千葉駅が最近リニューアルされたが、この付近にはかつて旧千葉機関区があり、構内には総武・房総方面の8620やC58が集結し、整備に当たっていた。背後の架線は総武線、房総方面は右手に分かれて行く。 '59.3.11 千葉機関区 P:中島正樹
総武本線の最近の記事
車に同乗させていただき鉄道100年記念列車を1日で5回撮影チャンスに恵まれた。ここでは運よくC57 1のサイドビューを狙うことができた。 '72.9.30 横芝-飯倉 P:宮山幸雄
「はつかり」蒸機牽引終焉の頃にやって来た江戸川橋梁。松戸側から築堤を喘ぎながら登ってきたD51の迫力は山岳地帯の勾配区間に劣らなかった。 '60.12.4 金町-松戸 P:中島正樹
花見川へ友人たちとハゼ釣りに。高価な釣竿まで購入して挑んだ私たちだがアタリは全くない。隣で釣っている小学生のグループはバンバン釣れている。ハゼの天ぷらは夢となり帰りにスーパーでワカサギの唐揚げを購入、なんとも情けない一日だった。 '80.5 幕張ー新倹見川 P:都築雅人
めずらしく東京地方は大雪に見舞われた。早速、錦糸町駅へ。新小岩区のC57+C57が逆向き回送で両国駅へ向かって走り去って行った。 '69.3.12 錦糸町 P:服部邦義
天気の良い一日、友人を誘って佐倉周辺の蒸機列車を撮りに行く。総武本線・成田線の分岐する辺りから成田線に沿って進むと里山の間を縫ってC58牽引銚子行き列車が軽快にやって来た。この日は重連を含む各種の列車が楽しめた。 '65.11.28 佐倉-酒々井 P:中島正樹
営団地下鉄東西線乗り入れ用に造られた国鉄301系。デビュー当時は総武線カラーに合わせた黄色帯を巻いていました。西船橋駅から見る風景も長閑ですね。 '71年 営団地下鉄東西線 西船橋駅 P:田中 豊
成田電化を目前にした総武本線物井-佐倉間に出かけた。寺崎台地を迂回していた旧線ルートは架線も張られず、最後まで築堤の上を堂々と蒸機列車が走っていた。鹿島川湿地帯に架かる橋梁橋台は現在も有形文化財として残っている。 '68.2.11 物井-佐倉 P:中島正樹
国鉄最後の日、当時徹夜で買い求めた「謝恩フリー切符」を使い関東へ行った際に撮影しました。両国駅の団体・臨時ホームには165系9連の遠足列車が停車しており「友愛号」というマークが取り付けられていました。 '87.3.31 両国 P:泉谷 純
総武快速線が完成する前は、101系による快速運転が存在しており、中野〜木更津・成田の2系統を走行。各々運転区間を表記したヘッドマークを掲げて、総武線を快走してました。 '71.7 千葉 P:田中 豊
初めて友人と総武本線に訪れ、榎戸駅で下車。地べたにしゃがみ、親父に借りたカメラを構えて待っていると、8620がゆっくりと現れた。初めて見た大迫力の蒸機に圧倒され、手が震えて煙が切れた写真となってしまったが、今でもその時の興奮が忘れられない。 '69.3.26 総武本線 榎戸─八街 P:鈴木一平
川鉄五田保(ごたっぽ)門から国道16号線を横切って蘇我にやって来た専用線の列車。国鉄側ではDE10による組成やEF80の姿も見られた。 '81.7.18 蘇我 P:平蔵伸洋
新宿駅に停車中の急行「外房」です。このころは新宿駅始発の房総半島方面に行く急行が何本か設定されていました。使用車輌の165系は雪国や山岳路線のイメージが強く少し違和感がありました。 '82.7 新宿 P:鈴木岳人
C57 1は1972年春に羽越本線でお召列車を牽引した後、鉄道開通100周年記念では総武本線、成田線を走行しました。南酒々井の「お立ち台」に行くと、すでに三脚が林立しており、隙間に入れてもらって撮影した思い出の一枚です。 '72.10.1 南酒々井―榎戸 P:遊川 清
大学の鉄研の合宿の一環として、総武本線のC57を撮影に行った。築堤を駆け上るC57の勇姿にみな大いに感動した。 '69.9.12 飯岡 P:高橋孝一
春休み、総武線に蒸気機関車を撮りに行く途中、千葉駅で撮影。当時としては大変めずらしい、「おヒゲ」がかっこいい機関士サンをカシャッ。そうしたら「あんちゃん、こっちこ〜」と、キャブに乗せてもらい、記念写真を撮らせて頂きました。 '69.3.30 千葉 P:寺内 平
鉄道100年記念特別列車を車に同乗させていただき1日で4回撮影。この頃は総武本線は未電化で電化柱は立っているが、架線がじゃまにならずとらえることができた。 '72.9.30 八日市場-干潟 P:宮山幸雄