‘13.3.10 京急ファインテック久里浜事業所 P:加藤弘樹
(鉄道投稿情報局より)
京急では、2扉クロスシート車である2100形のほか、デュアルシートを装備し「ウィング号」などでも活躍する1000形1890番代「Le Ciel」など、主に優等列車での使用が考えられた車両が存在しています。早くも引退から5年以上が経過した2000形も、晩年は3ドア通勤車でしたが、登場時は2ドアの特急車でした。
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■1982年に登場した美しい2ドア電車
昭和30年代に登場した2代目600形の置き換え用として、1982(昭和57)年に華々しくデビューした京急2000形。内装は集団見合い式のクロスシートとし、色も暖色系でまとめ上げた近代的なデザインに。塗装は先に登場した800形に続き、窓周りを太い白色が貫く塗り分けとしていました。また、前面形状もそれまでの京急に類を見ない「く」の字型に折れ曲がったスピード感溢れるスタイルで、腰部には角形のヘッド・テールライトを左右に配置。その外観は2ドア車体も相俟って非常に美しく、当時のレイル・ファンの憧れの的となりました。また、1983(昭和58)年には鉄道友の会ブルーリボン賞に輝きました。
■花形の2ドアは長くは続かず…
▲3扉化にあわせて細い白帯の一般色に塗色が変更された。
‘10.5.16 京浜急行電鉄本線 屏風浦 P:増永祐一
(鉄道投稿情報局より)
1982年から1987(昭和62)年にかけて、8連と4連のそれぞれが断続的に投入され、1986(昭和61)年には600形を完全に置き換え。1992(平成4)年からは有料座席指定列車「京急ウィング号」に抜擢。1995(平成7)年からは120km/h運転を開始し、名実共にフラッグシップとなりました。
ですが2000形の輝かしい時代は21世紀の訪れを前に終わりを迎えます。1998(平成10)年に後継となる2100形が登場。2000形では採用されなかった転換クロスシートを備えたVVVFインバータ制御の車両で、優等運用に充当されるようになります。これとほぼ同時に、3ドア通勤車に改造された2000形の第1陣が登場。塗装も窓廻りの白い塗り分けを廃し、細い白帯に変化。車内も車端部以外は一般的なロングシートに改造されました。この改造は2000(平成12)年までに完了し、以降は通勤車として活躍を続けます。
■晩年は往年のカラーに復刻 「エア急」運用にも
そんな2000形でしたが、3ドアに格下げ後はラッシュ時の通勤輸送のほか、4連は増結運用などをこなすようになります。その後4連は羽田空港方面の運用などが増えた一方で、8連は目立った活躍が見られなかった時期もありましたが、2010年5月に「エアポート急行」が運転開始され、8連はラッシュ時運用とこの「エア急」羽田空港〜新逗子間の運用に入り、一方の4連は増結と普通車の運用がメインとなりました。晩年の2000形と言われれば、この「エアポート急行」の運用に入っているイメージが強い方も多いのではないでしょうか。
▲上り最終運用となった、特急品川行の2011編成。最終日には長年慣れ親しんだ快特運用で35年強の現役生活に別れを告げた。
‘18.3.28 京浜急行電鉄本線 追浜~金沢八景 P:春日岳大
(鉄道投稿情報局より)
ですが、新たな活躍の場を与えられ安泰かと思ったのも束の間、2012年頃より4連の廃車が開始。2014年からは8連からも廃車も発生し、ついに京急2000形も終焉の時が近づいてきました。2013年にトップナンバーである2011編成が2ドア時代の窓廻りが白に塗り分けられる登場当時のオリジナルカラーに戻され、3ドアながら往年の姿の復刻ということで、注目の的となりました。
最後に残った2000形もこのリバイバルカラーの2011編成で、最後はブルーリボン賞受賞時のヘッドマークデザインを模したありがとうステッカーを先頭部に掲出。2018年3月に35年に亘る活躍に幕を下ろしました。
気がつけば「エアポート急行」の名称消滅が決定し、快特に「Le Ciel」を併結する形で一部の「イブニング・ウィング」が運行されるなど、次のダイヤ改正で京急はまた変化を遂げます。
ちなみに、2019年に引退した800形とともに、最終編成の2000形の姿が京急久里浜工場の敷地外から目撃されており、今後の去就が注目されています。80年代に登場し、華やかな快特、そして身近な普通や、空港に直結するエアポート急行など、マルチに活躍したかつてのフラッグシップである2000形の姿を、また見られる日は来るのでしょうか。
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P:上石知足