られなくなるのかと思いましたが、その後何回か走りました。これで首都圏から消えました。 '70.10.10 新橋 P:江川智和
JNRキャンペーンガールがとても可愛かったので、断って撮らせてもらいました。写真は民営化直前、マイテ49展望車復活時のものです。 '87.3.22 P:多賀章善
一次型ヒサシなしEF66 18〔関〕牽引の6レです。国鉄時代(vol.26)を読ませて頂き、早速、アルバムの中を探しました。 '86.8 湯河原-真鶴 P:采女 誠
東海道本線と横須賀線が交互に発着するラッシュアワー、上りホームは乗降客であふれていた。下りホームには8時19発に修学旅行電車「ひので」が到着した。40年前の横浜駅朝の光景である。 '71.10.15 横浜 P:内田博行
デパートの屋上に登る階段は大阪駅に出入りする列車を撮影する格好のお立ち台だ。新大阪方向からDD54が福知山線の夕方の通勤列車を引いてやってきた。 '77.5.7 大阪 P:鈴木博之
身近なところを走っていたせいか157系は好きな形式のひとつである。東京駅11番線に一時的に留置される臨時「あまぎ」7輌の横に定期「あまぎ」9輌が並んだところ。 '75.5.4 東京 P:宮山幸雄
御殿場線のD52を谷峨・駿河小山あたりで撮影した後は足を延ばして沼津経由で帰宅した。その際に写したクモユニ83103(改番後はクモニ83103)、旧型電車の中では好きなタイプの車輌でした。 '66.11.23 沼津 P:迫尾 肇
7番線に「銀河」を退避させ8番線から「あさかぜ2号」が発車した。この日はEF65に変わってEF58が代役でやってきた。当時はヘッドマークがなく残念に思ったが、今見ると貴重なEF58のツーショットであった。 '75.6.15 横浜 P:内田博行
昭和36年10月1日のダイヤ改正の当日の京都駅。キハ55系の準急「鳥羽・勝浦」、東海道線、草津線、紀勢線と走っていました。 '61.10.1 京都 P:青山春樹
この頃は梅小路機関区まで家から自転車で30分ほどかけてよく行っていました。この日はカメラを持っていっていたので、扇形庫の後ろにとまっていたハチロクを写しました。 '62.4 梅小路機関区 P:青山春樹
突然京都方から洗浄線に「ひので」号が入線してきたので 慌ててカメラを構えた。 '63年頃 向日町運転所 P:木田明生
名古屋発北陸線経由青森行き、という今では信じられないロングランの帰省列車、臨時急行「あおもり」が乗客の待つ10番線に入線。臨時列車とはいえ、名古屋近郊から東北方面へ乗り換えなしで行ける貴重な列車でした。 '83.8 名古屋 P:鵜飼功一
東京オリンピック開催時、東京〜熱海間で運転された、臨時特急「オリンピア」の晴れ姿です。 '64.10.15 田町電車区 P:阿久津 浩
ゴハチの冬の風物詩といえばSG。特に雨の日は濛々と白煙を上げていました。知らない人はSLが居るの?と言う声も聞こえました。隣の181系はまかぜもよく今日まで頑張ったと思います。その181系も引退し、新しい駅ビルが建った大阪駅。この風景も過去のものとなりました。 '84.2.26
大阪 P:川村一信
13輌の長編成、ゴハチ牽引は迫力満点。中学生時代ブルトレに憧れていた一人でした。自宅は近くで早朝撮影になんどか挑戦していました。思い出のある寝台列車「日本海」は今なお現役です。 '73.7 膳所-大津 P:原田敬司
東海道線の膳所から浜大津まで大津支線、京阪電車の石山坂本線の石山寺方面行きの線路が3線区間になっていてハチロクの牽く貨物、それに江若鉄道のDCが走っていました。 '62.8.13 大津支線 P:青山春樹
夕日を背に上る「はやぶさ」前夜の台風の影響で6時間以上遅れて上ってきた「はやぶさ」の牽引機は、EF65P型と交代が間近のEF60-506であった。この時期には既にEF65P型も運用に就いていた。 '65.9.18 大船-横浜 P:長谷川武利
新年早々、ロクイチが臨客牽引ということで近江長岡界隈へ。雪景色の中で収めることが出来ました。 '85.1.3 近江長岡─柏原 P:津野 剛
ダイヤ改正に伴いこの日から「はと」のみだが小田原は特急停車駅になった。行事風のものが何も見えない寂しい初日。東京発大阪行5M、特急「はと」。 '61.10.1 小田原 P:青木一郎
鉄道少年になった頃は、特急列車をお目当てに、東京、上野などに通った。この頃のブルートレインは、EF58に代わりEF60形500番代が牽引していた。<みずほ>が到着し、機回し中の作業をとらえた一枚。 '64.7.20 東京 P:高橋孝一
山陰線・京都口から蒸機が消えて約1年後。東海道本線をC57の臨時列車が走るとの情報。インターネットなどない時代。当時、中学生の私。どうやってこの情報を得たのかな? '72.4.9 京都 P:小巻真司
昭和46年、山陰線京都口のC57が消えた後の6月27日に撮影とメモにあります。おなじみだった梅小路のC57 5と39の重連が梅小路方面から東海道下りホームに入線してきました。この後、出発を撮らず、すぐ奈良方面に撮影に出かけたことが今も悔やまれます。 '71.6.27 京都 P:大西東太郎
SGを使用して品川区81系和式客車を牽引するEF58 160です。93号機とともに東京区最後のブルーのEF58として注目を集めました。 '85.2 新子安 P:采女 誠
この日の団臨は豊岡のC57 94が牽引。東海道本線蒸機走行とあって沿線はファンでいっぱいでした。上り線を行くのは東京を目指す「桜島・高千穂」です。 '72.4.23 神足─山崎 P:石地康司
C62 2号機は1972年梅小路運転区に車籍を有しており京都-姫路間で臨時列車SL白鷺号として牽引していた。1974年8〜9月全般検査以降は本線走行がなされていない。 '73.10 大阪 P:原田敬司