鉄道ホビダス

上信越・高崎各線の最近の記事

重連進入

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足尾線のDE10重連貨物。跨線橋の上からはタブレットの通過授受の様子がつぶさに観察できました。 足尾線 沢入 '85.7.25 P:米山浩司

雪の足尾線

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桐生から足尾まで重連で登って来たC12はここで一旦荷を解かれ、改めて小単位に分けて足尾本山駅へ向かう。静かだった雪の構内には一時の賑わいがやって来る。 '69.3.16 足尾線 足尾 P:中島正樹

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上野行き上り特急「とき」が上の線路を左から右へと走り、ぐるっと山の向こうでループ線を回って下のトンネルから出てきたところである。当時の特急「とき」は私にとって憧れの存在だった。 '75.11 上越線 土合−湯檜曽 P:高橋洋二

研修風景

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機関区の見学に行き、たまたま職員が研修している場面を見ることができた。後輩に熱心に説明する先輩の姿に国鉄職員の心意気を感じた。 '68.5.18 高崎第一機関区 P:高橋洋二

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雪深い信越国境から抜け出し、ようやく積雪のない平野部へ出てきたキハ11。背後には志賀高原に続く高社山が白雪に光っている。間もなく信越本線と合流して豊野駅へと向かう。 '72.1.3 飯山線 豊野−信濃浅野 P:中島正樹

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現在、北しなの線の北長野ー長野間ではJR入出区線にスカ色クモユニ143職員輸送が運転されています。さて、この区間でクモユニ...といえば、'81年7月に撮影したクモユニ81003の廃車回送。大糸線で"海坊主"と親しまれたクモユニがDD16に牽かれて最期の旅路につきます。当時新鋭の115系1000番代が、今は廃車期を迎えました。 DD16 302〔篠〕+クモユニ81003〔長キマ〕ほか。 '81.7 信越本線 北長野−長野  P:大久保広樹


補機連結

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大人は「峠の釜めし」を買いに、少年は機関車連結を見に行く時間。 '85.3 信越本線 横川 P:浅川卓也

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末期は本数が減少し撮影チャンスの減った「新雪」。数ある絵入りマークの中でも秀作だと思います。 '79.2.12 上越線 土樽−越後中里 P:稲毛信夫

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中央西線、篠ノ井線が電化された年の年末、何気なく訪れた長野運転所で何気なく撮影した1カット。松本所から運用が移管された181系 「あずさ」やお客の181系DC「しなの」も並んでのオールスターキャストとなった。181系「あさま」が写っていないのが残念。 '73.12.28 長野運転所  P:牧 光一

石灰石専貨

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ED16から引き継いだホッパー車を従えたDE10とDD51の重連貨物列車です。発車時のエンジン音は凄まじく、圧倒されたのを覚えています。 '81.8 八高線 拝島 P:名取信一

特雪奮闘

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関西から特雪撮影のため北海道撮影行の道すがら、上越線DD53の特雪撮影のため立ち寄りました。長岡を早朝に出たDD53は水上まで回送。午後から夕方にかけ石打まで。作業区間は土樽から。上越線の撮影地に疎く、有名撮影地の岩原スキー場前まで来たものの、線路端は高い雪壁で撮影地で見通せるかわかりません。時間が迫りあえなくホーム上での撮影。一応反対側に雪を飛ばす姿を捉えることができましたが準備不足でした。電化路線での豪雪地帯撮影の難しさをかみしめながら渡道しました。 '84.2.17 上越線 岩原スキー場前 P:奥 清博

EF64 1001 

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夕方の高崎駅で出発を待つ1001号機。塗装変更されるのなら、もっと撮影をしておけばよかった。 '86.8 高崎線 高崎駅 P:采女 誠

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桑名川駅に集煙装置付きC56 130牽引の295レが入線する。後部には駅で待機中の上りスキー臨時列車牽引用のC12 199が連結されていた。 '72.2.11 飯山線 桑名川 P:中島正樹

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重苦しい雪雲のもと、重厚なモーター音を響かせてEF16とEF15の名コンビが眼前を通り過ぎる。やった! もう一輌! 堂々の三重連だ。 '79.2.18 上越線 越後中里-岩原スキー場前 P:森田 宏

