取材日:’21.4.15
text & photo(特記以外):羽山 健(RM)
同行取材:遠藤イヅル 取材協力:天竜浜名湖鉄道
レイル・マガジンで好評連載中の「シーナリー散歩」。全国の鉄道路線を訪ね、思わず模型にしてみたくなるような魅力的なシーナリーを見つけてご紹介しております。2021年7月号では天竜浜名湖鉄道の前編として天竜二俣駅を取り上げました。前回の更新からだいぶ間が開いてしまいましたが、今回の3回目では、車両基地内の主役的存在である転車台と扇形庫を紹介してまいります。
▲転車台越しに4線の扇形庫。平日昼下がりの平和な情景。
現役の転車台を有している車両基地は国内に30ヶ所以上あるとされますが、日常的に使用しているところはどのくらいあるのでしょう? 転車台の最大の目的は蒸気機関車の前後転向であり、その周囲に扇形庫を設置すれば機関庫として理想的なスペース配分ができた時代がありました。しかし転車台を実質使用する必要がない無煙化後は、通常の留置線に矩形庫を設置する形態へと多くの車両基地が移行。残された転車台は、SL列車用を除くと、気動車の転向などイレギュラーにしか用いていないものが多いと思います。
▲下路式のためピットは比較的浅め。左手に操作室がある。
▲扇形庫を背にしての撮影。
その点、この天竜二俣の運転区では扇形庫内で日常的な点検修理を行っており、その振り分けのために転車台は毎日頻繁に動作しています。取材中の1時間強の間にも2両が出庫し、その度に転車台が回転するシーンを見ることができました。
本来、毎週末に新記事アップを予定している「シーナリー散歩 WEB編」ですが、都合によりまだ更新できておりません…代わりと言っては何ですが、TH3501が出庫し、ターンテーブルで転回するシーンの動画をご覧ください。取材日は4月15日、同車はその後5月23日に最終運行を行いました。 pic.twitter.com/BCPu8GsE43
— Rail Magazine(レイル・マガジン)【公式】 (@RM_nekopub) June 20, 2021
さてこの転車台、建設年は遠江二俣機関区開設の1940(昭和15)年とされていますが、主桁に残されている製造銘板によると1937(昭和12年)、横河橋梁製作所東京工場製と記されています。
▲主桁に残されている製造銘板。
▲中央部の受電装置。
▲操作室はアルミサッシ化されていた。
主桁の全長は18mと中型で、同区の主力であったC58形にはピッタリ。とはいえ、国鉄時代の写真では20m級のキハ10・20系が使用していた記録もあります(前後台車が乗っていれば、多少はみ出しても回転は可能なため)。下路式のためピットは比較的浅め。中央部に受電装置が設置されており、電動にて動作します。操作室は電話ボックス程度の縦長の小屋で、窓はアルミサッシ化されていました。
▲1番線から顔を出しているTH2107。
▲引いた位置から扇形庫の正面を見る。国鉄時代はさらに右手に5・6番線まであった。
次に扇形庫を見ていきましょう。全木造の4線式ですが、かつては正面右手にもう2線の計6線庫でした。なので右手の側面は窓のないスレート板張りとされ、他の壁面とは様式が異なります。
▲かつての5・6番線部は現在建屋なしの洗車線となっている。
▲さらにその右手に、単線の近代的な検修庫がある。
開けられた2線分のスペースには線路自体は残っており、主に洗車線として使用されているようです(余談ながら、同社の車体洗浄は手洗いがメインとのこと)。そしてそのさらに右手に、スレート張りの近代的な単線の検修庫があり、定期検査などはこちらの中で行われるとのこと。
▲扇形庫内は木組みの柱が張り巡らされ、どことなく荘厳な雰囲気。
▲建屋の規模の割に、空間内の柱が少なく、壁面で強度を担っているようだ。
▲庫内2番線には鉄骨製の屋上点検台が線の両側に設置されている。
庫内に入ると、縦・横・斜めに張り巡らされた角材による大変丈夫そうな架構を見ることができます。空間に建つ柱は少なく、また明かり採りから入る外光にて適度な明るさも感じられました。各線にピットが掘られ、さらに一部の線には後年追設されたであろう屋上点検台がありました。
▲庫内の線路に直行する形で敷かれていたトロッコ用の線路。現在は使われていないようだ。
そしてこれらの庫内線に直行する形の線路があることにも気づきました。これは扇形庫正面向かって左手の工作室から繋がっているトロッコ用で、機器の移動に使われていたそうです。
▲敷地外から見下ろした扇形庫の背面。
▲洗車線のやはり背後から見る。
▲カーブを描いて左下に消えていくのが本線・掛川方面。右手奥に天竜二俣駅がある。
敷地の外は小高い丘になっていて、少し俯瞰気味に扇形庫の背面を観察することができます。背面は現在でこそスレート張りに改装されていますが、かつては縦目の板張りで、今よりもっと大きな採光窓が開いていたようです。また屋根上にはかつて排煙筒が立っていましたが、これも撤去されて平板なスレート葺きとなっています。
次回はこの扇形庫に併設の、元工作室を利用した鉄道歴史館などを見ていきましょう。