text&photo:RM
取材日:‘20.10.2
取材協力:京都鉄道博物館
2020年10月1日、新快速が誕生から50年を迎えた。運転開始時はわずか6往復で京都~明石間の運転であった。だが50年たった今、西は播州赤穂、東は敦賀まで広範囲でカバーする関西を代表する列車の一つとなっている。
京都鉄道博物館では「新快速」の運行開始50年を記念して2020年9月19日より新快速50周年記念企画「この秋は新快速で50!~学んで、遊んで、しんかいそく!~」を開催している。
新快速の50年の軌跡を振り返る特集展示のほか、収蔵資料・写真展、講演会など館内の各所で新快速50年の歴史を感じることのできる展示が展開中となっている。
■新快速誕生の背景とは?
新快速が誕生したのは、今からちょうど50年前の1970年10月1日、同年に開催された日本万国博覧会のイベント輸送として運転された、「万博快速」を発展させる形でその運行が開始された。運行開始当初は、関東から万博輸送のために転属してきた横須賀色の113系を使用して運転され、時刻表上では「特別快速」として一日6往復が設定された。
▲新快速の源流となる「万博号」のヘッドマーク。
実は、この「万博快速」を設定する前から国鉄は都市圏の輸送網の整備について計画をしていたと展示を担当した学芸員の岡本健一郎氏は語る。
国鉄は東京オリンピックを機に全国の幹線輸送網を整備し、1968年度のダイヤ改正「ヨン・サン・トオ」ではその整備が完成形となった。国鉄が全国の鉄道網の整備の次に主眼に置いたのは、都市間輸送の充実だったという。万博快速はこの試験的要素も大きかったという。
■改札を抜けるとそこは、「いつもの新快速」の50年の歴史
今回の展示は、「いつもの新快速」の歴史を感じられるように展示を工夫したと岡本氏は語る。
自動改札機の体験展示を抜け、「新快速」の文字が映る電光掲示板をくぐると、まず左手に初の新快速専用車両となった117系の車内の再現展示が目に飛び込んでくる。そして、右手より新快速50年の歴史が始まる。
▲改札機を抜けると、いつも新快速に乗る時のように展示が始まる。
▲入ると左手に117系の車内設備の展示、右手には歴代の新快速の車両の模型展示が並ぶ。
■山陽新幹線開業により、本格化した「新快速」
展示は、先ほど触れた1970年の「特別快速」として京都~明石間で走り始めた時から始まる。
その後、1972年には山陽新幹線岡山開業に合わせて急行型の153系が導入され、初の専用色となり「ブルーライナー」の愛称がつけられた。この時に、15分ヘッドでの運転、新快速を基軸に普通・快速列車が運転される、という現在の形が確立された。また、滋賀県内への乗り入れもこの時から始まった。
ただし、当時は管轄の違いから複々線の内側線(いわゆる電車線)を走行しており、普通列車は大阪など待避可能な駅で長時間の停車をしていた。
▲153系「ブルーライナー」塗装の模型展示。
▲153系に掲出されたヘッドマーク。
また、関西といえば「私鉄王国」と呼ばれるほど、各私鉄がそれぞれの文化圏を持っており、「選ばれる鉄道」でなくてはいけなかった。国鉄は、「線形が良く、とにかくスピードがあること」、「追加料金なしで急行型に乗れること」を押し出したが、私鉄との差を埋めるには至っていなかった。これを打開するため、国鉄は異例ともいえる専用車両の導入に踏み切ったのである。
🔶「私鉄王国」関西で生き残れ!~京都鉄道博物館新快速50年企画レポートVol.2~