浅間山麓

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浅間山を背景にした大カーブは信越本線屈指の撮影名所。「あさま」を撮影すべく信濃追分から歩いていると、途中から仔犬がついてきた。浅間颪が吹く寒い野原で遊んでやりながら列車を待った。 '76.1.1 信越本線 信濃追分-御代田 P:富田 岳

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谷川連峰の北、土樽の谷あいをゆく181系「とき」。撮影した1978年4月は13往復中、6往復が181系だった。 まだ、イラストのヘッドマークになる前の精悍な編成。 1978.4.13 上越線 越後中里-土樽 P:高野道夫

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上越線のハイライト岩原の大カーブ。この美しい181系の編成が、半年後には段違いのサロ・サハが組み込まれ、魅力が半減した。 '78.3.24 上越線 岩原スキー場前(臨)―越後中里 P:山藤 剛

秋冷 

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両毛線のC58 398〔小〕牽引の旅客列車が桐生駅を発車した。11月下旬だが寒さが厳しく、キャブの窓やドアがきっちりと閉じられていた。 '67.11.23 両毛線 桐生 P:高橋洋二

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足尾駅の給炭、給水設備に挟まれて桐生への帰りの準備をするC12 49。この機関車は後に桐ヶ丘遊園地に展示されることになる。精錬所から少し離れているので足尾駅背後の山には木や草が多少生えていた。 '68.8 足尾線 足尾駅 P:高橋洋二

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3月に入ってもまだ多くの雪が残る飯山線、C56牽引下り混合列車が北飯山に到着した。豪雪地帯の沿線はこの先もまだまだつらら落としやスノープラウが活躍する。 '61.3.5 飯山線 北飯山 P:中島正樹

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桐生または神土から重連でやってきた貨物列車は足尾で2分割され、C12が1輌で牽く貨物列車2本にして足尾本山まで運行されていた。荒涼たる風景の中を、C12 263が1輌で急勾配に挑戦していた。平地の少ない山地なので、住宅等が崖の上に建っている。今見るとまるで昭和を舞台とした映画のワンシーンのようである。 '67.11.23 足尾線 間藤-足尾本山 P:高橋洋二


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停車していた下りD50牽引貨物が小諸駅を発車、この先長野までは千曲川沿いを走り、上り勾配もなく足取りは軽い。 '61.3.6 信越本線 小諸 P:中島正樹

重連小休止

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これから始まる急勾配に備え、神土駅で休息するC12重連。風情のある駅舎は現在でもほとんどそのままで使われており、駅周辺は当時の雰囲気がまだ残っている。 '69.3.18 足尾線 神土 P:高橋洋二


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平日運転された両毛線のSLさよなら列車を撮るために、授業が終わってから愛車ホンダCS90というバイクで駆けつけた。暗くなってしまい標準レンズの開放でやっと撮ることができた。 両毛線 伊勢崎-駒形 '68.9.30 P:高橋洋二

重連到着

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C12 233+C12 49牽引貨物列車は一旦駅手前で停車したあと、駅に進入してきた。当時沢入駅も貨物を扱っていて、駅東側に貨物用の引き込み線があり、この日も貨車が留置してあった。 '67.7.25 沢入 P:高橋洋二

軌陸車

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国鉄90周年記念の公開展示の一コマで、MAZDAの「軌陸車」の展示。後方のEF55は、どういうわけか展示車ではなく、隅っこに片づけられていたものであった。この車輛の機番は、のちに復活した1号機でなく2号機。 '62.10.16 高崎第二機関区 P:高橋孝一

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春はまだ足踏み状態、冷たい北西風に浅間山上空を雪雲がたなびく。かつてD50やD51が喘いだ信濃追分の大カーブを181系下り「あさま1号」が軽やかに通り過ぎて行った。 '73.3.25 信越本線 信濃追分-御代田 P:中島正樹

C12奮闘

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間藤から足尾本山までは草木が少なく、日本離れした景観だった。そんな岩山を背景に孤軍奮闘するC12 263が短い隧道を抜けたところを狙った。極めて濃度の薄いネガだったが、デジタル化により救うことができた。 '67.11.23 足尾線 間藤-足尾本山 P:高橋洋二

