text & modeling:瀧口宜慎(RMM)
photo(特記以外):羽田 洋
↓ク5000と共に活躍した機関車や貨車の写真はこちら!↓
■ク5000登場の背景
戦後の鉄道貨物による自動車新車輸送は、無蓋貨車に数台の自動車を乗せ、転動防止に木材やワイヤーで簡易的に固定するといった方法で、荷役の効率の悪さはもちろん、その都度検査と煩雑な手続きも必要とされ、ごく少量が輸送される程度のものでした。
昭和30年代に入ると、経済成長と共に自動車の需要は高まり、新車を生産拠点から消費地まで大量に輸送することが求められるようになりました。そこで自動車メーカー自身が、輸送する車種に合わせた物資適合貨車として、クム1000、クム2000、クム3000、ク300の4形式を製作しました。これらは荷役にクレーンが必要であったり、貨車自体に昇降装置やターンテーブルを搭載させた結果車両コストが高くなってしまったり、搭載する自動車がモデルチェンジすると貨車に改造が必要になったりするなど、色々な問題が残るものでした。
▲「マンモス」の愛称で親しまれたEH10牽引のク5000貨物列車。
’80.2.21 東海道本線 山科 P:中司純一
(消えた車両写真館より)
そこで国鉄は、自動車メーカーや車種にとらわれず搭載が可能で、荷役自体も自動車が自走して積むことができる簡便で効率的なもので、専用積降装置はあらかじめ決められた貨物駅に置き、車両間の自動車の移動も渡り板によって自走でき長編成の列車でも効率的な荷役が可能な貨車を構想したのです。そしてシム10000、ク9000などの構想・試作車を経てク5000が完成し、1966(昭和41)年より籠原、大宮操、東小金井、川崎河岸、横須賀、厚木、笠寺、百済、川西池田の9駅を荷役拠点に営業運転が開始されました。 汎用性の高いク5000は自動車メーカーにも好評で、登場の翌1967年には18~19両(最終的には20両)を連結した専用編成により首都圏と九州を結ぶ特急貨物列車「アロー号」も運転開始されました。そして荷役扱い駅は最盛期の1970(昭和45)年には29駅まで拡大したのです。
その後の輸送量は1973(昭和48)年をピークに、道路事情の改善や、他の貨物と同様ストライキや値上げの影響もあり、減少に転じて行きました。1985年にク5000による自動車輸送は一旦終了の後、翌年に宇都宮〜本牧埠頭間に日産自動車栃木工場の輸出用車を運び出す列車が復活、JR化以降にも継続されましたが、1996(平成8)年をもってすべての運行が終了しました。
■2019年に発売されたKATO製ク5000を見る
KATOでは古くからリリースされている形式で、製品の初登場は今から40年近く前の1980年までさかのぼります。現在のようにカラフルなコンテナもまだ少ない中で、赤い車体に自動車が搭載できる貨車は模型的にも非常に映え、花形のひとつであったことが製品化の早さからもうかがえます。それから38年が経った昨2018年に、KATOから再び完全新規品によるク5000が登場したのです。実車さえも1996年に廃車となっており、再生産さえなかなか難しいだろうと思われた中での完全リニューアルでした。
骨組みだけの車体はウエイトを収めるスペースを取ることが難しく、旧製品では床面の造形を施した金属パーツがウエイトを兼ねた床板として使われていたのが印象的でしたが、新製品の床板にはプラスティックによる上面と下面の二層の板材が使われており、ウエイトは床下に2ヶ所ある自動車シート格納箱のディテール箇所に収められているのみ、これでもバランスの取れたウエイト効果は十分得ているようで技術の進歩が見て取れます。
台車のTR63Cはスケールを重視した結果、旧製品よりも軸距はやや狭くなった印象ながら、一方で外側に飛び出したブレーキ引き棒はより長く飛び出し、黒染め車輪の採用も相まって、一層重量感のある足元となっています。
車体はスケールに合わせ適正に再設計。旧製品と並べると新製品が一回り小さいことが近年よくありますが、ク5000では車体長は旧製品とほぼ同寸で、車体高のみ床高さ含め1mmほど新製品のほうが低く仕上がっています。そのほか手スリやステップなども若干細く表現され、車体色も鮮やかな印象になりました。旧製品と新製品とを連結すると、旧製品が色褪せて見えることがありますが、ク5000に関していえば、旧製品の作りもシッカリしたものであったこともあり、新旧混ぜても違和感は少なく済みそうな印象です。ちなみに所属標記は新製品では単品が「南チサ」、6両セットのものには「南チサ」、「高ラノ」「静ヌマ」の各地の発送基地駅の標記が2両ずつ入る内容です。
■新製品をよりリアルにする!
