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特集・コラム

8月の鉄道のデキゴト「京阪大津線、集電装置をパンタグラフ化(1970年)」

2021.08.27

text:RM

■古都を行くポールカーも徐々に近代化

 「○月の鉄道のデキゴト」は、当月にあった過去の鉄道の「デキゴト」(路線の開通や車両の新製・廃車、そのほかの事件など)を振り返るコーナーです! ティーブレイクにでも気軽にお楽しみください!

▲260型一次車のポール集電時代。
‘66.7 京阪電気鉄道京津線 浜大津 P:永野晴樹(消えた車両写真館より)

 今回は、かな~り古いお話。51年前となる1970年8月のデキゴトから振り返ってみましょう。京阪電気鉄道の大津線(京津線と石山坂本線の総称)車両の集電装置が、トロリーポールからパンタグラフへと変更されたのが1970年8月23日のことでした。

▲単行で京都市内の併用軌道を行く80型。
‘64.10.16 京阪電気鉄道京津線 東山三条 P:柿浦和敏(消えた車両写真館より)

 トロリーポールとは、屋根上に搭載された長いポールの先端に、架線に接する滑車状の車輪もしくはU字断面の擦り板を備える集電装置で、電車用の集電装置として最も初期から存在するもの。構造が単純で、架線側の設置精度がさほど高くなくとも対応可能ということで、路面電車などでは長期間主力でした。しかし離線が生じやすいことやその復帰作業には熟練の人手が必要なこと、折り返し時には改めて後方となる側のポールを上げなければならないことなど、時代の要請に応えられない部分も多く、この頃多くの路線でパンタグラフなどへの移行が進められました。現時点で、国内でポールを使用している営業路線は存在しません。

▲左が260型、右が300型。共にパンタグラフ化後の姿で、三条~石山寺直通準急同士のすれ違い。
’81.1 京阪電気鉄道 三条 P:清水祥史(消えた車両写真館より)

 京阪電鉄では、大津線だけでなく本線系統でも開業以来トロリーポールが使用されていましたが、本線系統は戦前の1932年にはパンタグラフへの移行が完了。本線から大津線へ直通する車両としてその頃登場した60型「びわこ」号は、ですのでパンタとポールの両方を搭載していました。そして1960年代になって大津線もパンタグラフ化が計画され、1968年にはそのために逢坂山トンネルの掘り下げ工事が竣工。満を持して1970年8月23日、一斉にパンタへの変更が行われたのです。

▲60型「びわこ」の末期の姿。本線走行用のパンタが搭載されているが、これを使用して大津線を走行することはなかった。
’63.4 京阪電気鉄道京津線 浜大津 P:柿浦和敏(消えた車両写真館より)

 当時の主力車両は、各駅停車用が80型、急行用が260型・300型・350型などで、特に増備真っ最中であった80型はラストの3両は当初からパンタ搭載で登場となりました。また、前述の名物車両60型は移行直前の1970年7月30日に定期運用を離脱しており、大津線内でのパンタ走行の経験はありませんでした。

▲京津線と京都市営地下鉄東西線との乗り入れ開始により、京津線車両はこの800系に置き換えられた。
‘08.2.1 京阪電気鉄道 浜大津~上栄町 P:高橋一嘉(台車近影より)

▲石山坂本線用600型に、60 型「びわこ」の登場時の塗装を施した編成。
’20. 9.11 京阪電気鉄道石山坂本線 南滋賀~滋賀里 P:橋本青空(鉄道投稿情報局より)

 京津線はその後1997年10月に京津三条~御陵間の廃止と京都市営地下鉄東西線への乗り入れが開始され、800系が投入されました。かつてポールカーがのんびり走っていた区間を、小ぶりとはいえ4両編成が堂々と走るようになるとは…。しかし随所に歴史を物語る施設や独自性ある部分が残っており、今もファンの興味を惹きつけて止まない路線だと言えるでしょう。

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