重連発車

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通洞駅ではこの下り貨物列車(C12 233+C12 49牽引)は短いホームに一旦停車後スイッチバックして引き込み線に入った。その後前後進を繰り返し、入換え作業をしてから、再び足尾に向けて発車して行った。 '67.7.25 足尾線 通洞 P:高橋洋二

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年が明けて3日目、越後川口では早くも帰京客で駅が混み始めてきた。鼻面を白くさせたEF58牽引の上り臨客が入線、この先さらに積雪を増す厳しい国境越えが待っている。 '67.1.3 上越線 越後川口 P:中島正樹

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足尾-足尾本山間の貨物列車はC12が1輌で牽引していた。トンネルを出た瞬間のC12を撮影した。当区間周辺はまだ草木が一切生えていない荒涼とした風景だった。 '69.3.18 足尾線 間藤-足尾本山 P:高橋洋二

豪雪地帯

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だんだん激しくなる雪の中、定期貨物296レの到着を「戸狩スキー号」を戸狩まで迎えに行くC12 66が待っていた。この後の長野行普通列車は2時間遅れとなった。 '71.1.5 飯山 P:牧 光一

金子坂

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八高線は金子〜東飯能〜高麗川と結構な坂があるためD51の牽引のホキ貨物は重連での運用も多くみられました。 '70.3.15 金子〜東飯能 P:武捨 浩

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特急「白山」の食堂車サシ489車内。食堂車一度廃止後、復活。再び廃止となる時の「さよなら幕」。 '85.1.15 上野 P:浅川卓也

夜のC56

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夜行列車で長野に降り立ち、その足で長野運転所を訪ねると扇形庫の脇で2輌のC56が迎えてくれた。 '72.3.5 長野運転所 P:牧 光一

秋冷

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親の郷里へ行った時に立ち寄った飯山線。北飯山駅を発車した列車は朝の冷えた空気に白いドレインを吐出、蒸気に包まれながら下って行った。 '59.9.4 北飯山 P:中島正樹

豪雪

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先頭の側面窓変形EF16 28号機、EF58に続く10系寝台車の列。架線柱にまで雪の積もった構内で発車待ちの急行「能登」。真夜中3時の撮影です。 '80.1.12 石打 P: 稲毛信夫

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赤と黄の新潟色の70系普通電車が綾戸渓谷を渡る。高崎発のこの列車は3時間以上かけて長岡を目指した。3輌目には元2等車が連結されていて、運賃だけで乗車できお得であった。  '73.3 津久田-岩本 P:高橋洋二

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C62「ニセコ」重連遠征の往路に新津に立寄った。D51 29〔酒〕+D51 609〔新〕の重連を取った瞬間、後追いすると「佐渡」が。絶妙のタイミングで次位機の区名板までしっかり撮れました。 '71.8 新津 P:須田 剛

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逆向きのC12 46〔高一〕+C12 41〔高一〕の貨物列車が神土駅に到着し、乗務員が休憩室へ向かいます。横殴りの雨の運転、お疲れさまでした。 '70.9 神土 P:高橋洋二

引退前夜

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181系電車の引退まで2週間。この頃は上野方の電動車2輌が外されていた。この日は車体が新車のように綺麗な編成だった。 '82.10.30 北本-桶川 P:采女 誠

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早起きして高崎駅5時18分発のEF62 23牽引上り夜行急行「越前」を撮影した。「越前」は碓氷峠を経由する上野と福井を結ぶ夜行急行で、荷物車、寝台車、グリーン車、普通車が連結されていた。EF62は高崎線・信越線では親しみのある機関車だった。 '80.7 高崎-倉賀野 P:高橋洋二

重連発車

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桐生からC12重連でやってきた朝一番の下り貨物が神土駅で小休止のあと発車。これから急勾配に臨む。煙の隙間から交換したキハユニ16が見送っていた。 '68.5.3 神土 P:高橋洋二

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梅雨入り前の穏やかな季節、山男で賑わうホームに181系「とき」が到着。時は流れ昨今はホームにおしゃれな山ガールの姿があるのでしょうか。 '78.5 新前橋 P: 寶柳仁志

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高崎第一機関区の9600形は高崎操車場の入換え作業を担当していて、2輌または3輌連なって高崎操車場へ出区する姿をよく見かけたものだ。 '69.5.14 高崎第一機関区 P:高橋洋二