製品では自動車を搭載するタイヤガイド部分も一体成型の車体色となっており、ここにメリハリを出すための製品付属品として、グレー塗装(もしくは滑り止め)を帯状のシールによって再現できるようにしています。このシールを貼るには2階部分と床板部分のパーツを分離する必要がありますが、車体床裏側に小さな爪が数ヶ所付いているので、2階部分を含む上部を指で広げて行くと爪が外れ床板と分解できます。シールの長さはタイヤガイドの端部に合わせて貼っていくと丁度よく収まるようになっています。 搭載用の自動車として、KATOでは古くから1978〜79年に製造のトヨタ・クラウンの5代目後期型MS100系を模した「自動車クラウン 6台入り」がリリースされていますが、実物では搭載自動車の汚損防止のため、ほとんどの場合は赤褐色シートが掛けられており、今回はそういった事実も鑑みて「ク5000積載用カバー付自動車 8台入」も発売となりました。
ク5000自体は鮮やかな朱色の車体ですが、使い古され、かつ落ち着いた雰囲気を出すことにし、ウォッシングを試みました。使用したのはタミヤ「スミ入れ塗料」のブラックとブラウンとグレーの3色を混ぜたもので、一旦車体全体にスミ入れ塗料を塗り、半乾きの段階で綿棒にエナメル塗料用溶剤(X20)を染み込ませ、今度はスミ入れ塗料を拭き取ります。こうすることで角にスミがたまりディテールが際立つほか、全体に使い古された感じも出るのです。
「ク5000積載用カバー付自動車」も成型色のままのようなので、古ぼけた感じとするため、スミ入れ塗料を塗ります。こちらはウォッシングはせず、全体に平筆で塗ったらそのまま乾かして終了です。
ク5000への自動車の搭載ですが、タイヤガイドの内側の縁が自動車のタイヤ内側にピッタリ嵌るようになっているので、ここに嵌めれば、自動車が外れてしまうことはありません。
■忘れちゃいけない、荷役風景に欠かせない「あるもの」
ク5000といえば貨物駅での荷役風景に欠かせないのが積降装置とスロープです。ここではエヌ小屋製のキット「ク5000車搬入出スロープ」を組み立ててみました。レーザーカットによるアクリルとペーパーによるキットで、昇降式の積降装置がアクリル製、スロープと渡り板がペーパー製です。 実物は基部となるスロープ状ホームの溝に従い積降装置が左右にスライドする構造で、列車妻側から自動車の積み下ろし作業を行ないました。
塗色は実物のカラー写真がなかったのと、恐らく地域や時期で変わっていたことも考えられるので、基部のスロープはコンクリート、アスファルト風に、積降装置は京阪ライトグリーンで塗ってみました。
■おわりに
ク5000といえばバリエーションとしてトリコロールカラーを忘れてはいけません。JRに継承され運用された宇都宮〜本牧埠頭間の「ニッサン」号に採用された色で、KATOの旧製品ではトリコロールカラーとしてスカイブルーに朱色のものがリリースされていましたが、こちらも2020年にカラーバリエーションで登場しました。模型として専用列車の再現はもちろんのこと、実際に存在したコンテナ列車への併結も再現すると面白そうです。
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※こちらの記事は『RM MODELS 288 2019年8月号』の記事から抜粋しており、情報は当時のものとなります。あらかじめご了承ください。