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3447両も作られた電車は最終章へ。和田岬線103系引退!今も会える線区は?

2023.03.18

text:鉄道ホビダス編集部

‘22.10.8 山陽本線(和田岬線) 兵庫〜和田岬 P:芦原やちよ

 今から丁度60年前の1963年の3月に山手線で産声を上げた通勤電車、103系。この系式は先代の101系通勤型電車の改良版という位置付けで、その後全国の通勤路線で活躍することとなりました。その総製造両数は3447両と、単一系式の製造数の多さではいまだに破られることのない記録となっています。そんな103系は国鉄民営化後、新型車の導入により急速に数を減らし、21世紀に入っても多くが活躍していた関西圏でも、和田岬線でいよいよ終焉の時を迎えようとしています。

 さらに今後103系はどこに行けば会えるのか、そちらもあわせて見ていこうと思います。

↓残る車両は!?今も現役な103系の画像はこちら↓

■オリジナル0番代で残る和田岬線103系、いよいよラストラン

‘22.10.8 山陽本線(和田岬線) 兵庫〜和田岬 P:芦原やちよ

 和田岬線とは、兵庫駅から和田岬駅までの全長2.7kmの短い路線で、扱いとしては山陽本線の支線となります。沿線は工場や倉庫などが立ち並ぶ地域となっており、通勤輸送に特化したような運行形態です。その詳細は朝の時間と夕方〜夜の時間帯のみで営業運転を行ない、日中は土日祝日を含めて運行されず、日曜に至っては朝1往復、夜1往復のみしか走ることはありません。また現在の103系が入る以前は非電化路線で、JR化後しばらくは旧客使用の客車列車で運行されていました。その後1990年10月から気動車化、2001年の電化により103系が入線してきました。

 ●和田岬線103系R1編成 6両のプロフィール

↑兵庫

・クハ103-247 1973.7.19落成
・モハ103-389 1973.7.19落成
・モハ102-545 1973.7.19落成
・モハ103-397 1973.7.30落成
・モハ102-553 1973.7.30落成
・クハ103-254 1973.7.30落成

↓和田岬

 和田岬線で活躍する103系R1編成の6両は、ここに来る以前は森ノ宮電車区に所属、大阪環状線をぐるぐる回っている電車でした。先述の通り2001年の和田岬線電化に際してこの6両は森ノ宮から明石へ転属。色もバーミリオンオレンジからスカイブルーに改めて、今まで活躍してきました。
 車両の特徴としては全車が昭和48年度民有計画により川崎重工にて落成した車両で、兵庫方3両と和田岬方3両は落成当初は違う編成に組み込まれていました。その後同一の編成に組成され、8両を組んでいましたが、2両を抜き取った6両にした上で和田岬線へと移りました。奇しくも、6両の製造元である川崎重工のすぐ脇を通る和田岬線で最後の活躍を続けており、不思議な縁を感じざるを得ません。

 JR化後の1994年には延命を目的としたN40工事を施工。窓は黒色のサッシに交換され、車内も徹底的にリフレッシュされました。また、兵庫方3両と和田岬方3両で施工タイミングが異なったため、工事メニューにも若干の差異があり、兵庫方3両には妻窓が残されたままとなっているところも注目ポイントでした。

 N40工事も大幅な延命工事と言えますが、90年代後半頃から始まった体質改善40N・30Nなどと比べるとベンチレーターも残存している上に、このR1編成の前面窓ガラスには金属製のカバーが付けられず、原型に近い剥き出しのゴム押さえとなっており、懐かしい103系らしい103系の姿を見ることができました。

 そして引退を前に2023年3月から引退記念のHMや中吊りを設置。有終の美を飾りました。

■103系は今どこで会える?

 ●播但線

‘22.04.07 播但線 京口 P:三屋敏幸
(今日の一枚より)

 さて、ここからは和田岬線撤退以降の103系運行路線を紹介していきます。まずは播但線。ここでは、国鉄オリジナルのカラーでは存在しなかったワインレッドに身を包んだ2両編成の103系3500番代が在籍しており、クモハ103形3500番代とクモハ102形3500番代の2両から組成されます。いずれの編成も改造車となっており、クモハ102形3500番代は先頭車化+40N体質改善工事を同時に施工、クモハ103形3500番代も元来は中間電動車でしたが、クモハ103形5000番代に改造されその後2500番代へ、そして3500番代(播但線)になるという改造に改造を重ねた車両です。改造車ながら、いずれの形式も103系オリジナルに近いフロントマスクを持っている上に、併結作業やオールM車4連の快走も見られ、注目が集まります。

 ●加古川線

‘21.10.02 加古川線 神野~厄神 P:城市 洋
(今日の一枚より)

 加古川線で活躍するのは3550番代2両編成。こちらも播但線同様改造車ながら、その様子は大きく違います。すでに40N体質改善工事がされたモハユニットを改造して生まれた形式で、前面も貫通扉と窓下のヘッドライトが目を引く特徴的なデザインをしています。
 とはいえ、車体色はかつての常磐快速線103系と同様の青緑1号。体質改善工事で大きく雰囲気は変わったものの、少し懐かしいカラーリングを今も纏っています。なお、写真のような4両編成は現在では残念ながら見られません。またいつか播但線同様にオールM車の4連運用を見られる日が来ることを願うばかりです。

 ●筑肥線

(※写真の編成は既に廃車済み)

‘15.2.27 鹿児島本線 門司 P:衛藤拓史
(鉄道投稿情報局より)

 筑肥線では103系末期に登場した番代区分である1500番代が今も現役です。この車両、103系ではありますが、当時製造していた201系に近い車体構造をしており、さらに前面は105系に近い所謂「パンダ顔」で、それまでの103系のイメージとは大きく異なる点が特徴でした。当初より福岡市営地下鉄への乗り入れに対応して製造され、さらに103系新造車では唯一戸袋窓を付けずに落成し、まさしく103系の最終形態とも言える装いでした。

 落成当時はスカイブルーにクリーム色の帯が新鮮なカラーリングでしたが、民営化後はJR九州らしい赤を基調とした塗装に変更。その後さらに簡略化したカラーリングに変更され今に至ります。現在では後継車305系の登場で地下鉄直通運用からは退いており、筑前前原〜西唐津間で余生を過ごしています。

 大量に製造され、全国の直流電化通勤路線で長年活躍した103系。誕生から60年の節目を迎えた今年、同車の今後の動向に注目です。

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