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赤城山の裾野にある河岸段丘にも新緑が映える季節がやってきていた。食堂車が連結された12輌編成の181系特急「とき」が軽快な音を奏でながら津久田の利根川橋梁を渡っていった。翌年(1978年)10月、食堂車は外されてしまった。 '77.4 津久田-岩本 P:高橋洋二

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長野局の見学許可をいただき庫内のラッセル車キ100運転台へ。周りの景色がよく見えました。また当時は木曽福島のデフ付のC12 199も応援に来ていました。来年には新幹線の駅ができます。 '69.2.15 飯山機関区 P:迫尾 肇

武蔵野のD51

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情報が少なく東京近郊でD51が走っていることを鉄道雑誌で知った。常磐線のハドソンを見慣れていたため、物足りなかった。思えば沢の極みだった。 '70.3 高麗川付近 P: 渡部 司

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冬季間週末のみスキー客のため上野-桑名川間に臨時急行「戸狩スキー号」が運転されていた。上野〜長野間は「妙高スキー号」と併結され飯山線内ではC12が3輌の客車を牽引していた。この日の牽引機は木曽福島から貸し出されたデフ付のC12 199であった。 '72.3.5 上境-上桑名川 P: 内田博行

高原のD50

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信濃追分を発車したD50牽引貨物が軽やかに浅間高原を下って行く。この切通しを抜ければ、間もなく雄大な浅間山が望める大カーブの築堤上に飛び出す。 '61.9.28 信濃追分-御代田 '61.9.28 P:中島正樹

珍三重連

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足尾線桐生から大間々まで時々C12×2+逆C50の三重連が走っていた。C50は大間々で解放され、1輌で貨物を牽いて桐生へ帰っていくのであった。 '67.7.25 相老-大間々 P:高橋洋二

上州路の冬

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冬の日を受け空っ風に吹かれながらC12重連が足尾へ向かう。まだ勾配もきつくなく、荷も少ないので余裕綽々といった感じだった。 '69.1.4 相老-大間々 P:高橋洋二

EF58スキー臨

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客車列車が減ったこの頃、スキー臨客は良き被写体となっていた。EF58+12系の編成で上野から夜行で各スキー場へ向かい、午後明るいうちに戻るパターンで、撮影にも適していた。 '80.1.20 越後湯沢-岩原スキー場前 P:中島正樹

赤城おろし

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赤城山を背景に空っ風を受けて高崎へ向かう気動車の前にはキハユニ16が2輌ついていた。コンバインや刈り取り機のない時代で、稲の株を見ると手で刈っていたことが分かる。 '68.1.15 両毛線 東伊勢崎-伊勢崎 P:高橋洋二

一番列車

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足尾線下り一番列車は桐生から足尾までC12重連の貨物列車でした。大間々付近では朝早く薄暗くて撮影には苦労しました。 '68.9 相老-大間々 P:高橋洋二

足尾の風景

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渡良瀬川の深い渓谷を見下ろしながら足尾本山からC12牽引の貨物が下ってきた。数日前に降った雪で背後の山がいっそう荒廃して見える。 '69.3.16 足尾-間藤 P:中島正樹

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新しくできた陸橋から、電車化直前のボンネット型気動車特急「いなほ」を撮影。高崎操車場はまだヤード系貨物輸送中で、高い照明用鉄塔も懐かしい。  '72.9 倉賀野-高崎 P:高橋洋二

天高く

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高麗川以南にも時々D51とC58の重連やC58の重連の貨物列車が走っていた。この列車はC58重連。撮影した場所は高崎線から分かれて右へカーブするあたりの田園地帯であったが、現在では住宅地に変貌している。 '70.6 北藤岡-群馬藤岡 P: 高橋洋二

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映画「喜劇 各駅停車」の雰囲気そのままの足尾線。今で言う「追っかけ」がバイクで楽に出来た時代。一本の下り貨物列車を何度も撮影できた至福の路線だった。 '69.4.24 水沼-花輪 P:高橋孝一

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慰安旅行で伊香保温泉に行った帰り、一泊して長野方面へ。立ち寄った長野機関区では庫内手の手で入念に整備される信越本線の古豪、「白ヒゲのD50」の姿があった。 '64.7.14 長野機関区 P:中島正樹

