旧型客車ばかりだった羽越本線に50系客車が配置されたのは、本当に嬉しい出来事でした。新製配置直後で赤い塗装が本当に眩しかったのと裏腹に、全盛期は極めて短かったことが惜しまれます。 '78.8.3 羽越本線 酒田客貨車区 P:梅澤 浩
羽越本線の最近の記事
羽越本を走ってきたDD51牽引の寝台特急「日本海」が入線してきました。ホームで待つお客さんが一斉に注目しますが、この人々はこの後入線する「いなほ」待ちでした。 羽越本線 秋田 '72.8.4 P:牧 光一
電化が迫った羽越本線。上野から夜行列車で新潟に着き、羽越本線に乗り換えて降りた小波渡駅。まだまだ現役のD51は、重たい長大な貨物列車を懸命に牽引して、早朝の羽越路を北に向けて発車する。その姿は、迫力に満ちていた。 '72.11 羽越本線 小波渡 P:後藤 篤
早朝、新津駅を出発したD51 370牽引の秋田行833列車。まだ他に誰も乗客のいない先頭車両の旧型客車を独り占め。D51の力強いドラフト音と共に、木の背もたれから、ぬくもりが伝わってきます。 '72.4 羽越本線 新津 P:後藤 篤
小波渡駅で下車し、日本海沿いの撮影地に向かおうとしたとき、C57トップナンバー機が目の前に現れ、夢中でシャッターを切りました。 '72.4 羽越本線 小波渡 P:後藤 篤
鶴岡から藤島方面に進むと赤川の河原に出ると、D51牽引の下り旅客列車が築堤にさしかかった。辺りは菜の花が咲き誇り、羽黒山方面の雪解けも進んで遅めの春がやって来た。 '70.5.9 羽越本線 藤島−鶴岡 P:中島正樹
羽越本線が無煙化され日本海縦貫線の全線電化完成を迎えた日の坂町機関区です。役目を終えたD51はナンバープレートを外されて静かに休んでいました。 '72.10.2 坂町機関区 P:末近義治
白鳥の飛来で有名な水原の瓢湖を見物、その足で羽越本線をねらってみた。晴れていれば背後に飯豊連峰の山並みを望めるはずだが、昼から本降りの雪になってしまった。 '70.1.4 羽越本線 水原-神山 P:中島正樹
白鳥の飛来で有名な水原の瓢湖を見物、その足で羽越本線をねらってみた。晴れていれば背後に飯豊連峰の山並みを望めるはずだが、昼から本降りの雪になってしまった。 '70.1.4 羽越本線 水原-神山 P:中島正樹
5月の連休、残雪の鳥海山をバックにDD51牽引の上り列車が行く。ここでは蒸機列車を期待したが、かなりの旅客はすでに無煙化されしまった。 '69.5.2 羽越本線 小砂川-吹浦 P:中島正樹
新津駅を発車した羽越本線下り列車が信越本線と分かれ、右へカーブしながら築堤を登る。背後にはまだ蒸機で活気のあった新津機関区が煙っていた。 '70.11.3 新津―京ヶ瀬 P:中島正樹
春の日差しの中、C58の顔がすてきでした。 女鹿ー小砂川 '71.3.22 P:島貫隆夫
C57のトップナンバーがくると、それだけで嬉しくなりました。 '72.2.20 府屋ー勝木 P: 島貫隆夫
無事、村上駅までのお召し牽引を終了したC57 1号機。今度は新津まで回送されるのを撮影した。日章旗は外されていたがデフレクターの菊の御紋が輝いていた。煙も吐かず高速で走り去っていった。 '72.5.20 京ヶ瀬 P:武者秀男
浜辺の集落をかすめてD51重連が通過します。今でも、屋根の上にいる人たちが不思議です。 '71.3.22 女鹿ー小砂川 P:島貫隆夫
端整な長工式デフ装備のD51 324が旅客列車を牽引して雪の坂町駅に進入してきました。 '72.2.20 坂町 P:島貫隆夫
C57 1お召列車の走行中のカラー写真はこの一枚しか残っていない。しかし、架線柱もうまく煙で隠れ、今でも気に入っている一枚である。 '72.5.22 村上-新津 P:高橋洋二
