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特集・コラム

8月の鉄道のデキゴト「総武流山電鉄→流鉄への社名変更(2008年)」

2021.08.31

text:RM

略称みたいな正式会社名

 「○月の鉄道のデキゴト」は、当月にあった過去の鉄道の「デキゴト」(路線の開通や車両の新製・廃車、そのほかの事件など)を振り返るコーナーです! ティーブレイクにでも気軽にお楽しみください!

▲現在の流鉄は、元西武新101系の5000系2両編成×5本で営業中。写真は5001編成「さくら」。
‘18.8.25 流鉄 小金城趾~鰭ヶ崎 P:堀 裕一(鉄道投稿情報局より)

 今回は、13年前となる2008年8月のデキゴトから振り返ってみましょう。千葉県のローカル私鉄、総武流山電鉄が、流鉄(りゅうてつ)へと社名変更を行ったのがこの年の8月1日のことでした。

▲流山電気鉄道の電化時に導入された、元南武鉄道のモハ100形。同形4両が在籍した主力形式だった。
‘79.3.9 総武流山電鉄 流山 P:名取紀之(消えた車両写真館より)

 常磐線の馬橋(松戸市内)から流山市の中心地である流山まで、わずか5.7kmのミニ私鉄として知られる同社。歴史自体は1916(大正5)年開通と大変古く、ただし開業時は762m軌間の軽便鉄道、社名も流山軽便鉄道、動力車は当然のように蒸気機関車でした。

 その後、馬橋駅での貨物積み替えの解消のため1,067mm軌間への変更を企図し、まず1922年に社名を流山鉄道へ変更。改軌は1924年に実現しました。その後、旅客列車はガソリンカーが導入されています。

▲モハ1101は、1947年三井造船玉野製作所製の京浜急行初代400形の車体と、手持ち部品を組み合わせた下回りにて製造された車両。
‘80.2.20 総武流山電鉄 流山 P:前 直也(消えた車両写真館より)

 次の変化は第二次大戦後、燃料不足によって電化が企図され、1949年に電化完成、追って1951年に社名を流山電気鉄道へ変更しています。この社名はつづいて1967年に略する形で流山電鉄に、そして1971年には主要株主の社名を取り入れる形で総武流山電鉄へと矢継ぎ早に変更されました。

▲社名変更と同年に開催された鉄道の日記念イベントにて。写真左が「なの花」号(元西武701系)、右が「流星」号(元西武101系)。
‘08.11.2 流鉄 流山車両基地 P:福田智志(鉄道投稿情報局より)

 しばらくその社名がつづいたのですが、2008年8月、前述の通り「流鉄」へと社名が変更されました。まるで略称のような正式社名であることもユニークですが、地元で「流鉄」という略称がそれほど普及していた感はありません。強いて言えば、松戸駅西口のロータリーに面した自社所有ビルの名称が昔から「流鉄松戸ビル」で、壁面に「Ryutetsu」という飾りロゴが付いていたくらいでしょうか。

▲流鉄流山線の沿線からは外れているが、松戸駅西口ロータリーに面した「流鉄松戸ビル」には「Ryutetsu」のロゴが掲げられている。
‘20.4.11 千葉県松戸市 P:羽山 健

 なお、この時に正式な路線名も「総武流山線」から「流山線」となり、営業上の案内は「流鉄流山線」としてすっかり定着したようです。

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