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前橋駅を発車するEF12 6牽引の貨物列車。前橋駅から駒形方面に向かうところには、大きな踏切があり、警手が遮断機の上げ降ろしをしていました。この景色も前橋駅の高架化とともに過去のものとなり、遠い記憶と写真の中にだけ残っています。 '76.8.22 前橋 P:齋藤生朗

EF55 1

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EF55 1は1986年に奇跡の復活をとげたが、これは復活前の写真。塗装に輝きはなく、廃車寸前の姿だったが、運よくパンタが上昇している姿を撮影できた。復活・引退後も解体されることなく、高崎車両センター高崎支所その姿を見かけることができる。 '84.2 高崎第二機関区 P:高橋孝一

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ヘッドライトを消灯で走る電車特急。国鉄時代を思い出します。 '86.5.31 行田 P: 采女 誠

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このころは、機関区見学の規制はゆるやかであった。そのため、なんども訪問しては、機関車を眺めたり、写真を撮りまくったりしていた。「また来たね」と、顔なじみまでなっていた。折しも、「9678」号という古参のキュウロクが扇形庫から出てきた。 '66.12.21 高崎第一機関区 P:高橋孝一

C57 4

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学生時代の夏休みに訪れた新津機関区。信越本線を始めとする3路線が集まる新津は「鉄道の街」として知られるが、昼下がりの時間帯はC57がのんびり転車していた。 '57.8.12 新津機関区 P:中島正樹

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この年の春は、3月のダイヤ改正でD51やC58の多くがDD51に換わり、この日撮れたのはレンゲの花の向こうから汽笛を鳴らし近づいてきた短い貨物列車のみ。 '70.4 八高線 明覚-小川町 P:中浦秀和

EF62 1号機

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信越本線からの貨物列車を牽引し高崎駅に到着した先行試作車EF62 1。 今は碓氷峠鉄道文化村に茶色に塗装され展示されている。 '77.10.30 高崎 P:武者秀男

上州路のEF15

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春まだ浅く、北風の冷たい両毛線。EF15 104の牽く貨物列車がモーター音を轟かせながら走り抜けていった。 '79.3.23 伊勢崎-駒形 P:齋藤生朗

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列車の写真にはロクなものがなかったけれど、たまたま撮ったこのカットはいい思い出になりました。小学校6年生のときの小旅行。 '72.6.25 横川 P:佐藤圭樹

武蔵野の煙

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中三の夏休みに久々の遠出で八高線に出かけた。2本の貨物列車、停車中ではあったが蒸機の煙とそのにおいを実感した真夏の一日だった。 '69.8.10 高麗川 P:宮山幸雄

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キハ20のアイドリング音だけが静かなホームに響いていた。 '78.10.23 八王子 P:齋藤生朗

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国鉄急行からビュッフェ営業が終了する日、上野駅まで撮りにいきました。出発準備作業の中、お願いして撮らせて頂いたのを思い出します。 '76.11.28 上野 P:田中 豊

雨の伊勢崎

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小雨降る伊勢崎駅。入換えのため貨物列車から離れていくEF12 1。このあと大協石油専用線からタキを引き出し、列車に連結する。 '78.10.29 伊勢崎 P: 齋藤生朗

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足尾線からの帰り、乗換駅の桐生で撮影したC50牽引638レ高崎行き。この頃キハに交じって蒸機列車は一日3本しかなく、この貴重な列車で新前橋まで乗車した。 '64.8.2 桐生 P:中島正樹

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ワー汽車だー...。という歓声が聞こえてきたかも。写っている園児たちも、今は50歳くらいになっているでしょう。 '69.10 桐生 P: 岸 芳夫

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豊野を発車した下り列車が妙高高原に向けて勾配を登り始める辺り、右手車窓に志賀高原の山々が展開する。ここを碓氷峠を越えて来た169系急行「妙高2号」が軽やかな足取りで登って行った。 '72.1.3 豊野-牟礼 P:中島正樹

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信越・北陸本線経由で上野と大阪を結んでいた気動車特急「白鳥」キハ82系。その一番の見せ場がED42に助けられて走るここアプト区間。間もなく新線に切り替わり消えてしまう。 '63.9.15 :信越本線 横川-熊ノ平 P:中島正樹