梅小路蒸気機関車館開館のため北海道ではついに見ることがなかったC58 1号機が回送のため新津機関区に来た。美しく磨かれた1号機を見て感慨しきりだった。 '72.9 新津機関区 P:齋藤孝行
C57と海を撮影するためにここを訪問した。煙は薄かったが、天気もよく海も穏やかで気持ちよく撮影できた。20㎞先の粟島もくっきりと見えていた。 '71.12.6 越後寒川-今川 P:高橋洋二
真夏の笹川流れ。透きとおる海の色がきれいです。岩場と砂浜を歩いて撮影場所に行きましたが、迂闊にも歩いてきた足跡が砂浜に残ってしました。 '72.8.12 羽越本線 桑川-今川 P:武者秀男
夜行「佐渡6号」で到着後、新津駅から徒歩で地形図でみつけた築堤に向かう。電化柱は気にならなかったが電柱、木柱がご覧のとおり。 '72.3.30 新津-京ヶ瀬 P:宮山幸雄
石炭かき寄せ、給水、機関士と機関助士による点検、日常行われていた発車前の光景。 石炭かき寄せ、給水、機関士と機関助士による点検、日常行われていた発車前の光景。 '71.3.30 羽越本線 坂町 P:千葉武男
ファンも海水浴の人たちも、皆一緒に、列車に見入っていました。 '70.8 桑川ー今川 P:島貫隆夫
C57を待っていたら、機関士も蒸気機関車と同じ水を飲んでいました。 '71.5.4 坂町 P:島貫隆夫
酒田駅を通過した際、見かけた機関区の様子は活気にあふれていました。 '71.3.20 酒田 P:島貫隆夫
鉄道100年を記念して、イベントの他に映画やドラマも制作された。その中の一つ、ドラマ「大いなる旅路」のロケが新津機関区で行われ、主演の神山 繁さんの本番前リハーサルが続いていた。 '72.7 新津機関区 P:齋藤孝行
ナメクジが全身に潮を浴びて還ってきた。いたわるように集まる検修掛の人たち。煤と油と汗のナッパ服。その汚れは「安全」の証し。D51 82〔新〕。 '73.3.23 新津機関区 P:新井宏明
蒸機ファンにお馴染みの動態保存機D51 498。羽越時代に偶然フィルムに収まっていた。現役時代の走行。今川駅に帰りがけトンネルを出て来た所を何気なく撮ったワンカット。 '71.3.31 羽越本線 今川-桑川 P:千葉武男
1972年10月1日の羽越本線電化開業前には「日本海」はDD51牽引からEF81牽引に変わり運用開始されていた。この3月のダイヤ改正で「日本海」は不定期寝台列車になってしまう。 '72.9.24 砂越-北余目 P:武者秀男
前夜大阪を発った下り急行501レ「日本海」、酒田で乗務員が交代すると青森に向けて発車して行った。その後寝台特急に格上げされたが、今年の3月で定期運用から消える。 '64.2.15 酒田 P:中島正樹
鳥海山が小噴火した翌日、早速山麓の南鳥海まで行ってみた。しかし、山には何の変化も見られず、いつも通りの雄大な姿があった。その麓をED75牽引の普通列車がやって来た。 '74.3.3 南鳥海-本楯 P:中島正樹
小砂川で下車した後、線路に沿って鳥海山を左手に見ながら秋田・山形県境を越え、吹浦まで歩いた。中間の女鹿はまだ信号場でちょうど停車していた下り列車が出発するところだった。 '69.5.2 女鹿信号場 P:中島正樹
鶴岡に泊まって庄内交通や周辺を撮り歩いた。スカッと晴れて鳥海山や月山は良く見えていたが、ここ赤川河川敷からは残念ながら見ることが出来ず、菜の花を取り込んで「日本海」を撮った。 藤島-鶴岡 '70.5.9 P:中島正樹
亜幹線及び除雪車兼用として開発されたDD53。わずか3輌しか製造されなかったため、出会う機会は少なかったが羽越本線で黙々と貨物を牽く姿を何度か見ることができた。 '69.5.4 新発田-加治 P:中島正樹
羽越本線の電化完成で走り始めた最新鋭のEF81と最後の活躍を見せる陸羽西線のC58。この時期新旧交代のシーンが各地で見られました。 '72.8 余目 P:本荘裕二