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旧餘部橋梁は、なぜ錆び落ちなかったのか…? ~WEB記事『錆と闘った人たち―旧餘部橋梁の知られざる営為』

2021.07.21

text:RM
画像はWEB記事『錆と闘った人たち―旧餘部橋梁の知られざる営為』より抜粋

 山陰本線・鎧~餘部間に架かる、あまりにも有名な鉄道橋、餘部橋梁。今でこそ近代的な鉄筋コンクリート橋に架け替えられているが、元は赤茶色に塗られた鉄骨製のトレッスル橋で、地上からの高さは実に約40m、地上から、あるいは餘部駅付近の展望台から見下ろす姿は美しく、旅行者にもレイル・ファンにも愛された存在であった。

 しかしここで素朴な疑問がある。いかにも荒々しい日本海の海際に近いこの立地で、いくら塗装されているとはいえ鉄骨製の橋脚・橋桁は錆びなかったのだろうか…? 海岸線からの距離はわずか70mほどであり、常時潮風にさらされ、ひとたび海が荒れれば海水の飛沫そのものが降りかかる、鉄にとっては最も過酷な環境だ。架橋された明治時代の建築界の常識では「このような海のそばに架けられた鉄橋の寿命は20年ほどだ」とも言われていたという。

 しかし実際には1912(明治45)年3月に開通、2010(平成22)年に役目を終えるまで実に98年間の寿命を全う。強風による列車転落という悲惨な事故が1986(昭和61)年に発生してしまったが、橋梁の強度に起因する事故は一度も起きなかった。

 定期的な塗り替えなどのメンテナンスが行われていたのは容易に想像できるが、それだけで十分であったはずはない。特に初期の時代においては塗料の性能も十分ではなかったはずだ。塗膜の下に入り込んだ水分や塩分が鉄を腐食させ、塗膜が浮き始める。そのようになった塗膜は一旦すべて削り落として下地を整え、再度複層に渡る補修塗装をしてやらないとあっという間に周囲に腐食が進行する。この時に万一手抜き施工をしてしまうと物事はさらに厄介になる。つまり一見見た目が健常に見えるその下で腐食が進行するという、最悪な状況になるのだ。

 結局、餘部橋梁では、常時2名の「繕いケレン」従事者が現場に常駐することになった。日々、高所かつ足場がない状況で、不自然な姿勢でのケレン作業(古い塗膜の剥離)から補修塗装までを途切れなく行っていたという。まさに自然相手の終わりのない、地道な作業であっただろう。代々受け継がれて計5名が従事したこの仕事、塗料や工法の進歩により1965(昭和40)年に廃止されたが、その後も50年近く橋梁が健全を保ったのは、初期の頃から丁寧な保全作業が行われていたからに相違ないと思われる。

 国鉄福知山鉄道管理局の土木部門に在籍された尾形 貢さんは、こうした餘部橋梁の設計・建設・補修維持に関わった人たちの知られざる苦労に焦点を当て、この度『錆と闘った人たち―旧餘部橋梁の知られざる営為』としてWEB上に発表された。鉄道の安全がいかに多くの人手と時間を掛けて実現されているのか…大変読み応えのある一編となっており、ご一読をお勧めしたい。

🔶当該WEB記事はこちら
🔶兵庫県WEBサイト内「餘部橋梁の概要」

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