海岸を行く

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撮影仲間の友人3人で久しぶりに会おうと柏崎に出かけた時の思い出のカット。その中の一人はもう故人となった。気楽なゴハチ撮影行だったが、今思えば、もっと頻繁に友人とゴハチの撮影に行けば良かったと悔やまれる。 '76.9 鯨波 P:齋藤孝行

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梅雨の明けた暑い一日、高崎線方面に行ってみた。宮原から歩き出すと、早速長岡からのEF58牽引普通列車。上越のEF58はツララ防止の長いひさしが付き、東海道筋のものとは違って精悍な面構えだ。 '65.7.15 P:中島正樹

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友人に誘われて初めて蒸気機関車の写真を撮りに行った。そこが足尾線。忘れられない。今は草木ダムによって水没した区間。上を走る国道122号線は未舗装でガードレールもない。 '70.4.29 神戸-草木 P:平林寛信

荒涼たる谷

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鉱毒、乱伐による傷跡の未だ癒えぬ頃。「終点」間藤から足尾本山へ延びる30‰を登ってくるDE11牽引の貨物列車。荒涼とした谷間に響くホイッスルが今も耳に残る。 '86.11.3 間藤─足尾本山 P:山田素義

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浅間山をバックにした築堤のカーブをD50牽引の貨物が下って来た。真横から見ると種々雑多な貨車で構成されているのが良く分かる。本当は煙を吐く上り列車を撮りたかった。 '61.9.28 信濃追分-御代田 P:中島正樹

EF58重連

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この日は上州路にEF58 89+EF58 61重連が走りました。 '86.8.27 後閑 P:采女 誠

D51 96

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信越本線長野以北で活躍していたD51 96を長野駅ホームから撮影、背景にはレンガ造りの国鉄長野工場が写っている。その後、機関車は碓氷峠鉄道文化むらで保存、工場は長野総合車両センターに統合された。 '65.3.28 長野 P:中島正樹

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何度も訪問しては、機関車を眺めたり、写真を撮りまくったりしていた。「また来たね」と、顔なじみまでなっていた。今、「9678」号という古参のキュウロクが扇形庫から出てきた。 '66.12.21 高崎第一機関区 P:高橋孝一

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旧碓氷線を利用した遊歩道「アプトの道」が、2012年4月めがね橋から熊ノ平まで延長された。長い間立ち入り禁止だったが、ようやく往時をしのぶことができることになった。この一枚、信越線のクイーン「白鳥」と各停の交換シーン。この写真を見ると、ED42のホイッスルが今でも聞こえるようだ。 '63.9 P:高橋孝一

C58の顔

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八高線を撮影に行き、その帰りに八王子機関区を訪問。今はイベントでしか入れない場所での撮影は貴重な経験でした。 '69.5 八王子機関区 P:大沢 彰

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かつて鉄道貨物の輸送網は、あまねく地方私鉄にまで及んでいた。線路は続いていた、どこまでも...。 '76.3.16 屋代 P:井芝七路

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朝方の豪雪でラッセル車を押して十日町までやって来た。午後から越後川口まで貨物の運用が待っている。十日町機関支区でしばしの休憩。 '71.12 十日町 P:都築雅人

夢の競演

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デッキ付き旧型電機+欧風客車の夢のような組合せが実現した。仲間たちと撮った感激は、27年経った今でも忘れない。 '85.2.11 群馬原町-郷原 '85.2.11 P:采女 誠

多摩川橋梁

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八高線の小宮駅-拝島駅間の多摩川橋梁を撮影した時の一こまです。八高線と言うと自分の中ではキハ30系ばかりとのイメージがありますが、キハ20系やキハ40系も時々連結されていました。キハ20系は少し古めかしいところが好きでした。 '82.6.27 P:鈴木岳人

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下り列車がアプト式区間最後のトンネルを抜けると平坦な軽井沢構内にさしかかる。やって来た旅客列車をよく見ると3輌の後部補機の手前に貨物が連結された混合列車だった。 '61.9.28 軽井沢 P:中島正樹

揃い踏み

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高崎線撮影の帰路、大宮駅で見かけたシーン。ホームの中線に停車中の架線試験車クモヤ93形を見つけ撮影していると、ちょうどそれを挿むように165系の準急「ゆのさと」と準急「湘南日光号」が停車して頭をそろえた。またとないチャンスだったが写真の仕上がりが、いまイチ。 '64.5.1 大宮 P:中島正樹

