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■乗ってたのしい「パノラマライン」
「○月の鉄道のデキゴト」は、当月にあった過去の鉄道の「デキゴト」(路線の開通や車両の新製・廃車、そのほかの事件など)を振り返るコーナーです! ティーブレイクにでも気軽にお楽しみください。
▲開業時に登場した100形(左)、300形。2軸車で、その後の車両より全長が短かった。当初の車体色はクリーム色+水色。
‘66.4.29 東京モノレール 大井競馬場前 P:長谷川武利(消えた車両写真館より)
今回は、ぐっと遡って57年前となる1964年9月17日のデキゴトから振り返ってみましょう。1回目の東京オリンピックが開催されたこの年、鉄道の世界では東海道新幹線の開業(10月1日)が最大のトピックでしたが、オリンピックに間に合わせなければならない事情があったのはこちらも同じ。ご存じ東京モノレールが営業を開始したのがこの日のことでした。
▲車両基地公開イベントで並んだ現代の各系列。左が10000形、右2本は1000形。
‘18.10.6 東京モノレール 昭和島車両基地 P:福田智志(鉄道投稿情報局より)
成田空港ができるまで、東京エリアで唯一の民間空港であった羽田空港(東京国際空港)。このモノレールが出来るまでは鉄道でのアクセスは非常に困難で、強いて言えば京浜急行電鉄穴守線(1963年に空港線に改称)がありましたが、同線羽田空港駅は実際には空港施設とはかなり離れており、事実上はタクシー、バスまたは自家用車でしかアクセス不能でした。そこで東京オリンピックを契機に、都心と空港をダイレクトに結ぶ高架鉄道として企画されたのがこの東京モノレールだったのです。
▲開業50周年の2014年、「ヒストリートレイン」として各種復刻塗装車が登場した。写真は500形塗装の1000形。
‘14.1.19 東京モノレール 羽田空港国際線ビル P:福田智志(鉄道投稿情報局より)
システム的には跨座式の日立アルヴェーグ式で、先だって1962年に開業していた名鉄犬山モノレール(2008年廃止)と同様でした。その関係もあり、当初の東京モノレールの経営には名古屋鉄道、日立製作所も関与していたのは語り草。名鉄はその後早期に離脱し、その後は長く日立グループの一員でしたが、2002年からはJR東日本グループになっています。
▲跨座式モノレールがトンネル内を行く光景は未来感があふれている。
‘21.6.21 東京モノレール 天空橋 P:平田秀斗(今日の一枚より)
路線の始発駅は一貫して浜松町ですが、終着駅は空港の発展と共に移動があり、開業時の終点・羽田空港駅は今の天空橋駅(1993年延伸および改称)。1993~2004年までの終点・羽田空港駅は今の羽田空港第1ターミナル駅。今の終点である羽田空港第2ターミナル駅(誕生時は羽田空港第2ビル駅)は2004年開業。そして2010年の羽田空港の国際線復活と共に、羽田空港国際線ビル駅(現・羽田空港第3ターミナル駅)へ寄り道する形で線形が変わっています。
▲モノレールの特性を活かして急勾配区間もあり、線形は変化に富んでいる。
‘20.3.22 東京モノレール 羽田空港第3ターミナル〜新整備場 P:赤沢節子(今日の一枚より)
その間、前述した京急空港線も1998年に念願の空港直下への乗り入れを開始、以後熾烈なライバル関係となっているのはご存じの通り。さらに東京モノレールの親会社であるJR東日本自身が羽田空港アクセス線(仮称)建設計画を打ち出しています。羽田空港への「足」の未来図は一体どうなるのか、楽しみなところです。