1987年4月1日、日本国有鉄道からJRへ移行の日を迎えた。185系電車は227両全車が1両も欠けることなくJR東日本に承継された。東海道・伊東線の「踊り子」グループも高崎・上越線の「新特急」グループにも大きな変化はなかった。しかし、JR東日本では民営化3年後に伊豆へのリゾートを強く意識した専用特急電車251系を登場させる。2階建てや展望席を含む魅力あるスタイルで登場した251系電車は「スーパービュー踊り子」の名前ともに一躍伊豆特急の人気を独占した。スーパービューの登場後も185系は黙々と伊豆への道を走ったが、長い間続いた主役の座を去ったことは否定しがたい事実であった。
▲185系「踊り子」と並ぶ251系「スーパービュー踊り子」(左)
’20.2.1 伊豆急行 川奈 P:通い妻
(185系思い出ギャラリーより)
誕生したときには汎用性を売りにした185系が、伊豆観光に特化した251系にスターの座を追われることになったのには両形式の誕生に関わった者として、言い知れぬ複雑な思いを持たざるを得ない。185系が誕生してから約15年が経過した1995年に新前橋配置車に、1999年に田町配置車のリニューアルが実施された。JR移行後登場してきた、さまざまな新形式特急電車に比較してさすがに老朽化と陳腐化が目立つようになったためである。これに伴い、あの特徴ある斜めストライプの塗装、転換クロスシートなど本来の185系の特徴は姿を消してしまった。
▲新前橋所属の車両に施された塗装。(写真は大宮車両センター転属後)
’11.11.8 吾妻線 郷原~群馬原町 P:村松且富
(185系思い出ギャラリーより)
1996年からは横浜圏と甲斐路を横浜線を介すことで直接結ぶ臨時特急「はまかいじ」の運転が開始され、185系が使用されることになった。京浜東北線乗り入れのためATCの搭載工事を受けた車両も登場した。「国電」とか「げた電」とか呼ばれた通勤電車区間に東海道本線のような幹線を走る車両が乗り入れることなどは、少なくとも関東圏では国鉄時代には考えられなかったことであった。これとても、新生JRに芽生えた「出来ることはなんでもやってみよう」という精神の発露なのだといえる。
▲横浜~松本間を横浜線・中央本線経由で運行された「はまかいじ」。
’03.6.30 中央本線 穴山~日野春 P:丹波篠山
(185系思い出ギャラリーより)
筆者自身JRになってすぐに手がけた651系や251系には本当に自由な雰囲気のなかで力を注ぐことができたが、185系については国鉄末期のあらゆる面で硬直化した状況下で関係者の熱意に支えられて登場させたという感が強く、その対比に複雑な感情を持つ者は私だけではないと思う。
現在の185系電車の運用は、上野口の運用は2014年3月のダイヤ改正で消滅し、東海道のものは特急「踊り子」の運用もあるものの、どちらかといえば、「踊り子」そのものよりも通勤ライナーに主軸を移しているようにさえ見える。考えてみれば185系はライナー的な使用こそ最も適合しているのかもしれない。
そんな185系も2021年3月には定期運用から離脱することとなり、長年走ってきた「踊り子」を後継のE257系に受け継ぐこととなった。かつて、185系が153系から伊豆方面の優等列車を引き継いだように、伊豆方面の特急の歴史は受け継がれていく。
▲リニューアル後、2017年に登場時の「斜めストライプ」塗装が全車両に施された。
’16.2.27 伊豆急行 河津~稲梓 P:野渡優弥
(185系思い出ギャラリーより)
本文:大熊孝夫 要約・再構成:RM レイル・マガジン334号より