珍重連

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足尾線にはC12の重連以外にC12+C50との重連もあった。ただし、桐生-大間々間の片道だけで、C50は逆向きであった。それでも、珍しい組み合わせなので何回も追っかけた。 '69.1.16 相老-大間々 P:高橋孝一

雪晴れの朝

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一晩で天気一変。眩しい白銀の眺めのホームにクハ47先頭の上りが進入。上野まで乗って帰る間、各駅に律儀に止まる長旅で尻が痛くなった思い出。単線時代の湯檜曽駅にて。 '63.2.10 湯檜曽 P:青木一郎

高崎のEF57

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「鉄道少年」だった中学1年生になった4月、EF57を駅撮り。後姿の、腕章を巻いた機関士はこれから乗務するのだろうか。「フジペット35」という富士フィルム製のおもちゃのようなカメラで撮った一枚。 '60.4 高崎 P:高橋孝一

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当時小学5年生だった私は、土曜日の午後、クラスメイトと上越新幹線の建設工事が本格化した長岡駅で撮影。181系「とき」、70系ローカル、EF15の貨物など被写体には事欠かず。長岡運転所に115系が配属される前で、70系新潟色全盛期です。このクハ68の写真は、GMのキットの組立て塗装にも貢献。貴重なカットです。 '74.12 長岡 P:源川浩和

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新鋭EF64 1000番代が投入され上越国境からEF16が引退する、と友人から誘われて初めて訪問。受付のノートに住所と名前を書けば比較的自由に機関庫の中を撮影させてもらえた。昼食代を節約して商店で買ったインスタントラーメンをそのまま齧ったりした。 '80.8.17 水上機関区 P:平蔵伸洋

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足尾線の蒸機廃止で運転された記念列車の戻り。桐生から高崎へ向かう両毛線内ではC12に代わってC58が牽引。追っかけファンに囲まれて岩宿駅を発車、見送るファンの放心したような表情が印象的。 '70.10.4 岩宿 P:中島正樹

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足尾駅を出発した列車から遠ざかる足尾駅を撮影したものです。この頃は足尾銅山の精錬所までの貨物列車が設定されており、町もそれなりの賑わいがありました。 '87.8 足尾 P:鈴木岳人

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高崎第一機関区は、扇形庫の規模や給水炭設備など、全国的規模の設備があった。森繁久弥、三木のり平らの出演した「喜劇 各駅停車」のロケ地になっている。 '68.9.15 高崎第一機関区 P:高橋孝一

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アプト式解消のために造られた碓氷峠越えの新線。アプト起点付近をEF63重連に押されて下り準急1605M「軽井沢1号」80系が行く。この時期アプトもまだ健在で双方の運行が見られた。 '63.9.15 横川-軽井沢 P:中島正樹

冬晴れ

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両毛線の未電化時代には、C50やC58が活躍していた。電化ポールや架線のない線路はこれほどまでもスッキリ。C58牽引の貨物列車が冬晴れの朝を駆ける。 '67.2.19 思川-小山 P:高橋孝一

墨絵の世界

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後期の試験期間中に雪が降り、矢も立てもたまらず金子坂に行った。雪が止み、デコイチ重連が軽い雪煙を上げてやってきた。そこには、首都圏の近くとは思えない雪と蒸機の織り成す墨絵の世界が広がった。 '69.3 東飯能-金子 P:古屋伸夫

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家族旅行中の長野駅で、たまたま「ファミリーD51号」に遭遇、発車風景にあわててカメラを向けた。そのカットの端に、たまたま地上時代の長野電鉄長野駅が写っていた。それに気づいたのはつい最近のことである。 '72.8 長野 P:井芝七路

EF55復活!

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高崎-水上間で運転された、EF55復活記念列車です。美しい機関車に感激しましたが、秋田から運ばれた3軸ボギー車のスエ78の連結にも驚きました。 '86.7.25 上牧 P:采女 誠

C58重連

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C58の重連は陸羽東線に走っていたが、そんなに遠出しなくても地元ではしばしば見られたようだ。それまで、C62とか、D51だとかの重連ばかり追ってきたが、「灯台下暗し」か、地元にもこんな迫力のある重連が走っていたのだ。 '69.8.4 群馬藤岡 P:高橋孝一

浅間の煙

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浅間山が噴火の情報に夜行で早朝の中軽井沢へ。高原のひんやりした冷気の中を線路伝いに山の見える信濃追分方面に歩いた。肝心の噴煙はすでに穏やかになっていたが何本かのD50、D51の列車を撮ることが出来た。 '61.8.28 中軽井沢-信濃追分 P:中島正樹

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佐渡旅行からの帰り指定券も取らずに新潟駅へ。夏休みで満員状態。車内はクーラーが効いてとても気持ちよく上野までの快適な旅。小学生の頃に乗った東海道を走る151系特別急行「こだま」「つばめ」を思い出しました。初めて乗ったときのあの感動は今でも忘れられません。 '77.8 新潟 P:迫尾 肇

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夏休み友人と2人で行った足尾線。原向駅から国道をしばらく歩き、線路を見渡すお立ち台へ。沢に沿って谷間をゆっくりと走るC12はまるで模型のようでした。 '70.8.27 沢入-原向 P:鈴木一平

通勤列車

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沿線の通勤・通学用に朝夕各1本残っていた9600牽引の旅客列車。朝の822レを撮るべく早朝家を出て、荒川橋梁手前の築堤でギリギリ間に合わせたこの一発。しかし、あわてて撮ったため自分の影を写し込んでしまった。 '69.1.4 南古谷-指扇 P:中島正樹

思川を渡る

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東北本線と分かれた両毛線は市街地を抜けると広く開けた思川にさしかかる。C50が日差しを一杯浴びて堂々と旅客列車を牽く姿は、ここがとても東京近郊とは思えない光景だった。 '64.11.22 小山-思川 P:中島正樹

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横川駅下りホームでEF63を連結する見慣れた風景だが、もう40年以上も前のこと。この年の夏、東京-中軽井沢間に運転された臨時急行「碓氷」、真新しい大きなヘッドマークも、なつかしい。 '66.7.23 横川 P:高橋孝一

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1972年10月29日に八高線で運転された記念号を浅川橋梁で撮影しました。この498号機、現在も活躍中なのは嬉しい限りです。 '72.10.29 八王子-小宮 P:塚本英晴

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歩き疲れて、ここから電車に乗ろうと上熊谷駅のホームに上がると傍らをEF15がモーター音を響かせて貨物を牽いてきました。当時は、貨物と言えばEF15が定番の高崎線でした。となりのホーム側は、今はなき東武熊谷線です。 '67.6 熊谷─籠原 P:大澤 彰

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八高線から蒸気機関車が引退、綺麗に磨かれたD51 515がさよなら列車を牽引しました。雨の中、大勢のファンが名残を惜しみました。 '70.10.4 八王子 P:塚本英晴

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大学受験を控えていたが高3の夏休みに信州周遊券を使って中央西線、飯山線と同時に回ったときのもの。新宿から野辺山まで休日運転されていた臨時「八ヶ岳号」を八ヶ岳をバックに撮影した。 '72.8.12 野辺山〜清里 P:宮山幸雄

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旅行で軽井沢に行った際に出会えた碓氷峠を越える貨物列車の姿です。 '82.9 軽井沢-横川 P:齋藤功郎

間藤の風景

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この時代、精錬所のある足尾本山へは数本の貨物列車があった。足尾まで重連で牽引された貨物は小単位に組成され、C12単機で勾配に挑んだ。スイッチバック形式の間藤駅構内は駅へ立ち寄らず、構内外れからダッシュしてそのまま本山へと向かった。 '69.3.16 間藤 P:中島正樹

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桑名川までのスキー臨客に使われたC12がC56のラッセル車に付けられて飯山まで回送。雪晴れの飯山駅構内で静かに憩うC12 199の姿が見られた。 '72.1.3 飯山 P:中島正樹

列車交換

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1往復しかない通しの貨物(上り)を小諸から列車で追跡。岩村田、中込、八千穂と撮り進み、佐久海ノ口ではC56同士の交換を狙ったが、真夏のトップライトには負けた。バス窓のキハ10系がいいなぁ。 '71.8.11 佐久海ノ口 P:新井宏明